“変わるキッカケ”を作ってくれた…5 年間フリースクールに通った男性 自分の道を見つけ巣立ちの春 「お世話になりました、独り立ちします」 2024年04月10日
学校へ行けなくなった子供たちが通う「フリースクール」。
入って来る人がいれば、新たな道へ“出発”する人もー
【理功さん】「フリースクールは?と聞かれたら、変わるきっかけを作ってくれるとこ」
「フリースクール」で5年間過ごし変わった人生とは?
社会人として一歩を踏み出す男性の姿を追いました。
■フリースクールの“卒業”式ならぬ“出発”式が行われた
新しい暮らしが始まる春。
大阪で4つの教室を開く「フリースクールここ」から、13人が社会へ巣立つ“出発式”が行われました。
心や体の不調などで学校に行けなくなった人が通い、気持ちを取り戻して、新しい一歩を踏み出せるようになると巣立っていきます。
そうした成長で、進学や就職など自分の見つけた道へ進む応援をするのが“出発式”です。
【高校に出発】「不登校になってから、あきらめていた色んなことがフリースクールに来たことで、たくさんできたことが、うれしかった」
【高校に出発】「頑張ってくれたスタッフの方々ありがとうございました」
■5年間フリースクールに通った理功さんも出発
フリースクールに通う子どもたちは、2~3 年で次のステージへ出発することが多い中、最年長の理功さんは、5 年という長い間フリースクールに通いました。
【理功さん(18)】「もう無理かもって、沈むときは正直あって。フリースクールは?と聞かれたら、変わるきっかけを作ってくれるところ」
春からは社会人として、新たな一歩を踏み出す理功さん。
【理功さん】「今、1番はKingGnu、ずっと聴いてて、1番好き」
趣味は“音楽”!
フリースクールで教わったドラムの腕前も披露してくれる、いまは社交的な性格ですが…。
【理功さんの友人 タイキさん】「やばかったですね。荒れてましたね、入った時は。今はめちゃめちゃ優しい」
【アルバイト先の店長】「変わりましたね、髪型から分かるように、かなり変わりました」
理功さんにとってフリースクールでの5年は、人生の転機とも言えそうです。
■中学2年生の時、嫌々やってきたフリースクール「なんか楽しい」
理功さんがフリースクールに通うようになったのは中学 2 年生の頃。
【理功さん】「担任の先生が嫌やって、めっちゃ体育会系の先生やって。休んでたら次は、勉強ついていけなくなって」
不登校になり、部屋に引きこもっていたところ、口も利かなくなった母親に、半ば強引に連れて来られました。
【NPO法人ここ 三科元明理事長】「当時、見学に1日目来た時から、ブスーっとしていて、何を聞いても、ちゃんと答えてくれない。誰かを攻撃するとか、悪口言うとかはしない子だったので、傷ついた経験から自分を守っていたんやろうなって」
当初は身構えていたという理功さん。
【理功さん】「学校が嫌なイメージしかなくて、『スクール』って付いてたんで、また同じとこ行くんやぐらいの嫌なイメージで来たけど、『あれ?なんか楽しいな』と。イメージ変わって、ちょっと行ってみようかなと」
■自分の居場所を見つけて
周りは同じ境遇の子ばかり、コミュニケーションも取れるようになり、次第にここが“自分の居場所”に。
「フリースクールここ」に入って1年後には、勇気を出して自分の経験を発信しました。
【理功さん(当時 15 歳)】「(このフリースクールや僕のことについて)色々と知りたい事とかあると思うので、包み隠さずに…」
不登校の子供を持つ保護者向けの動画に出演したのです。
【理功さん】「こんなやつが人の役に立てるって、フリースクールに行ってたからやろなと」
人の役に立つ喜びを知り、後輩の面倒も見るようになりました。
仲間と趣味も見つけ、さらには遅れていた勉強にも精力的に取り組むようになります。
大学生のスタッフに教わりつつ中学 1 年の問題からやり直し、フリースクールに通いながら「通信制の高校」へ進みました。
高校生になると、学費とスマホ代を自分で払うためアルバイトも。
採用されたラーメン店では、これまでフリースクールでは経験して来なかった、“社会に出る厳しさ”を学びます。
(Q.初日の理功さんは?)
【吉岡マグロ節センター 土井喜貴店長】「『履歴書ってこんな感じっすか?プリクラ貼っても大丈夫っすか?』みたいな。いや、無理やろ!お前バイトなめてるやろ!って」
ここには、厳しい店長が!
【吉岡マグロ節センター 土井喜貴店長】「泣かしましたもん、『そこ座れ』って、こんこんと30分くらい。『なんでそんな嫌なことやんの?』って言うと、『その時、何も考えてなかったっす』って、いやいや、考えてないのはあかんやろ!と。道徳の部分がこの子知らんなって、こんな事されたら人嫌がるよとか、『自分が自分が』みたいな、自分のプライドがめっちゃ出ていて」
厳しい一方で、支えてくれる人もいました。
【“マグロのお母さん”こと マミーさん】「しんどい仕事が多いので、『もうちょっと頑張ろうか』とか、私も一緒に泣いてた。はじめは“かわいい僕”やったのが、青年になったなって…」
3年間、理功さんを近くで見てきた店長は…
【吉岡マグロ節センター 土井喜貴店長】「(Q.理功さんについての印象は?)素直・純粋・努力家・一生懸命。社会に出た時に『ここのラーメン店で働いて良かったな』と思ってもらえたら…。彼の性格を考えたらもっとうまく利用して、成長していくこともできるでしょうし、雇った以上は、ちゃんと育ててあげないとあかんなと」
【理功さん】「最初のままの自分やったら、めっちゃ恥ずかしい。コミュニケーションは格段に取れるようになりました。女の子はまだ無理ですけど…」
4月からは、運営会社の「正社員」となり、新しい一歩を踏み出すことになったのです。
■「人生変わった」「独り立ちします」 フリースクールからの巣立ち
こうして迎えた“出発式”。
不登校になって以来、ほとんど話をしなかったお母さんが会場に来ていました。
馬場しずか福理事長が卒業証書を読みます。
【NPO 法人ここ・馬場しずか副理事長】
「色んなことに挑戦する理功。理功とはまるで友達みたいに話ができました。就職しても遊びに行きます。苦しくも楽しい社会人へようこそ。おめでとう理功」
【理功さん】「来た時は中学校で辞めるつもりで来て、高校も行かずに働くつもりで来たんですけど、『ここ』があったから、自分があると思っているので、精一杯の感謝を伝えます。ありがとうございました!」
笑顔のなかった子供が成長した姿を見て…お母さんもホッとした様子です。
【理功さんの母親】「まさか自分の子供が不登校になるって、想像もしてなかったので、怒ることしかしなかったし、会話もなかった。今、思えば、追い詰めてたのかなと反省ですけど。自分で生きていく力を、身に付けられたら、真っすぐじゃなくてもいいのかなと」
【理功さん】「お世話になりました、独り立ちします」
4月になり、理功さんはフリースクール時代にアルバイトしていた店とは別の店に配属され、社会人として全てが新しいスタートになりました。
【らーめんキング 松本勇也店長】「(前の店長から)責任を引き継いで、僕も未熟なので、一緒に育っていけたらなと」
一人暮らしも始めた18歳の春。ここからが人生の再出発です。
【理功さん】「自分みたいなやつはあまりない方がいいと思いますが、やりようによっちゃ修正できると。(母親が)『ここ』に連れて行ってくれたことが、大きかった。そこから人生変わった。フリースクールとは、やりたいことを見つけられる場所」
(関西テレビ「newsランナー」2024年4月9日放送)