2015年11月26日(木)深夜2:25~3:35

平成27年度文化庁芸術祭参加 軍神
『ザ・ドキュメント』では、2014年夏に『うたと戦争 ~70年目の私たちへ~』、2015年夏には『軍神 ~忘れられた兵士たち~』と、戦後70年を見つめるドキュメンタリー番組を放送してきました。
今回お届けする『平成27年度文化庁芸術祭参加 軍神』は、戦後70年三部作の最後に、「軍神」の周囲にいた人たちに焦点を合わせます。

受賞

文化庁芸術祭テレビドキュメンタリー部門 優秀賞

内容

ことしの春、仏壇裏から部下を戦死させた「ある上官」の日記が見つかった。戦死した3人の部下は肉弾三勇士と呼ばれ、戦の神、「軍神」に祀り上げられ、全国各地に偶像が作られた。部下を「軍神」にした上官の胸の内が、日記に記されていた。

———満州事変の翌年、1932年第一次上海事変のさなか、一般の兵士から英雄が現れる。中国との戦いのなかで、自爆覚悟で敵方に突入し死んだとされる3人の若者だ。新聞社は彼らを肉弾三勇士などと呼び、歌を公募、「軍神」となった3人は歌となって子供たちにまで浸透していった。当時、歌に親しんだ10代が後の太平洋戦争で主力となる。
三勇士の次に歌となった兵士は、太平洋戦争真珠湾攻撃の「特殊潜航艇」の9人だ。
死を覚悟の出陣だったとして軍神と奉られ、次々に歌が作られた。戦の神「軍神」とされ、彼らは英雄になった。「9軍神」が華々しく発表された一方で、この話には大きな秘密があった。作戦には10人が参加していたが、1人が捕虜になっていたのだ。当時は恥ずべきものとされた捕虜。海軍はその存在を抹殺し、9軍神のみを広めるように努めた。
「軍神」は、沖縄戦の前にも現れた。沖縄での戦意高揚が進まない中、見出されたのが沖縄県与那国島出身で、ガダルカナル島で戦死した兵士だ。この兵士、大舛松市中隊長も歌となり、教育現場で広められた。沖縄では多くの学生が地上戦に動員され亡くなった。「大舛中隊長」の出現は絶妙の時期で、多くの若者に「中隊長に続け」と思わせるのに十分だった。
戦争の時代をつくりだしたのは誰だったのか?「軍神」に翻弄された人々を描くドキュメンタリー番組。通常の枠を拡大し、70分で放送します。


語り:大橋雄介(関西テレビアナウンサー)
ディレクター:柴谷真理子(関西テレビ報道センター)
プロデューサー:兼井孝之(関西テレビ報道センター)