USJへ向かう路線…かつては運河 なぜか「川すれすれ」の鉄橋 『鉄道用の車輪』シェア100%のメーカーで知ったまさかの撮影場所 大阪・此花区【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2024年03月08日
【兵動さん】「今回は大阪・此花です。此花区といえば、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)ができて、2025年には万博が来るという。(万博会場の)夢洲も此花ですからね」
■橋の上を走る電車の写真
これは1975年(昭和50年)に大阪市此花区で撮影された写真です。どこの風景か分かりますか?
【兵動さん】「電車ですよね。電車が橋を渡ろうとしているのかな?川でしょ、これ。川の水(の水位)がきわきわ過ぎない?」
【兵動さん】「此花って2つくらい(鉄道の)路線があったような気がするねんな、(JR)環状線と、いろいろ電車が走ってますけど、この電車は多分JRだと思うんですけど。なんでこんな(川の水位の)きわきわを進んで行っているねんという謎。1975年、昭和50年。知ってはる人多いでしょ、多分。行ってみますか」
それでは聞き込み開始です。
【兵動さん】「向こうのアーケードみたいなんあるやん、あれ商店街かな?あっち向いて歩きながら聞こうかな」
商店街らしきアーケードを発見。そちらに向かいつつ、聞き込みをすることに。
【兵動さん】「ちょっとお話、無理ですか?(写真と)同じところから写真を撮りたいというコーナーしてましてね。これ昭和50年の写真ですねん」
【街の人】「これが(JR)桜島線(ゆめ咲線)でUSJに行く線ちゃいます?」
【兵動さん】「USJ行く時に。乗られたことあります?」
【街の人】「乗ってます。会社へ通勤するのに。(会社ってどこ?)『住友電工』に行ってたんですよ」
【兵動さん】「住友電工というのが今でいうUSJの方にあって」
【街の人】「安治川口(あじかわぐち)で降りて、通勤してた」
【兵動さん】「安治川口ってありましたね、駅。今もありますよね、安治川口」
【街の人】「あります、あります」
【兵動さん】「結構皆さん、工場でお仕事する方が乗られる?」
【街の人】「いっぱい乗ってましたよ」
【兵動さん】「(写真を指し)こういう感じで(川の)すれすれを行っていたのって見たことあります?」
【街の人】「いや…」
【兵動さん】「USJは行ったりします?」
【街の人】「行きます。年パス持ってますんで、週に4~5回、歩きに。歩いて帰ってきたら2~3時間(たっている)。散歩」
早速、有力情報を得た兵動さん。「春日出(かすがで)商店街」でも、さらに聞き込みを続けます。
商店街でお店の方に声をかけてみます。
【兵動さん】「あのね、昭和50年の写真ですねん。こんな光景って見たことあります?」
【街の人】「見たことありますね。多分間違いないと思うんやけど、これはUSJの方(に向かう電車)と思います」
【兵動さん】「これ、なんでそういうのがピンと来ました?」
【街の人】「川(の水位が)すれすれというか、よくここ、水につかったりしてたんです。で、(電車が)止まったりしてたんで」
【兵動さん】「その当時は工場に行く人たちが結構乗っていたんですよね」
【街の人】「そうです。『日立造船』とか、向こうの方にありましたからね」
【兵動さん】「大きい工場がいっぱいあったんですか?」
【街の人】「桜島駅と安治川口駅の間にあったとこやと思いますわ。安治川口駅あたりで聞いていただいた方が」
安治川口駅があるJR桜島線、通称「ゆめ咲線」は、大阪環状線・西九条駅から分岐して、終点の桜島駅に伸びる路線。「USJ」の最寄駅、ユニバーサルシティ駅があることでも知られています。その一つ手前の安治川口駅へ。
【兵動さん】「向こうの大きな建物があるところがユニバーサルシティ駅。先ほどのお話で言うと、この(写真の)電車がこの線(ゆめ咲線)じゃないかと」
■歴史ある神社で聞き込み 橋は可動橋だった?
安治川口駅周辺で聞き込みを続けます。
歩いていくと、神社がありました。
【兵動さん】「神社やったら昔からあるやろうから。立派な神社やなぁ」
事情を説明すると、神社の宮司さんが話を聞いてくれることに。
【兵動さん】「何とお呼びしたらいいんですか?こちらの神社のお名前は」
【産土神社 宮司 東久世通正(ひがしくぜ みちまさ)さん】「産土(うぶすな)神社です」
【兵動さん】「産土神社。すごく歴史ある神社ですね」
【産土神社 宮司 東久世通正さん】「はい、(創建から)260年ほど」
【兵動さん】「260年!(写真を見せて)これ昭和50年なので、こういう光景を見たことありますか?」
【産土神社 宮司 東久世通正さん】「私が実際に見たわけじゃないですけど、可動式で上がったりするような(橋)と聞いていますけど。(そういう橋があった?)あった。今はないです」
【兵動さん】「今は皆さんUSJに行かれる時に乗る電車ですけど」
【産土神社 宮司 東久世通正さん】「今のUSJは昔の『日立造船』と『住友金属工業』の敷地にできております」
【兵動さん】「その会社の跡地が今のUSJ?」
USJが2001年に開業する以前は、住友金属工業や日立造船などの工場があり、その跡地がUSJとなったのです。
桜島線(ゆめ咲線)は、そうした工場への通勤電車として利用されてきました。
【兵動さん】「例えばお話を聞きに行くとするなら?」
【産土神社 宮司 東久世通正さん】「旧住友金属工業の『日本製鉄』さん」
【兵動さん】「この当時のお話を聞くんだったら、そちらに行かせてもらったら、いろいろ教えてもらえることもある?」
【産土神社 宮司 東久世通正さん】「それがよろしいかと思います」
■シェア100%の鉄鋼メーカー 作られていたのは…
写真について教えてもらうべく、USJの隣にある「日本製鉄」へ行ってみると、特別に工場内へ入らせてもらうことができました。
【兵動さん】「日本製鉄さんって、アメリカの会社を買うってニュースを読んだんですけど、その会社ですか?」
【日本製鉄 総務部 主幹 北村光弘さん】「『USスチール』ですね」
日本製鉄によるアメリカの鉄鋼大手「USスチール」の買収報道があったのです。そのニュースを見ていたという兵動さん。
【兵動さん】「勢いあるなぁって思っててん」
日本初の民間鋳鋼工場が開所して以来、現在に至る日本製鉄。現在の“主力商品”について紹介してくれました。
【日本製鉄 総務部 主幹 北村光弘さん】「目の前にある製品なんですが、これは鉄道用の車輪です」
【兵動さん】「電車の車輪ですか?」
【日本製鉄 総務部 主幹 北村光弘さん】「はい。当社の車輪は世界で大体(シェア)10%。日本ではシェア100%でございまして、日本でここでしか電車の車輪は作っていないんです」
【兵動さん】「えっ、新幹線とかは?」
【日本製鉄 総務部 主幹 北村光弘さん】「それも当然。大体ここで作っている電車の車輪は300種類くらい」
【兵動さん】「日本の電車の車輪って、此花で全部作られてるんですか?」
【日本製鉄 総務部 主幹 北村光弘さん】「100%。(JR)環状線も」
なんと、日本中の全ての電車の車輪が此花区で作られていたのです。
ここで特別に、車輪製造の現場を見せてもらえることに。案内していただいた先にあったのは、1959年(昭和34年)製のプレス機でした。
【日本製鉄 職員】「今年度に新しいプレス機に更新の予定がございまして。(動いているところを見られるのは)最後ですね」
【兵動さん】「熱いの来たわ!」
【日本製鉄 職員】「こちら左側に加熱炉がございまして。材料を約1280℃くらいで加熱して、こちらに搬送してプレスします」
【兵動さん】「おぉ~!大迫力やん。すごい!」
高温で加熱された材料に、プレス機で圧力をかける様子を見ることができました。その迫力に、思わず驚嘆の声を上げる兵動さん。
【日本製鉄 職員】「なかなか見られるものではありません。(プレスすることで)こちらの形状になります」
【兵動さん】「(プレスするのに)あれだけ水がいるんですね」
【日本製鉄 職員】「そうですね。“水圧9000トンプレス”といいます」
【兵動さん】「わぁ、(車輪の形が)できた。すごいわ」
■男性だけだった職場で活躍する女性たち
【兵動さん】「(プレス機は)こちらで操作をしているんですか?」
【日本製鉄 総務部 主幹 北村光弘さん】「そうなんです。この設備はまだ手動操作です」
【兵動さん】「65年前の機械だから。すごいね、オペレーターの方、女性がやられているんですけど。もう長いんですか?」
【日本製鉄 奥田亮穂さん(26歳)】「そうですね。(入社して)もう8年目です」
2016年に入社した奥田さん。女性のオペレーターがこのプレス機を操作していました。
【日本製鉄 総務部 主幹 北村光弘さん】「実は、この職場に女性が来たのは(奥田さんが)初めてなんです。もう1人女性がいて、2人同時で(女性が入社した)。(以前は)女性がいなかったので。結構、見てたらかっこいいでしょ?憧れだけではできない仕事なので、『よく考えろよ』ということで、2人には『あかん(採用できない)』と言っていたんですけど、もう彼女たちの本気度が伝わって、根負けしまして」
【兵動さん】「それでお2人がここの職場に?なんでそんなにやりたかったんですか?」
【日本製鉄 鳥井彩華さん(26歳)】「どうせ仕事にするなら車輪を作っている所に行きたくて。(車輪を)成形しているところに行きたいとなったら、ここに」
そんな2人の話を聞いた兵動さんは…。
【兵動さん】「スイーツとか、好きですか?」
【日本製鉄 奥田亮穂さん(26歳)】「めちゃめちゃ好きです」
【兵動さん】「なんか安心した。すごい、素晴らしいね。こうやって志を持っているというのはすごいですわ」
そろそろ本題へ。写真について聞いてみると…。
【日本製鉄 総務部 主幹 北村光弘さん】「昭和50年はまだ小さかったので(分からない)。構内で定年した方がまだ働いている方がたくさんいますので、OBに聞くと多分、(写真の電車に)乗ったことあるって方は多いと思いますね」
当時を知るOBを探してもらっている間に、この鉄橋の写真があるというので、見せてもらうことに。
【日本製鉄 総務部 主幹 北村光弘さん】「これが当時は珍しいということで、写真にしてパネルに貼っている。鉄ちゃん(鉄道ファン)なんかはすごく感動するみたいですね」
壁一面に大きな写真が貼られていました。確かに兵動さんが持っている写真と同じ鉄橋が写っています。
【日本製鉄 総務部 主幹 北村光弘さん】「(写真を指して)これがこれちゃいます?こっち側が歩行者用(の通路)」
【兵動さん】「これが歩行者用の通路で、こっちが…」
【日本製鉄 総務部 主幹 北村光弘さん】「電車用(国鉄桜島線)ですね」
写真について教えていただいていると、OBの方が来てくれました。
1970年入社の松浦さんに当時の思い出を伺います。
【日本製鉄 松浦和義さん(71歳)】「桜島駅が終点だったので『桜島可動橋』って言っていたのかな」
【兵動さん】「『桜島可動橋』。これが上がったところって見たことあります?」
【日本製鉄 松浦和義さん(71歳)】「(工場内を)自転車で会議とか行く時にしょっちゅう上がってましたよ。通行止めになって、会議に間に合わない」
運河で隔たれた工場と工場を自転車で行き来する時、船の往来のため橋が上がり、渡れなかったそうです。
【兵動さん】「(写真を指し)これ、結構きわきわまで(川の)水が来ているんですよ。なんでなんですかね?」
【日本製鉄 松浦和義さん(71歳)】「これは多分、高潮の時と台風の時だと思いますけどね。(増水しているということ?)そうです」
海抜0メートル地帯のため、高潮や台風の影響などで潮位が上昇していたということです。
■まさかの撮影場所に兵動さん驚き
さて、この可動橋はどこにあったのでしょうか。1980年(昭和55年)の航空写真を見ながら教えてもらうことに。
【兵動さん】「さっきの橋で言うと…」
【日本製鉄 総務部 主幹 北村光弘さん】「(航空写真を指して)ここが(日本製鉄の)本工場で、昔はここに西工場っていうのがあって」
【兵動さん】「ちょうどここ(かつての西工場)が要するにユニバーサルスタジオジャパンになっているということですか?」
【日本製鉄 総務部 主幹 北村光弘さん】「そうです。運河が多分ここから、こう来ていたと思う」
当時の運河は、本工場の目の前にありました。
【兵動さん】「橋はどのへんですか?」
【日本製鉄 総務部 主幹 北村光弘さん】「このへんですかね」
【兵動さん】「今の線路はどこですか?」
【日本製鉄 総務部 主幹 北村光弘さん】「今の線路はここなんですけど」
【兵動さん】「線路自体が(場所が)変わってもうてるねんや」
可動橋の位置を現在の地図と重ねてみると…。
【兵動さん】「俺、今からUSJ行くの!?どんな話の展開やねん!」
まさかのUSJの中でした。
【兵動さん】「着きました、USJ。どうなってこうなったんやろう」
思わぬ展開ですが、いよいよ撮影です。
【兵動さん】「この辺からこういう感じで撮った写真ということか。はいチーズ」
【兵動さん】「昭和50年と令和6年。こんなに変わりますか。良かったら皆さん、中に入って大いに楽しんでいただきたいと思います。本日の変わりよう、めちゃくちゃ楽しかったです。ありがとうございました」
(関西テレビ「newsランナー」 2024年3月1日放送)