26歳で脳出血 後遺症『高次脳機能障害』を抱えて育児 同じ障害に苦しむ人の支えに「闘病記」出版を決意「仲間や家族の力にもなる本に」 2024年06月30日
物事が覚えられない、難しいことが考えられない。
そんな障害がありながら、子育てに奮闘する一人の母親が闘病記を出版します。
本に込めた母の思いとは。
■脳出血の後遺症を抱えながら子育て
「記憶の障害であったりとか、失語とか、長文を理解できなかったりとか」
自らの障害についてこう話すのは、北島麻衣子さん(39歳)。
一見すると分かりにくいですが、視界の右半分が見えない上、「高次脳機能障害」があります。
北島さんは、26歳の時に突然、脳出血を起こしました。
一命は取りとめたものの、後遺症として「高次脳機能障害」が残りました。
“見えない障害”ともいわれる、高次脳機能障害。
彼女の場合、症状は新しいことを覚えづらい、難しいことが考えられない…。また、段取りを立てることも苦手です。
【北島麻衣子さん】「順番が分からなくなるんですよ。何から準備をしたらいいかっていうのが分からなくなるんで。(料理するために)まず材料を用意するじゃないですか。今日はカレーを作る。メニューが決まりました。これから切る、次はこれ切る、次はこれ切るっていう風に、順序を確認してから、最初は紙に書く。どういう順番でやるか、っていうのをやっていました」
また、物の形をうまく認識することもできません。
【北島麻衣子さん】「包丁って置いてあったら普通にここ(持ち手)を持つじゃないですか。だけど持ち方が分からなくて、最初この刃の部分を持とうとしたり」
今でこそリハビリで改善はされているものの、まだ簡単な料理を作るのにも時間がかかります。
北島さんが脳出血を起こした時は、長女が小学生になる前で、さらに長男を妊娠しているという状況でした。
障害と戦いながらの子育て。さらには、見えない障害だけに周囲に理解されにくく、苦しんできました。
■同じ障害に苦しむ人の支えに…“闘病記”の出版
今年2月のある日、大阪を訪れた北島さん。
障害の影響でうまく道を覚えることができないため、大阪で専門学校に通う長女の菜々美さん(19歳)が付き添っていました。
【長女 菜々美さん】「1人は不安そうだったので私が送りに来ました」
目的地は「闘病記の森」。1200冊以上の闘病記だけを集めた図書館で、本を集めるだけでなく、出版のお手伝いもしています。
北島さんも「闘病記」を出版しようとしているのです。
【北島麻衣子さん】「娘が小学1年生になったので、ほぼほぼ私、娘と同じくらいの言語レベルだったんですよね、最初。子どもが持って帰ってくるドリルを一緒に解いたり、していることが娘と同じ感じでした」
「泣きながら(計算ドリルを)一緒にしていたというのを…そういう壮絶なところもあったし、家族がこういう風にかかわってくれてというのがあるから、今の私があるというのも伝えたいなとも思ってる」
同じ障害に苦しむ人の支えになれば…。自らの経験を本に込めようとしている北島さん。
そんな母親について、長女の菜々美さんは…。
【長女 菜々美さん】「行動力がすごくて、いろんなところに電話をかけて、『この制度ありますか?』みたいな。家でも勉強とかしていて、がんばっているところを見てきたから、本を出すって言った時はびっくりしたけど、応援したいです」
北島さんは持ち前の行動力を生かして、3年前に「かけはしプロジェクト」という会社を設立。
同じ障害があるお母さんの居場所づくりのため、月に一度、オンラインサークルを開いています。
この日は、子育てを始めたばかりの、0歳児のお母さんが初めてサークルに参加しました。
【0歳児の母】「落ち込んだ時、『あっ、できない』とか、今までできていたことができないみたいなことが…発症したばかりなので、落ち込むことが結構あって、どうやって切り替えているのかなっていうのは聞きたい」
【北島麻衣子さん】「泣けるだけ泣きました。泣きたい時に、つらい時は泣く。落ちるだけ落ちて。私たちってどん底を経験しているじゃないですか。そこからは上がっていくだけなんで、そういうときは落ちるだけ落ちて、泣きたい時は泣く」
「ここだったら同じ経験をした先輩ママとか、今まさに同じ年齢の子どもを育てているママと、『あー、分かる分かる』とか、『そういう時はどうしてる?』とか気軽に聞けるじゃないですか。そういう場って絶対必要なんで。というか、私がほしかったので、当時」
■「不安は常にあった」当時を振り返る
6月、再び北島さんは徳島から、「闘病記の森」がある大阪に来ました。
長男の司くん(12歳)がついてきてくれました。
【北島麻衣子さん】「心強いです。全然違います。一人で来るのは不安なんで」
今回はより具体的に、実際にどんな時に北島さんが障害で苦しんだのか、当時の出来事を振り返っていきます。
【北島麻衣子さん】「こっちが(トイレの)タンク側やとするじゃないですか。便座ってこう座るじゃないですか。こうじゃなくて、後から見たら、私こっち向きで座ってたんですよ、便座に。横向きに(座って)用を足してたんですよ」
【北島麻衣子さん】「どんどん今の自分の置かれている現状を知ってきた。道には迷う、一人でどこも行けない、お風呂も一人で入りに行かせてくれない。こんな体で私、今から生まれて来る子どもを育てられるんだろうかとか、家に帰っても娘の子育てできるんだろうかとか、不安は常にあったんです」
そんな話をしている中で、司くんにこう語りかけました。
【北島麻衣子さん】「あなたがおなかにおる時やからね、知らんと思う」
司くんにとっては、初めて聞くことばかりだったのです。
Q.お母さんの話を聞いてどう思った?
【長男 司くん】「(自分が)障害も持ってないし、産んでくれてありがとうって」
北島さんは、闘病記を単なる記録にはしたくないと思っています。
【北島麻衣子さん】「『闘病記が医療資源になる』って言葉が、心にすとんって入ってきて。支援者の方が見ても、医療関係の方が見ても役に立つ。同じ仲間には背中を押せる本になってほしいし、ご家族の方の力にもなる本になってくれたら一番うれしい」
(関西テレビ「newsランナー」 2024年6月25日放送)