鉄砲、刃物、千利休…「ものの始まりなんでも堺」といわれる堺市 名産だった“自転車”がまつりでウィリー走行? 【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2023年09月08日
【兵動さん】
「今回は南海堺東駅前からスタートでございます。前に来た時は堺の名物とかをいろいろ教えていただいた、堺を代表する大きな街ですね」
堺といえば「ものの始まりなんでも堺」と称されるほど、伝統文化や名物があふれる街です。今回、そんな堺で探すのは…
【兵動さん】
「何これ?えー、こんなんです」
これは1974年(昭和49年)に堺市で撮影された写真です。どこの風景か分かりますか?
【兵動さん】
「画像がやっぱりちょっと荒いね。(写真の真ん中の)この人がメインですわね。これ自転車なんですかね?道路のど真ん中でウィリーしてるって、なかなかの根性ですけど。後ろの人たちもいますね。“自転車ウィリーパレード”みたいなのがあるんですか、堺に?ちょっと聞いてみよ」
■堺の街で聞き込み 元気なおじさんがいっぱい
【兵動さん】
「こんにちは。お邪魔してます。ちょっと写真見てほしいなと思って。パッとみて、これなんや思います?」
【街の人】
「チャリンコやね」
【兵動さん】
「ウィリーしてるみたいな」
【街の人】
「昭和はみんなそうやったね。みんなやってた。で、こけた、よく後ろに」
【兵動さん】
「行き過ぎて、後ろにこけとるやつおったわ。ほんまはそんなんしたらあかんねんけど、昭和ってそんなん。今でもやってる子なんか見ませんもんね?」
【街の人】
「見いへんね。全然見ないですね」
写真の手がかりはなかなか見つからず、商店街で聞き込みを続けます。
【商店街で出会った街の人】
「うれしいわ。YouTube(兵動大樹チャンネル)で毎晩見てる。家内と2人でお料理の動画見てる。『おいしいわ日本酒』ってゆうべも言うてはった。この顔がね、頭に焼き付いてん」
【兵動さん】
「うれしい、奥様も見ていただいてるんですか?」
【街の人】
「夫婦で見て、あの店に行こう、この店に行こうって」
【兵動さん】
「いや、ほんとに(兵動大樹チャンネルの)CMみたいになってきました。愛が強すぎてびっくりしました」
■写真に写っているのは「堺まつり」だそうです
【兵動さん】
「これ(写真)ほな見てほしい」
【街の人】
「あっ、堺まつり」
【兵動さん】
「堺まつりっていう祭りがあるんですか?」
【街の人】
「秋にしまして、鉄砲隊がばーんと出てですね、堺東から堺駅の間で文化・芸術、ずーっとパレードをして、それがすごいんです。一度お越しください。市長に言うときますわ」
堺まつりが初めて行われたのが1974年。写真はその時のもので、パレードが行われた大小路筋のどこかだと言います。
【兵動さん】
「堺で有名なんでいうたら、鉄砲でしょ」
【街の人】
「鉄砲、刃物、線香、あとはお茶、利休ね」
【兵動さん】
「自転車って結構有名なんですか?」
【街の人】
「堺です。堺が生んだ産業」
実は堺はかつて日本を代表する自転車産業の街でした。高度経済成長期の頃には250を超える工場があり、世界的メーカーに成長した「シマノ」も堺生まれなんです。
【街の人】
「シマノさんが、ここから5分ぐらいのとこへ作った『自転車博物館』あります」
【兵動さん】
「博物館がある?ほー、めちゃくちゃここでラッキータイムに入ったみたいな」
【街の人】
「世界のシマノでございます」
【兵動さん】
「世界のシマノですもんね。ちなみにご主人の自転車はシマノさん?」
【街の人】
「あ、いやいや、私はパナソニックでございます」
■自転車に関係することは「シマノ自転車博物館」で聞いてみます
自転車について詳しく調べるため、教えてもらった自転車博物館へ移動。自転車の魅力を伝えるために作られたこの施設は、2022年に駅の近くに移転してきました。
【兵動さん】
「街の人に聞いたら、『あのシマノさん』言うてはって。せっかくやからちょっと見せてもらっていいですか?」
博物館自慢の展示室へ。
【シマノ自転車博物館 神保正彦さん】
「こちらの博物館、『歴史ゾーン』と『これから』という所で分かれてまして」
【兵動さん】
「これは“自転車の始祖 ドライジーネの誕生”」
【神保さん】
「200年前ですね。(タイヤはゴムではなく)木でできてまして。(ペダルはなくて)地面を足で蹴って。こういう感じで」
【兵動さん】
「(頭上の説明動画を見ながら)ほんまや。ほんまに足でやってるわ。その当時、画期的やった?」
【神保さん】
「歩く3倍の速さで移動できた。1日80キロぐらい移動したようですよ」
【神保さん】
「そこにペダルが付くのは、フランスで作った(ベロシペードという自転車)んですけど」
【兵動さん】
「これでやっと。ペダルの位置がちゃいますね、今とは」
【兵動さん】
「そんでこれ(オーディナリーという自転車)、こうなったら(前輪が大き過ぎで)、もう意味分からないですもんね。もう限界きてますもん」
【神保さん】
「ペダル1回転で車輪1回転しか回らないので、もっと早く走ろうということで車輪が大きくなったんですね。これイギリスで作られた。ドイツで生まれた自転車が、フランスでペダルがついて、イギリスで発展していく。そんな構図ですね。自転車の歴史は」
【兵動さん】
「『スピードの魅力でよく売れました』って書いてる。よく売れたんやてこれ」
【神保さん】
「競争なんかにも使われたようですね」
【兵動さん】
「これで競争すんの?もうやめとけよ」
日本で自転車が普及するのは明治以降。その後、国内で生産されるようになった自転車の歴史も博物館で見ることができます。
【神保さん】
「これは堺で作られた自転車なんですね。この『ミスターサカイ』は優雅に、スポーティに自転車を楽しむ。そんな“ダンディサイクル”です」
【兵動さん】
「なんでダンディサイクルなんですか。ま、ダンディっちゃダンディやね。色合いとか。(説明に)『スーツで乗れる自転車』って書いてます」
【神保さん】
「チェーンケースとか泥除けで、ズボンとか汚れないでスマートに乗れるスポーツサイクル。スポーツバイクはあまり泥除け付けないじゃないですか」
【兵動さん】
「あっスポーツバイクに付けたっていうことなんや。だからビシッとアルマーニで決めた人も乗ると」
【神保さん】
「ばっちりです!」
【兵動さん】
「乗るか!アルマーニで決めた人タクシー乗るわ」
■堺の鉄砲鍛冶の技術が自転車産業につながった
【兵動さん】
「堺って自転車めちゃくちゃ有名やって聞いたんです。なんで堺に作るところが結集したんですか?」
【神保さん】
「一つはもともと鉄砲鍛治の技術が自転車の修理に役立って、そのあと自転車部品を作るっていうところに流れていったと言われてますね。今はもうほとんどなくなってしまいましたが」
80年代以降、海外との価格競争に敗れ、自転車の生産は徐々に衰退していきました。
さて、写真の場所を聞いてみると。
【兵動さん】
「これ、堺まつりちゃうかとみなさんが。シマノさんもいろいろやられてるんですか?」
【神保さん】
「2回ぐらい当館の自転車をお貸したこともあったようです。(写真の場所は)ちょっと難しいですね」
【兵動さん】
「自転車が有名や言われていたのが、いずれこういう部品とかを作っていったと。今そういう(部品を作っている)所でお話聞きたいという気持ちになってますねんけど…」
【神保さん】
「“ある部品”を作っている工場が、まだやってるという話を聞いたことがあります」
【兵動さん】
「そこちょっと紹介してもらうことってできます」
■日本で初めて子供用の“補助車”を作ったという工場に
日本で初めて自転車の“ある部品”を作った工場が、今も残っていると聞いて、向かいました。
【兵動さん】
「閑静な住宅街ですけど。昔はこういう所にいっぱいいろんな工場があったんやろね。ここかな?むちゃくちゃ歴史ある。すいません。自転車博物館の方に聞いて、こちらに寄らせていただいたんですけど。こちらで自転車の部品作られていたりするんですか?」
【安井製作所社長 中村明さん】
「うち、あの“補助車”。子供用の補助車作っています」
「補助車」とは子供用の自転車につける、一般的に「補助輪」や「コマ」と呼ばれている部品です。1960年に安井製作所で作られたものが日本初とされています。
【中村さん】
「(先代の安井清司朗が)初めてわしが作ったんやとは言うてたみたいですけど。先代。もう天国行かんと話できへん」
【兵動さん】
「それまでは補助輪がなかったんや。日本には。少なくとも」
【中村さん】
「でしょうね。私、今63歳なんですけど、自転車乗る練習したのが、大人用の三角のフレームの26インチのでっかいやつやから。私、補助輪の経験ないんですよ」
【兵動さん】
「ああそうか。それがない時は子供も自転車乗る時は大人用のやつ乗って練習してたんや」
【中村さん】
「足届けへんから、止まる時はコケるっていう」
【兵動さん】
「ハードやわ。先代に話聞かないと分からへんと思うんですけど、なんで補助輪作ろうと思ったとか聞いたことないですか?」
【中村さん】
「こんなん作ったら、もうかるぞっていうのが初めやったんちゃうかな」
【兵動さん】
「ははは!そういうの気持ちいいわ。まっすぐな気持ち。そら、どえらいもうかりましたね」
【中村さん】
「(先代は)たぶんね」
【中村さん】
「(自分は)先代の娘の婿なんですよ」
【兵動さん】
「ほな奥さまは、今いらっしゃるんですか?あっ、奥さまこんにちは。先代がすんごい補助輪でがんばりはったいうて」
【中村さん】
「補助輪作り始めたときは、(奥さんは)まだ1歳、2歳ぐらい」
【兵動さん】
「だから今から乗る予定のお子さんやったんや。お金やなんやってシャレで言うてるけど、娘さんがちょっと補助輪みたいな物あったら、自転車に乗れるんちゃうって思って、優しさで作り始めたんちゃうやろか?」
【中村さんの奥さん】
「そうですね。ちょうど子供生まれたときに作り始めた」
【兵動さん】
「そうでしょう、そんなんちゃう?たぶん」
■堺東駅方向を向いて「堺まつり」を撮影した写真だと判明
本題の写真について聞いてみると…
【兵動さん】
「堺まつりって、やっぱり行ったりしはりますか?」
【中村さん】
「最近は行ってないですかね。ここ3年はなかったですもんね。私が記憶がある時って、前(輪が)でっかく、後ろ小さいような感じのやつ(自転車)もパレードに参加してた記憶があるんですよね」
【兵動さん】
「今(自転車博物館で)、めちゃくちゃ見てきたんですよ。みんな見てんねや、あれ」
【兵動さん】
「どの辺から撮ってるか分かりますか?」
【中村さん】
「分かりますわ。堺東駅のほうへ向いて撮ると、こんな建物あったと思う。堺駅のほう撮ると何もなかったと思うんですよ。この辺(写真の左側)に熊野(ゆや)小学校っていうのがあると思うんですよ。この辺(写真の奥の建物)に見えているやつが郵便局の本庁ちがうかなと思うんです」
画像は見にくいものの今も残る郵便局の建物にまず間違いないとのことです。
写真を撮りに、教えてもらった場所に向かいます。
【兵動さん】
「こちらが『熊野』小学校と書いて、『ゆや』小学校。(写真の場所は)このあたりですもんね。いきましょう。はいチーズ」
【兵動さん】
「今回、堺でした。自転車も有名ということで勉強になりました。ちょっと僕も今日を機に、健康を考えて自転車で。前(輪)ものすごいでっかいやつ、今乗ってたら注目されんのかなあ。あれやったら乗ってみたいな思てます」
(関西テレビ「newsランナー」2023年9月1日放送)