ザ・ドキュメント

2015年8月15日(土)深夜1:35~2:30

企画意図

戦後70年の今年、「戦争法案」と揶揄される安全保障関連法案が衆議院で可決された。今、改めて、なぜ当時の国民が先の大戦を受け入れたのか考える。

内容

日本が戦争へ大きく舵を切った出来事の一つは「満州事変」だ。このころを境に大新聞が軍の批判をやめ、国民の目に触れる記事は、軍の意見を反映したものばかりになる。そして、娯楽であるはずの歌にも軍部の思惑が表れだす。
満州事変の翌年、1932年第一次上海事変のさなか、一般の兵士から英雄が現れる。中国との戦いのなかで、自爆覚悟で敵方に突入し死んだとされる3人の若者だ。新聞社は彼らを肉弾三勇士などと呼び、歌を公募、3人は歌となって子供たちにまで浸透していった。当時、歌を熱狂的な気持ちで歌った10代が、後の太平洋戦争で主力となる。歌のなかの兵士は、死後も「ある役割」を期待された。

三勇士の次に歌となった兵士は、太平洋戦争真珠湾攻撃の「特殊潜航艇」の9人だ。
死を覚悟の出陣だったとして軍神と奉られ、次々に歌が作られた。戦の神「軍神」とされ、彼らは英雄になった。「9軍神」が華々しく発表された一方で、この話には大きな秘密があった。作戦には10人が参加していたが、一人が捕虜になっていたのだ。当時は恥ずべきものとされた捕虜。海軍はその存在を抹殺し、9軍神のみを広めるように努めた。

「軍神」は、沖縄戦の前にも現れた。沖縄での戦意高揚が進まない中、見出されたのが沖縄県与那国島出身で、ガダルカナル島で戦死した兵士だ。この兵士、大舛松市中隊長も歌となり、教育現場で広められた。沖縄では多くの学生が地上戦に動員され亡くなった。「大舛中隊長」の出現は絶妙の時期で、多くの若者に「中隊長に続け」と思わせるのに十分だった。当時は人々が熱狂し、今は誰も歌わない歌。歌のなかの兵士は、非合理な精神世界を納得させるのに使われ、娯楽産業の時局便乗にも利用された。しかし、そうした兵士や歌に熱狂したのは、国民の側にも受け入れる素地があったと言える。

兵士が歌になった背景にどんな事があったのか、どういう立場の人が何を語っていたのか。戦争という言葉が急に身近になってきた今、あの時代、国民が見聞きした出来事を改めて考える報道ドキュメンタリー。

ディレクター:柴谷真理子(関西テレビ報道センター)

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