「僕より先に死なないで」 アスベスト原因のがん『中皮腫』 自らも病に苦しみながら患者を笑顔で励まし続けた7年間 右田孝雄さんが遺してくれたもの 2024年06月28日
「右ちゃんが大切にしていたピアサポートをできる限りやっていこうと思っています。見守っていてね、右ちゃん。右ちゃん、出会ってくれてありがとう」
潤んだ瞳でそう話した女性。そして、たくさんの花…。
「僕より先に死なないで」。そう言って、患者たちを励まし続けた男性が旅立ちました。
余命宣告を受けてから、同じ病気で苦しむ人たちをつないできた7年間。その生きざまとは。
■身近だったアスベストで… 年間1500人以上が死亡
かつて多くの建物に使われていたアスベスト。
数十年前にアスベストを吸い込み、がんの一種「中皮腫」を発症する人が今も多くいます。
余命宣告を受けても、患者たちのリーダーとして明るく励まし続けてきた男性が、今年3月に亡くなりました。男性の遺志は、残された仲間たちに引き継がれています。
6月16日。男性の写真を前に、大勢の人が花を手向け、手を合わせていました。
【中皮腫患者】「右田さんは色んな活動を通じて患者と家族に寄り添った方だと思います。右田さんの遺志を継いでキャラバン隊もがんばってまいりますので、よろしくお願いします」
右田孝雄さんの生きざまは、多くのものを仲間たちに遺してくれました。
【和歌山ろうさい病院 医師】「腫瘍がそれなりに大きくなっていると思う」
右田さんは2016年に、アスベストが原因とされるがん「中皮腫」で余命2年と告げられました。
高い断熱性や耐久性から、かつては“奇跡の鉱物”と呼ばれた石綿=アスベスト。
駅や学校など、私たちの身近な建物にも多く使われました。
日本では2004年に使用が原則禁止になりましたが、中皮腫はアスベストを吸ってから発症するまで長い潜伏期間があることから、死亡者数は増え続けているのです。今も、年間で1500人以上が亡くなっています。
【右田孝雄さん】「自分が中皮腫になった時に右も左も分からなかった。アスベストが原因って数十年たってから発症して、なんで自分やねんって」
希少がんゆえに情報も乏しい中皮腫。同じ思いを抱える患者やその家族が、全国にいました。
【右田孝雄さん】「(病気に)負けないぞという気持ちをみんな持ってほしいなと思います」
自らも当事者として、患者たちに励ましの言葉を口にする右田さん。
【中皮腫患者の家族】「本当どうしていいのか分からなかった」
【中皮腫患者の家族】「どこから手をつけてもいいのか分からなかった。助かりました」
【右田孝雄さん】「がんばってください」
患者同士をつなぐ自身の取り組みについて、右田さんは次のように語っていました。
【右田孝雄さん】「受け入れられないことがみんなに起きているわけでしょ。そこで悩んで、悩んで。一人で悩んで落ち込んでいく。その落ち込みを『がんばろうや』って引き上げてあげるのが患者同士ちゃうかなって」
「中皮腫サポートキャラバン隊」を結成し、孤独だった患者をつなげていった右田さん。明るく振る舞うその姿は、いつしか患者たちの希望になりました。
■ウェブサイト作成や国への要望 患者の未来のために
仲間と共に、ウェブサイトの作成にも取りかかりました。
【右田孝雄さん】「(ウェブ上で中皮腫について書かれていることは)中皮腫の患者は予後が悪いとか、治療法とか難しい言葉しか書いていないから、その中でもがんばって生きている人、長期に生きている人がいるというのを分かってもらえるものを作りたい」
同じ中皮腫患者で、右田さんと共に患者たちのために尽力した栗田さんも…。
【栗田英司さん】「(患者は)お年寄りが多いじゃないですか。いくらテキストでやっても読まないんですよね。中皮腫になったらどうするかという映像を撮っていくとか」
さらに、治療法が少ない中皮腫の医療体制の充実を国に要望するなど、“患者の未来”のために動き続けました。
【右田孝雄さん】「生きるために仕事しているんやろ。だったら、患者が生きられるようにしてくれよ!」
そして、思いを込めた患者のためのウェブサイトが完成。
【右田孝雄さん】「中皮腫患者が中皮腫患者のために作ったポータルサイトです。一人でも多くの方の参考になるように作りました」
ウェブサイトには、治療法や闘病の体験記などをまとめました。患者が明るく前向きに生きられるようにと願って…。
しかし、無情にも訪れる仲間の死。
【右田孝雄さん】「複雑なんよ。俺もそうなるかもしれへんなって。こんなに元気だけど、自分もそういう運命を歩むのかって思ってしまうな」
患者や家族との交流会で、右田さんが口癖のように言っていた言葉があります。
【右田孝雄さん】「一つだけお願いがあります。僕より先に死なないでください。僕は死ぬまで元気ですから」
余命宣告を受けた日から7年が過ぎ、一人で歩くことが難しくなっても、できることをやり続けました。
【右田孝雄さん】「困ったことがあったらキャラバン隊に遠慮なく相談していただいて。患者としておこがましいんですけども、私ども力になれると思うので、よろしくお願いします」
右田さんが苦しい時には、全国から仲間たちが来てくれました。
【訪れた仲間】「本当みんな右田さんに救われた、患者さんたちも家族も」
【右田孝雄さん】「いえいえ、僕が救われているんです」
【訪れた仲間】「右田さんのおかげで私も今こうしてられるから。そうじゃなかったら一人でどうしていたんだろうと思うよ。支えがなかったら何もできなかったと思う」
【右田孝雄さん】「こうしてつながっていってね」
【訪れた仲間】「右田さんがみんなつないでくれた」
右田さんは今年3月、59歳で亡くなりました。
6月に行われた右田さんを偲ぶ会には、多くの仲間たちが参加しました。
右田さんの遺志は、残された人たちが引き継いでいきます。
仲間のうちの一人が、旅立った右田さんへ語りかけるように、今後の活動について改めて決意を口にしました。
【仲間の女性】「右ちゃんが栗ちゃん(栗田英司さん)と築きあげた『中皮腫サポートキャラバン隊』。右ちゃんが大切にしていたピアサポートをできる限りやっていこうと思っています。見守っていてね、右ちゃん。右ちゃん出会ってくれてありがとう」
患者の先頭に立って走り続けた右田さん。その姿に救われた人たちが、大勢います。
(関西テレビ「newsランナー」2024年6月27日放送)