琵琶湖の西岸を走る 地元で愛された鉄道があった 江若鉄道・近江今津駅を探してぶらり 【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2023年08月25日
【兵動さん】
「今回は『びわ湖こどもの国』に来ております。無料でたくさん遊べる遊具があって、お子さんはのびのび遊んでいらっしゃって、週末や夏休みに楽しい場所でございます」
「びわ湖こどもの国」がある滋賀県高島市は、滋賀県の北西に位置する県内で一番大きな市で、琵琶湖や比良山地など自然環境に恵まれ、多くの観光スポットがある魅力的な街です。
■線路と駅のような建物が写った古い写真 これはどこ?
【兵動さん】
「今日はどんな写真が出てくるか…。せやけどさ、これむちゃくちゃ古いでしょ」
これは1930年(昭和5年)に滋賀県高島市内で撮影された写真です。どこの風景か分かりますか?
【兵動さん】
「え~、駅やろな。前に線路があるから。(写っている人たちは)たぶんこれ建てた人たちなのか…。聞き込みしようかいうても、今日は平日なんですよ。みごとに誰もいないですね」
誰もいなくて困った兵動さん。「びわ湖こどもの国」の事務所で聞いてみることにしました。
【兵動さん】
「関西テレビの『newsランナー』っていう番組で回らせてもらってる兵動ですけども、あの、これ昭和5年の写真らしいんですけども、どこか分からへんでしょう?」
【事務所の女性】
「今津駅みたい。JR湖西線? 近江今津駅やと思います」
【兵動さん】
「これね、写真のどこを見て、なんで近江今津駅やなという感じになったんですか?」
【女性】
「私、この辺(三角屋根)にすごく印象があって。近江今津駅で降りて、高校に通っていたから」
【兵動さん】
「行ってた高校の最寄りの駅が今津やったんや。それ何年前ですか?」
【女性】
「え~…」
【兵動さん】
「あんまりいうたらね…ははは。かわいらしい。あの頃のままです。あの頃知らんけど」
【兵動さん】
「今もこの形残っています?」
【女性】
「もうこれ無いです。ここ(三角屋根)だけが残ってたんですよ。それ今は全部撤去されて、もう無いです」
【兵動さん】
「ほー、今は全然(無い)?駅はどうなったんですか?」
【女性】
「駅は今のJR湖西線の近江今津駅にもう移ってますやんか。(この当時は)『コウジャク鉄道』やったかな」
【兵動さん】
「コウジャク鉄道ってどんな字書くの?(女性が思い出しながらメモに書いてくれて)『江若鉄道』。この当時のこと分かるような人とかいます?」
事務所の奥から男性が登場してきました。
【兵動さん】
「うわ、ベテランきた。ありがとうございます。先ほど教えてもらったら江若鉄道の…」
【男性】
「江若鉄道 近江今津駅」
【兵動さん】
「江若鉄道って乗ったことあります?」
【男性】
「ありますよ。単線のディーゼル。これ浜大津まで行ってる。廃線後6~7年たって今のJRの湖西線が開通したわけ」
江若鉄道とは、湖西エリアに鉄道がなかった時代、滋賀県と福井県の若狭を結ぶ目的で、昭和6年に開通した鉄道です。残念ながら福井までつながることはありませんでしたが、浜大津駅と近江今津駅までの全長51キロの単線の鉄道は、地元の人たちにとってかけがえのない通勤・通学の足でした。また、京阪神からの観光客ら大勢の人に利用されてきました。
ところが、国鉄(現・JR)湖西線の建設が決定したことで、江若鉄道は営業を断念。1969年(昭和44年)に廃止されることになったのです。
■現在のJR近江今津駅へ移動して探索を続けます
とりあえずJR近江今津駅へ行って、聞き込みを続けることにしました。
【兵動さん】
「JR近江今津駅にやってまいりました。こちらはJRの湖西線ですね。私が今探しているのは『江若鉄道の近江今津駅』ではないかと言われているところなんですよ。ちょっと聞き込みたいなと思てるんですけど。ここにね商店街があるのよね。ちょっと商店街行ってみますか」
【兵動さん】
「こちらが商店街(ローラン名小路商店街)。今日はお休みなんかな」
【兵動さん】
「こんにちは。何屋さんですか」
【フジハシスポーツ店主 藤橋幹也さん(49)】
「スポーツ屋です。スポーツ用品店です」
【兵動さん】
「え~そうなんや。いいですか、中に入れてもらって。子どもの時よく、スポーツ用品店にグローブ見に行ったね。おばあにねだって買うてもろうたわ。昔、こう見えても野球部やったんで、中学の時」
「今こういうTシャツはやってるよな。(文字が書かれたTシャツを手に取って)すごいすね『三重殺(トリプルプレー)』、『守備固め』。こういうの『ののしり合って、怒鳴り合って。そうやって育つ信頼関係もある。』これ子どもに渡そうかな」
【兵動さん】
「ここでスポーツ用品店されて長いというか、もう何年間くらいやられてるんですか?」
【店主の母 藤橋市子さん(85)】
「ここに来てからはね、昭和50年からですさかい。湖西線がここに開業したときにここに店を移してきました」
【兵動さん】
「息子さんはそのあと継いで?」
【藤橋幹也さん】
「はい、そうです」
【兵動さん】
「なんか居酒屋感がすごい。ものすごい前掛けが黒くなってますけど、何かやってはりますの?」
【藤橋幹也さん】
「これは、子どもとか生徒さんが持ってきたグローブとかを修理して」
【兵動さん】
「職人さんや。修理してくれんねや。そういうことやられてんねや」
【兵動さん】
「あの昔の写真を持って、おんなじとこから写真を撮るというコーナーをしていまして。これね、お母さまの方が分かるのかな」
【藤橋市子さん】
「前の今津駅やね。高校の時にここで降りたり」
【兵動さん】
「昔はみなさん江若鉄道によう乗られてたんですか」
【藤橋市子さん】
「そりゃ乗ってきました。今思うとあんなことが許されたんかなぁと思うことがあって。新旭駅(近江今津駅から3つ目)から乗ってきまっしゃろ。ほしたら(列車の)ドアが開いたまま。男の人がドアの両端の棒を持って体を外に出したまま乗ってきて、カッコつけて」
【兵動さん】
「そこにみんな乗られへんから、棒持って、体ちょっと出てもうてるぐらいの乗り方の人が?」
【藤橋市子さん】
「そんな人がいはった。毎度。今、大阪にいはんねんけどね。同級会で来はるやろ、『あら~あの人、あんなことやってきたな』と思って」
【兵動さん】
「ほなやっぱり思い出ですね。このかいわいのみなさんには思い出の鉄道、江若鉄道いうたら」
【兵動さん】
「さっきも聞いてんけど、こっから上(建物の三角屋根)は、最近まで残っていたと聞いたんですけど」
【藤橋幹也さん】
「そうそう。この線路が通じているところが、商店街抜けたところ。(商店街を)突っ切って行ったところの道が、たぶん(写真に写っている)この前の線路になる」
商店街を抜けたところが江若鉄道の線路跡だというので行ってみると…
【兵動さん】
「この商店街を抜けて、この道路っていうことかな。なんかすごいわ、あるわ。『江若鉄道記念通り』。だから、ここ(車道)が線路やったんちゃうかという」
全長51キロの江若鉄道で、その線路跡だと分かる場所は、ここ以外ほとんど残されていません。
■話を聞きに入ったロウソク屋さん「うちのおじいちゃん、江若鉄道で働いていました」
線路跡を歩いていると、気になるお店を発見しました。
【兵動さん】
「ロウソク屋さんちゃう?あの赤の看板」
大正3年に創業した和ろうそくの店「大與(だいよ)」。100年以上たった今も変わらず、天然の植物だけで作る製法を守り続け、さまざまな製品を生み出しています。
【兵動さん】
「これ昭和5年の写真なんです」
【4代目 大西巧さん(44)】
「これは江若鉄道の駅ですよね。うちのおじいちゃん、江若鉄道で働いていました」
【兵動さん】
「えー、あーそうなんですか。え?おじいちゃんここのロウソク…」
【大西巧さん】
「ロウソクだけでは食べていけなかったから、ロウソクやりながら江若鉄道に勤めて」
ロウソク屋さんで、江若鉄道に勤めていたというおじいさんの妻と息子さんに話を伺います。
【兵動さん】
「失礼ですけど、お母さまおいくつになられるんですか?」
【2代目の妻 大西みよさん(97)】
「私、97歳」
【兵動さん】
「えーすごい。ロウソクだけで食べていかれへんから、江若鉄道で勤めたっておっしゃっていたんですけど、そんなことないですよね?」
【大西みよさん】
「いや、戦争でした」
【3代目 大西明弘さん(71)】
「ロウも軍需物資みたいなところあるから、入ってきーへんのやね。ロウをとる人も九州の人なんかもいないから、ロウもとれないしね。材料が入ってこない」
【大西明弘さん】
「おやじはレールとか鉄道そのものの保守点検する仕事をしとったから。冬なんかよく雪が降ったやんか。温かい味噌汁とか、ご飯の用意とかこの人(大西みよさん)がしてね。僕はまだ中学生ぐらいやけど、大きな風呂敷にお味噌汁の大きな鍋を包んで『持っていってこい』いうて、冬、そこの小屋まで持って行った記憶がある」
【兵動さん】
「へーすごい思い出。よう乗ったんですか?江若鉄道」
【大西明弘さん】
「よう乗ったな。タダやったからな。“家族証”くれるんよ。ロウソクの配達で、そのころは車ってあらへんやんか。手で(ロウソクを)持って京都とか、配達とか納品に行かんといかんからね。鉄道が足やからね、この辺の人にとっては」
【兵動さん】
「江若鉄道に乗ってて景色はきれいなんですか」
【大西明弘さん】
「きれいやった。そのころは思わんけど、今から思たら、きれいやねやっぱり。白髭神社の鳥居を見ながら走ったり」
【兵動さん】
「そうやってみんなの思い出があって、走っていた江若鉄道がなくなるいうんはやっぱり寂しかったですか?周りのみなさん」
【大西明弘さん】
「やっぱり残念やね。なくなることは。確かに」
大西さんが部屋の奥から写真を持ってきました。
【大西明弘さん】
「ちょっと見てみて。ついこの間の(近江今津駅を)解体する前の写真」
実は、2年前まで江若鉄道の終着駅だった「近江今津駅」の旧駅舎は残されていました。
【大西明弘さん】
「(2年前まで残されていた旧駅舎に)うどん屋さんもあったし、サウナみたいなもんもやってたし。最後は資料館にしようという話になってきつつあったんやけど、残そうという力が弱まってなくなってしまった。惜しいな」
【兵動さん】
「そうか、惜しいな」
昭和6年に江若鉄道が全線開通する1年前に完成した近江今津駅は、91年の時をへて解体されたのです。
■地元のみなさん思い出いっぱい 三角屋根の旧駅舎があった場所にたどり着きました
【兵動さん】
「もしよかったら、ここ(写真)とおんなじ角度で撮りたいんですけど、連れて行ってもらえますか」
【大西明弘さん】
「ええ、いきましょうか」
写真の撮影場所まで案内してもらいました。
【兵動さん】
「あーそうか、この前が線路。分かりました、いきましょう。はいチーズ」
【兵動さん】
「江若鉄道という、このかいわいの方にものすごい愛された鉄道があったと。本当にいいお話が聞けました」
(関西テレビ「newsランナー」2023年8月18日放送)