6月3日(火)
第474回 山崎通「~天下の決戦場に続く道~」
山崎通—やまざきみち


京都府大山崎町を通る山崎通。
この地で争われた羽柴秀吉と明智光秀の「山崎の戦い」から、今も残る重要な局面を表す言葉が生まれました。
山崎通、そこには【古の戦場へ続く轍】がありました。
この地で争われた羽柴秀吉と明智光秀の「山崎の戦い」から、今も残る重要な局面を表す言葉が生まれました。
山崎通、そこには【古の戦場へ続く轍】がありました。
紹介した内容
山崎の戦い—やまざきのたたかい
安土桃山時代、羽柴秀吉と明智光秀が争った「山崎の戦い」が京都府大山崎町周辺で繰り広げられました。
本能寺の変で織田信長を裏切った明智光秀を羽柴秀吉が街道を急行し天王山のふもとを流れていた、この地の小泉川一帯でぶつかったといわれています。
本能寺の変で織田信長を裏切った明智光秀を羽柴秀吉が街道を急行し天王山のふもとを流れていた、この地の小泉川一帯でぶつかったといわれています。


道の記憶 天王山の展望
天下分け目の天王山—てんかわけめのてんのうざん
大山崎のシンボルである標高270.4mの天王山。
「山崎の戦い」で戦場を一望できる天王山を制した秀吉は天下人に駆け上がりました。
このことから重要な局面を表す言葉「天下分け目の天王山」が生まれたといわれています。
「山崎の戦い」で戦場を一望できる天王山を制した秀吉は天下人に駆け上がりました。
このことから重要な局面を表す言葉「天下分け目の天王山」が生まれたといわれています。

