大阪名物「粟おこし」の老舗菓子店 空襲も泥棒も逃れた奇跡のトビラがあった【大東駿介のそのトビラオープン!関西テレビ「newsランナー」】 2024年09月14日
大阪府堺市出身の俳優・大東駿介が、関西をブラブラ歩きながら街中にある気になる「トビラ」を開けていく 『大東駿介のそのトビラオープン!』。
【大東駿介さん】「今週は、大阪・堀江です。『オレンジストリート』。ようここ来たな、学生時代」
「大阪の代官山」と呼ばれるほどオシャレな街のイメージが定着している堀江。中でも全長800メートルの立花通り、通称「オレンジストリート」は、雑貨、インテリア、ファッション、グルメなど新しい文化の発信地となっています。
ちなみに「立花」は、かつて「橘(たちばな)」と書いていたそうで、そこから「オレンジストリート」と呼ばれるようになったんです。
堀江はもともと「家具の街」として知られていました。
創業69年の老舗家具メーカー「BRIDGE WORKS」で、2代目のご主人、宮地秀和さんにお話を聞きました。江戸時代には堀江川という川があって、商業の集積地が作られました。川に囲まれていた堀江。その川が輸送に便利だということで周辺に材木屋さんが増え、「家具の街」として発展したと言われています。
1980年代までは全国有数の「家具の街」として栄えていた堀江ですが、次第に大型家具店などが増え始め、堀江の家具屋さんは衰退。そこで1991年に活性化委員会を作って、空きスペースでフリーマーケットを開催するなど、イベントをたくさんやっているうちに、「東京から若者に人気のブランド呼んできたらええやん」となり、いまではすっかり若者に人気の街として定着しているのだそうです。
次に大東さんが話を聞かせてもらったのは、創業から219年の歴史を持つ老舗菓子店「あみだ池 大黒」。
江戸時代から大阪名物の「粟(あわ)おこし」を作り続けています。初代が「阿弥陀池」のほとりに店を開き、五穀豊穣の神・大黒様にあやかって「あみだ池 大黒」という店名になったそうです。
6代目会長の小林隆太郎さんによると、大阪は「天下の台所」と呼ばれ良質な米やあめなどの原料が安く手に入りました。それで大阪の人が「おいしい粟おこしを作ろう」と、お米を粟状に細かくつぶして、お米のおこしを「粟おこし」といって売り出したそうです。すると「大阪の粟おこしはおいしい」と、大阪名物になったのだそうです。
小林会長から「粟おこし」をいただいた大東さん。「おいしい。お米の香りがしっかりして、香ばしく、甘みとのバランスがめちゃくちゃいい」と大満足です。
大東さんが「トビラを探している」と話をすると、小林会長が裏の蔵へ案内してくれました。大正2年に建てられ、築110年ほどのりっぱな蔵。トビラを開けた先には、「大黒さん」がずらりと並んでいました。全部でおよそ3500体あるそうです。お店の繁栄を願って、2代目から代々集めてきたそうで、中央にある大きな大黒さんは長柄橋の欄干で作られたものだそうです。
戦争で空襲があった時に、この蔵だけが戦火を逃れて奇跡的に残りました。空襲が終わった後に、小林会長の父親が蔵を開けて大黒さんの無事を確認したのですが、トビラを閉めたとたんに取っ手が落ちて、それから10年間ほど蔵を開けることができなくなりました。その時代、近所では蔵荒らしによって多くの蔵が盗難にあったのですが、大黒さんの蔵は取っ手が落ちていたことで荒らされることがなかったのです。それ以来、大切に守り神としておまつりしていると言います。
【大東駿介さん】「歴史的な文化財としてもすごいですけど、何より継承してきた思いを感じました。すごいトビラでした」
(関西テレビ「newsランナー 大東駿介のそのトビラオープン!」 2024年9月5日曜日木曜日放送)