京都に『GHQ進駐軍』が駐留していた過去 「植物園」に掲げられた星条旗 園内には駐留軍の家族住宅や学校も 開園100周年のアナザーストーリー【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2024年05月31日
【兵動さん】「今回は京都です。地下鉄北大路駅前からスタートですね」
【兵動さん】「直結な感じで(駅前に)イオンがあったりね。お住まいになられている方が多い地域なのかな」
■アメリカの国旗に洋風の建物?
これは1957年(昭和32年)に京都市内で撮影された写真です。どこの風景か分かりますか?
【兵動さん】「分かりやすく言うと、アメリカの国旗が上がっているのか、下がっているのか」
【兵動さん】「これはアメリカの方かな。でも演奏しているのを見守っているのは日本人の方ですよね」
【兵動さん】「洋風の建物…えぇ、分からん。こんなん分かる人おるか?…レッツゴー!」
それでは聞き込み開始。早速、自転車に乗った男性に声をかけてみます。
【兵動さん】「ちょっと困ってますねん、ちょっとだけ。どこか行ってはったんですか?」
【街の人】「そこのマクドです。(Q.朝マック?)朝マック」
【兵動さん】「ええな。これね、昔の写真と同じところから写真を撮りたいんですけどね、昭和32年の写真ですねん」
【街の人】「えぇ!私1歳ですね」
【兵動さん】「これね、アメリカの国旗。こんなん聞いたことあります?」
【街の人】「全然ない。(Q.京都にお住まい?)ずっと京都です」
【兵動さん】「(写真を)パッと見て、何をしているところだと思います?」
【街の人】「学校じゃないんですよね」
【兵動さん】「『学校』いただきました。いろいろ(キーワードを)集めていかないとあきませんから。すみません、ありがとうございました」
歩いて行くと、若い女性たちがいました。
【兵動さん】「どこ行くの?」
【街の人】「大谷大学」
【兵動さん】「大学か。大谷大学の何学部?」
【街の人】「幼児教育」
【兵動さん】「ほな、将来先生になるの?みんな」
【街の人】「イエス!」
【兵動さん】「あのね、昔の写真を持って(歩いて)同じところから写真を撮るというコーナーをやってる…」
【街の人】「知ってます!知ってます!」
【兵動さん】「知ってくれているの?これな、お父さんやお母さんも生まれてないと思うねん。昭和32年の写真やねんけど。これアメリカの国旗やと思うねんけど、聞いたことある?」
【街の人】「ない」
【街の人】「(テレビに)出られなくなる!」
何か答えないと出演シーンがカットされると心配する彼女たち。
【街の人】「基地かな」
【兵動さん】「基地ね。これ(写真)も謎やねんけど、一番謎なのが、なんで“チータラ”持ってるの?」
【街の人】「大容量やから、みんなで食べられる」
【兵動さん】「それで、君はなんでストローを持っているの?」
【街の人】「今からおもちゃ作るんですよ、みんなで」
【兵動さん】「先生になった時に(おもちゃを)作って遊ぶから。ありがとうございました」
街の人からは「学校」や「基地」というワードが出てきましたが、まだまだ謎のままです。
■“豆乳バター”の「あんバタベーグル」を発見
さらに別の人にも声をかけてみます。
【兵動さん】「こんにちは。お姉さん、ちょっといいですか。昭和32年の写真でね、アメリカの国旗が上がってて、なんかそんな施設あったとか…」
【街の人】「ごめんなさい、分からへん。(Q.この辺の方?)この辺には住んでいるんですけど。あのね、(前方を指しながら)この筋に『はせがわ』さんって洋食屋さんがあるんですよ。ちょうど賀茂川の手前。多分もう(行列が)並んでいると思うんですけど。そこのご主人やったら分かるかもしれない」
【兵動さん】「この辺でいろいろ聞いてみます。それで分からなかったら『はせがわ』さん行ってみます。ありがとうございます」
女性が教えてくれた洋食屋さんのある方向に歩きつつ、聞き込みを続けます。
「北大路商店街」という商店街の中を進んで行くと、パン屋さんを見つけました。お店の方に声をかけてみます。
【兵動さん】「すごいおいしそう!ベーグル専門店?」
【賀茂川ベーカリー 北大路駅前店 店長 嶋田雅之さん】「ベーグル専門店で、あと食パンと」
【兵動さん】「『あんバタベーグル』やって」
「あんバタベーグル」をいただいてみることに。分厚いバターとあんこがたっぷりサンドされたベーグルです。
【賀茂川ベーカリー 北大路駅前店 店長 嶋田雅之さん】「普通のバターじゃなくて、豆乳から作られてるバターなので、あっさり食べていただけます」
【兵動さん】「うまい!豆乳バターと、あんこが上品な甘さ。その後にベーグルの甘みも感じてめちゃくちゃおいしい」
おいしいベーグルを味わいながら、厨房の中を見て何かに気づいた様子の兵動さん。
【兵動さん】「後ろの方は海外の方?どこのお国の方?」
【コエリオ・マルシオさん】「ブラジル」
【兵動さん】「ブラジル?何年前に(日本へ)?」
【コエリオ・マルシオさん】「26年前です」
【兵動さん】「26年前?今何歳?」
【コエリオ・マルシオさん】「今、何歳に見えるか?」
【兵動さん】「そんなん覚えんでええねん。『今何歳に見える?』は」
【コエリオ・マルシオさん】「人生の半分くらい日本にいる。52歳になります」
【兵動さん】「えぇ!?若っ!」
ここで写真を見てもらいます。
【兵動さん】「これね、アメリカの国旗があってね、こんな施設があったって聞いたことある?パッと見て何に見える?」
【コエリオ・マルシオさん】「学校に見える」
ここでも「学校に見える」との答え。
■創業から60年以上 行列のできる洋食店
有力な情報が得られないまま、賀茂川の近くまでやってきました。
【兵動さん】「もう、そこ賀茂川?あ、ここ『はせがわ』さん。今日、定休日?」
先ほど教えていただいた洋食屋さんを発見。しかし、定休日の札が下がっていました。中に人はいるようなので、声をかけてみます。
【兵動さん】「すみません。今日、定休日ですか?」
お店はお休みですが、中に入れてもらえました。
【兵動さん】「お邪魔します。今日は仕込みですか?」
【グリルはせがわ 店主 長谷川好成さん(80歳)】「今日休みで、でも一応、仕込みだけ」
【兵動さん】「そうですか。(創業から)何年になられます?」
【グリルはせがわ 店主 長谷川好成さん(80歳)】「60年」
【兵動さん】「このお店を建てた時はおいくつだったんですか?」
【グリルはせがわ 店主 長谷川好成さん(80歳)】「18歳」
【兵動さん】「え!?18歳でこのお店を構えたんですか?」
60年以上にわたり、地域に愛される洋食店「グリルはせがわ」。
行列ができる人気の秘密は「良い食材の仕入れ」にあるといいます。
【グリルはせがわ 店主 長谷川好成さん(80歳)】「味付け忘れてもおいしいでしょ?肉なんて最高ですね。だから和牛のハンバーグ。それもやり方を知らんからケチャップで。母親が教えてくれたケチャップ(のレシピ)」
【兵動さん】「今でいうデミグラスソースとかじゃなくて」
【グリルはせがわ 店主 長谷川好成さん(80歳)】「そんなの、とてもできないから。不思議でならんのやけど、なんで並ぶんやろ」
お店のお話を聞かせていただいたところで、写真を見てもらいます。
【兵動さん】「これ見てもらわないと。これ、昭和32年の(写真)」
【グリルはせがわ 店主 長谷川好成さん(80歳)】「これ見たらすぐ分かった」
【兵動さん】「え?何ですか?ここは」
【グリルはせがわ 店主 長谷川好成さん(80歳)】「進駐軍(GHQ)がね、僕ら小学校やから…10歳か9歳ぐらいに、植物園にあった。進駐軍がいててね、白い壁でグリーンの屋根で窓もグリーンの窓枠でした」
【兵動さん】「これカラーじゃないから分からんけど、白の壁で屋根とかはグリーン。(進駐軍は)どこにおったんですか?」
【グリルはせがわ 店主 長谷川好成さん(80歳)】「そこの向かいの(京都府立)植物園」
【兵動さん】「植物園。その当時は進駐軍が駐留していたってことですか」
【グリルはせがわ 店主 長谷川好成さん(80歳)】「ここにね、(進駐軍の)家族が住んでいました、たくさん。入り口までいつも行った、子どもの時にね。チューインガムくれたり、チョコレートくれたり、子どもにすごい優しかった。『ヘイ、ボーイ』って呼ぶんです、向こうから。(呼ばれて)行きますやん。(もらったお菓子を)いまだに覚えている。黄色の紙でね、外がオレンジの、これくらいのチューインガムが5つ入っていました」
【兵動さん】「そんなことまで覚えてます!?」
【グリルはせがわ 店主 長谷川好成さん(80歳)】「お砂糖が巻いてあって。チョコレートは苦かったけど」
幼少期の思い出を鮮明に語ってくれました。
■撮影場所の植物園へ 広大な園内ではバラが見頃
今回の写真は「京都府立植物園」の風景だということで、その植物園へ。
【兵動さん】「お話を聞いたら、こちらの植物園ではないかということなんですが、間違いないですか?」
【京都府立植物園 副園長 肉戸(にくと)裕行さん】「間違いないです」
【兵動さん】「ここはいつからあるんですか?」
【京都府立植物園 副園長 肉戸裕行さん】「ここはね、大正13年。1924年」
【兵動さん】「え、ほな、もう100年」
【京都府立植物園 副園長 肉戸裕行さん】「そうなんです。ちょっと、あれ見てもらえますか」
【兵動さん】「ほんまや」
見ると、「おかげさまで開園100周年」と書かれた垂れ幕がありました。
【京都府立植物園 副園長 肉戸裕行さん】「今年の1月1日で100周年です。大体、この木なんかも、みんな100年くらいありますよ。100年以上。大きいでしょ」
垂れ幕の後ろに「ヒマラヤスギ」という立派な木がそびえ立っていました。
【兵動さん】「大きいなぁ~!…っていうかさ、入り口のここだけで感動してるねんけど、ここ、めちゃくちゃ広いですよね」
【京都府立植物園 副園長 肉戸裕行さん】「ここは(敷地面積)24ヘクタール、甲子園球場でいうと6個分」
【兵動さん】「その中に四季折々の植物があるっていうことですか。今はどれが(見頃)?」
【京都府立植物園 副園長 肉戸裕行さん】「今はバラが絶好調です。見晴らしのいいところがあるんで、上が展望テラスになっているんですよ」
【兵動さん】「うわ!きれいやな~!」
展望テラスからは、美しい庭園を見下ろせました。さらに、その向こうには比叡山も見えます。
【京都府立植物園 副園長 肉戸裕行さん】「比叡山を借景にした洋風庭園」
【兵動さん】「計算されているんですか、造った時から」
【京都府立植物園 副園長 肉戸裕行さん】「そうなんですよ。しかも全然ビルとか、人工の建物が見えないじゃないですか。なかなか今、京都でも何も(ビルなどが)ないのはね(貴重)」
【兵動さん】「やっぱり(景色に)入り込んでしまうんですか、現代(の建物)が。きれいやな。すごいですね、バラ」
【京都府立植物園 副園長 肉戸裕行さん】「大体、320品種(のバラ)。香りがいいでしょ」
色とりどりの美しいバラは、6月下旬頃まで楽しめるそうです。
【兵動さん】「バラが似合う男です」
きれいなバラと共に表情を決めている兵動さんですが…それはともかく、写真の撮影場所は園内のどこなのでしょうか?
それが分かる資料を見せてもらうことに。
【京都府立植物園 副園長 肉戸裕行さん】「これが残っていたんですよね。これに、その住宅の地図がね。これ多分、まだ未公開だと思うんですけど」
【兵動さん】「本邦初公開!」
年季の入った地図を開いて見せてくれました。
【京都府立植物園 副園長 肉戸裕行さん】「ここがその家族住宅ですね。進駐軍の家族の住宅を植物園(の中)に造った。これが大体、数えたら120くらい立っていたんですよね、洋風の建物」
【兵動さん】「大体、いつからいつまでが?」
【京都府立植物園 副園長 肉戸裕行さん】「1957年が返還式なので、昭和32年くらい」
【兵動さん】「(写真を見て)これや。“返還式”っておっしゃいましたけど、『ここからアメリカは出ていきます』と、(アメリカの)国旗が下がっていく時の写真。歴史的なことよ、これ。ほな、この植物園で言ったら、(昭和)32年に返還されたとしても、植物とかがもう…」
【京都府立植物園 副園長 肉戸裕行さん】「もう、そうなんですよ。だから2万5千本くらいあった樹木が、残っていたのは6千本しかなかったんですよ」
約2万5千本あった樹木のうち、約1万9千本が伐採されたのです。
【兵動さん】「え!そこからここまで再生したということですか、年月をかけて。すごい話や、これは」
そして、撮影場所は…。
【京都府立植物園 副園長 肉戸裕行さん】「(地図を指して)ここら辺で撮ったんじゃないかなと思うんですよ。いろんな文献にも載っていたんですけど、ここに米軍の学校があったんですよ。学校の通路のところで返還式をしたという記述があってね。建物のここだろうなという推定なんですけど」
進駐軍の学校があったという場所へ向かいます。
【兵動さん】「はい、チーズ」
【兵動さん】「植物園、最高です。今からの時期なんか散歩にも最高ですしね。そこにアメリカの人たちが駐留していたという、すごく物語が詰まった植物園でした。今日はありがとうございました」
(関西テレビ「newsランナー」 2024年5月24日放送)