作品紹介
第1章印象派以前のモネ
Monet, His Early Works
パリで生まれたモネはル・アーヴルで成長し、風景画家ブーダンとの出会いを契機に戸外で風景を描き始めました。画家を志して18歳でパリに出て、アルジェリアでの兵役を経て絵の勉強を続けます。画塾で出会ったピサロ、ルノワール、バジールらと親交を深めました。画家の登竜門であるサロンに1865年に初入選しますが、審査の厳しくなった保守的なサロンでは評価されず、その後は落選が続きました。1870年に普仏戦争が始まるのを機に、妻子とともにイギリスとオランダに滞在します。本章では、初来日の大作《昼食》やオランダで描いた風景など、モネの初期作品をご紹介します。
第2章印象派の画家、モネ
Monet, the Impressionist
1871年末から、モネはパリ郊外のアルジャントゥイユで暮らし始めます。モネと仲間たちは1874年春、パリで第1回印象派展を開催し、サロンとは別に発表の場を設けて活動しました。精力的な制作の一方で、景気後退により経済的に困窮し、1879年には妻カミーユが亡くなるなど苦しい時期でもありました。本章では、1870年代から80年代にかけて、セーヌ川流域を拠点に各地を訪れて描いたモネの作品を展示します。アトリエ舟で自在に移動し、戸外で制作した印象派らしい多様な風景画をご覧いただきます。
第3章テーマへの集中
Focusing on One Subject
モネは新たな画題を求めて、パリ近郊はもちろん、ノルマンディー地方やブルターニュ地方、地中海の港町などヨーロッパの各地を訪れて制作します。時には数ヶ月も滞在して、人影のない海岸などを好んで描きました。本章では、ノルマンディー地方のプールヴィルの海岸やエトルタの奇岩など、モネが何度も訪れた場所の作品群をご紹介します。滞在中、同じ対象であっても季節や天候、時刻によって、海や空、山や岩肌の表情が絶え間なく変化する様子をモネはカンヴァスに描き留めていきました。
第4章連作の画家、モネ
Series Paintings
1883年、モネはセーヌ川流域のジヴェルニーに定住します。やがて、自宅付近の積みわらが光を受けて刻々と変化する様子を同時進行で何枚も描くようになりました。1891年にデュラン=リュエル画廊でそれらを「連作」として展示すると大好評を博し、国際的な名声を築きました。以後は別のテーマでも次々と連作に着手します。1899年からはロンドンを訪れ、〈チャリング・クロス橋〉や〈ウォータールー橋〉などに取り組みました。「連作」という手法の着想源の一つにはモネが愛好した日本の浮世絵版画の影響も指摘されています。
第5章「睡蓮」とジヴェルニーの庭
Water-Lilies and the Garden in Giverny
ジヴェルニーの自宅はモネの創作にとって最大の着想源となりました。「花の庭」と「水の庭」を本格的に整備し、花壇の草花や、睡蓮のある池を描いています。次第に制作の大半は〈睡蓮〉となり、池の水面に映る色と光の抽象的なハーモニーが次々に誕生します。晩年のモネは、後妻のアリスや家族に支えられ、視覚障害に悩みながらも86歳で亡くなるまで制作を続けました。本章ではモネがジヴェルニーで描いた村の様子や、モネが愛した庭のさまざまな情景をご紹介します。
お子様にも楽しんでもらえる「こども鑑賞ガイド」が完成!
各章ごとに出されるクイズを楽しみながら、キミの一番好きな作品を見つけよう!
※鑑賞ガイドご入用のお客様は展示室入場口のスタッフにお声かけください。
- 主催
- 大阪中之島美術館 / 関西テレビ放送 / 産経新聞社
- 後援
- 在日フランス大使館 / アンスティチュ・フランセ / 大阪市教育委員会 / 堺市教育委員会 / 公益財団法人大阪観光局 / 山陰中央テレビジョン放送 / 岡山放送 / テレビ新広島 / テレビ愛媛 / 高知さんさんテレビ / テレビ西日本 / ラジオ大阪 / FM802 / FM COCOLO
- 企画
- ハタインターナショナル
- 特別協賛
- 協賛
- 第一生命グループ / NISSHA
- 大阪展協賛
- 大阪芸術大学
- 協力
- KLMオランダ航空 / 日本航空 / ルフトハンザ カーゴ AG / ルフトハンザ ドイツ航空 / ヤマト運輸
- 監修
- ベンノ・テンペル(クレラー=ミュラー美術館館長 / 前デン・ハーグ美術館館長)
- 監修協力
- マイケル・クラーク(スコットランド・ナショナル・ギャラリー前館長)
- 日本側監修
- 島田紀夫(実践女子大学名誉教授)
お問い合わせ
大阪市総合コールセンター なにわコール
06-4301-7285(年中無休 午前 8 :00~ 午後 9:00)