日本の轍

毎週火曜 午後9:54~10:00

番組紹介

この番組は、日本各地にある道の歴史を紹介します。
その道に隠された先人達の想い、守られ続けている伝統、受け継がれてきた技、そこには後世に伝えたい轍物語があります。

道先案内人:中村トオル

道先案内人

仲村トオル

4月17日(火)

第107回「西国街道 ~伊藤博文ゆかりの道~」

西国街道—さいごくかいどう

兵庫県神戸市を通る西国街道。
この街道沿いにある三宮神社前で、今から150年前に起きたのが神戸事件。
備前藩の隊列をフランス人水兵が横切ったことで起きた紛争は、新政府を揺るがす外交事件に発展しました。その騒乱を治めたのが当時26歳の伊藤博文でした。
西国街道、そこには伊藤博文が残した『功績の轍』がありました。

紹介した内容

神戸事件—こうべじけん

1868年に起きた神戸事件は明治政府が初めて直面した外交問題です。
政府から西宮藩の警護を命じられた備前岡山藩の隊列が西国街道を東に向かって行進していた時の事です。
三宮神社の前にさしかかった際に、フランス軍水兵数人が隊列を横切ります。
これは当時の武士達にとって許されざる無礼な行為だった為、抑止しようとした備前藩隊員が小隊長・瀧 善三郎命令の下、発砲し銃撃戦となりました。
その結果、安全の確保を名目に神戸の居留地周辺は外国軍に一時占拠されるなどの国際問題へと発展しました。

いにしえの功績

伊藤博文—いとうひろぶみ

発足したばかりの新政府を襲った神戸事件は伊藤博文によって落着しました。
イギリスへの留学経験から英語も堪能だった伊藤博文は、事件を知ると真っ先にパークス駐日イギリス公使に駆け寄り会見を行います。外国側の要求を政府に進言すると、自らが新政府の外国事務掛となり、直接交渉を行いました。
その後、藩兵の発砲を命令した備前藩士・瀧 善三郎が事件の責任者として、兵庫の永福寺で切腹し解決しました。
英語や外国人との交渉能力を生かし、事件の処理に実力を発揮した伊藤博文は神戸事件解決の3ヶ月後に兵庫県知事に任命されました。

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