病院に運ばれてきた赤ちゃんに硬膜下出血が見つかった。親は「自宅で転倒しました」と説明する。児童相談所は、親の説明を嘘だと疑い、“虐待ありき”で対応すべし―。
これが、厚生労働省が示す“揺さぶり虐待”対応マニュアルの内容だ。
今回、関西テレビの取材により、マニュアル改正時の当初原案は、これとは正反対の内容だったことが分かった。
虐待疑われ…引き離される親子
いま、脳内出血などの症状で医師に“揺さぶられっ子症候群”(=SBS)の疑いありと診断され、赤ちゃんと長期にわたって引き離される親が少なくない。
2月27日放送の「報道ランナー」で紹介した大阪府のあかねさん(仮名)もその一人だ。
不妊治療の末に授かった生後7か月の長男が、自宅でつかまり立ちから後ろに転倒。搬送された病院で脳内出血などが見つかった。
あかねさんは、家庭内の事故と説明し続けたが、病院や児童相談所に信じてもらえなかった。
しばらくして、児童相談所が相談した医師の鑑定意見が出る。「家庭内での事故の可能性が高い」という診断だった。あかねさんは、長男と一緒に自宅へ帰れると思ったが…。
児童相談所は、「虐待の可能性がゼロではない」との理由で、事故から約1年半もの間、あかねさんと夫が長男と一緒に暮らすことを認めなかった。
虐待診断の「基準」…厚労省マニュアル
こうしたケースが全国で起きているのなら、「安心して子どもを産み、育てられる社会」とは言えない。このままでは、子どもが欲しいと思う人はますます減っていくだろう。背景を調べなければと思った。
調べていくと、厚生労働省が児童相談所向けに作成したマニュアル『子ども虐待対応の手引き(2013年8月改正版)』に辿り着いた。
そこには、乳児に硬膜下血腫が見つかった際、「(親などが)家庭内の転倒・転落を主訴にした…場合は、必ずSBSを第一に考えなければならない」と記載されている。
なぜ、厚労省のマニュアルが、揺さぶり虐待“ありき”の記載になっているのだろうか?
厚労省マニュアルには、有用な医学的知識として次のような記載がある。
「乳幼児の硬膜下血腫は3m以上からの転落や交通外傷でなければ起きることは非常にまれである。したがって…まず虐待を考える必要がある」
3m未満の落下事故では硬膜下血腫が生じることはないので、まず虐待を疑う…これが医師の「通説」だという。しかし、本当にそうなのだろうか?
「虐待」でしか…起こりえない?
頭部外傷に詳しい小児脳神経外科の西本博医師は、「日本ではどういうわけか乳児の急性硬膜下血腫が虐待しかないように思われている。“事故による急性硬膜下血腫”が忘れられてしまっている」と、現状に強い懸念を示している。
西本医師が話す“事故による急性硬膜下血腫”とは、「乳幼児が転倒などの軽微な外傷によって硬膜下血腫や眼底出血が生じる」という約50年前の国内報告のことだ。
“中村1型”と呼ばれ、今も脳神経外科の教科書に掲載されている。
ところが、“中村1型”は、児童虐待に取り組んできた小児科医の間では、否定的に理解されてきた経緯がある。
2005年に小児科医が中心となって執筆した虐待診断のための教科書『子ども虐待の臨床』には、「頭蓋内出血は日常生活の中でも起きるとする報告も散見されるが…現在では少なくとも硬膜下出血と眼底出血を伴うSBSは暴力的に振った結果とされている」と記載されている。
こうした教科書を前提にすると、現在の厚労省マニュアルが「硬膜下出血あれば、必ずSBSを第一に」といった記載になっているのも当然のように思える。
しかし、厚労省は、なぜ “小児科医”の「通説」だけを前提にマニュアルを作成したのだろうか?
原案にはなかった「必ずSBSを第一に」の記載
このことを調べるため、情報公開請求により厚労省マニュアルの改正作業時の当初原案を入手した。
2012年10月に作成された原案には「必ずSBSを第一に」といった記載はなく、その部分は次のような内容になっていた。
「家庭内の軽い転倒によっても急性硬膜下出血が起こると考えられ、硬膜下出血だけで必ずしもSBSとは断定できない。…幼児については、1歳前後から歩行が始まるなど、運動能力の向上とともに家庭内での事故が起きる頻度も増すところから、虐待と事故による受傷との鑑別がより難しくなる。いずれにしても疾患か、事故か虐待によるものかの見極めが必要」
この記載を見て心底驚いた。“中村1型”の存在を前提にしており、現行の“虐待ありき”の内容とは「正反対」の内容だと思った。
どのような経緯で、この原案は修正されたのだろうか?
■SBSを「見直す議論」の必要性
さらに調べていく中で、SBS部分の原案を作成した児童相談所の職員に辿り着くことができた。
「乳児は命に関わりやすいので保護する方向になりやすいんです。でも、乳児を親から長期にわたって分離することは愛着形成に大きな問題が生じるので、早く戻すべきだとも思います…」と、その職員は、現場の悩ましさを率直に語ってくれた。
マニュアル改正の際の検討会委員は8人。そのうち医師は2人で、どちらも小児科医だった。原案は検討会でどのように修正されたのか?
原案を作成した職員に尋ねてみても、「私は原案執筆を担当しただけで、検討会委員の間でどのような議論がなされたのかは分からない」とのことだった。
最後に、現在の厚労省マニュアルの記載についてどう思うか尋ねてみた。その職員は、少し戸惑った表情を見せた後、おもむろにこう呟いた。
「当時は現在のようなSBSを見直す議論はなかったので…。正直言うと、早く改正してほしいですね」