いわゆる「森友学園問題」では、国によって公文書が改ざんされるという、“前代未聞の事態”が起きました。この改ざんの実作業を担当したことを苦に、うつ病を発症し、自ら命を絶ったのが財務省近畿財務局で働いていた赤木俊夫さん(当時54歳)です。赤木さんの妻の雅子さんは、「公文書改ざん問題」の真実を知るために、裁判を戦っています。
「公文書改ざん問題」については、いまだに明らかになっていないことがたくさんあります。組織的な不正があったことは財務省も認めていますが、誰が誰にどんな指示をして、どのようにその指示が現場の近畿財務局に下りてきて、改ざんの作業が行われたのか、具体的なことはほとんど分かっていません。
自分の夫が、職場で組織ぐるみの不正に巻き込まれ、自殺した。しかし、不正行為を主導したとされる幹部職員からの謝罪もなければ、職場からの具体的な説明もない。その職場がつくった調査報告書では、不正行為の実態がほとんど分からない。そんな状況に立たされているのが、赤木雅子さんです。
雅子さんが戦っている裁判は、大きく分けて2つあります。
■1つは、改ざん行為を主導したとされる、財務省の佐川宣寿元理財局長に「損害賠償」を求める裁判。
■もう1つが、この問題に関連する「文書の開示」を求める裁判です。
■裁判その1 「当事者から話を聞きたい」
1つ目の裁判からみていきます。この裁判の大きな目的は、「尋問」という手続きに持ち込み、佐川氏をはじめとする財務省や近畿財務局の職員たちから、法廷で直接話を聞くことでした。
現在、被告は佐川氏だけですが、元々は「国」も被告となっていて、国に対する損害賠償の請求額は1億円以上でした。しかし、2021年に国は突然、「認諾」という手続きを取り、強制的に裁判を終結させました。認諾とは、相手の訴えを全部認めることです。国は1億円以上の賠償額を全額支払うことで、問題をこれ以上追及されることを避けたのです。
となると、雅子さんは佐川氏との裁判で、尋問の実現を目指すしかなくなったわけですが、いま、非常に厳しい状況となっています。一審の大阪地裁は、佐川氏と職員らの尋問を認めず、去年11月に訴えを棄却。そして、9月13日に始まった控訴審でも、大阪高裁は尋問を認めず、即日結審しました。あとは判決を待つばかりです。
■なぜ裁判で話を聞かないのか? 国家賠償法の高い壁
裁判所はなぜ、佐川氏らの尋問を認めないのか。その理由が、「国家賠償法の高い壁」です。国家賠償法には、国家公務員や地方自治体の職員が、公務の中で誰かに損失を与えてしまった場合、国や自治体が賠償を肩代わりすることが明記されています。言い換えれば、公務員個人が公務でやったことの責任を問われることはありません。この考え方を支持する最高裁の判断もあり、これまで判例が積み重ねられてきました。裁判の中で雅子さん側は、「組織ぐるみの不正行為は、そもそも公務とは言えないはずだ」と指摘してきましたが、今のところ、この主張を裁判所は採用していません。実は、とてつもなく高い「法律の壁」と、雅子さんは戦っているのです。
大阪地裁・高裁は、次のような思考回路で、尋問を却下してきたとみられます。
佐川氏個人に責任を取らせることができないという“結果”は揺るがない。 →わざわざ裁判の中で事実関係を調べる必要はない。→尋問を行って、当事者たちから話を聞く必要はない。
控訴審でも、雅子さんの訴えが棄却される可能性は、非常に高いといえるでしょう。また、仮に控訴審で棄却され、雅子さんが上告したとしても、最高裁で尋問が行われることは原則あり得ません。最高裁は事実関係を争う場ではなく、これまでの判決が憲法や法律に違反していないかを判断する場だからです。
最高裁が判決を差し戻し、尋問が開かれる可能性はゼロではありませんが、非常に低いと言えます。9月13日、控訴審の法廷で裁判所が示した判断は、「佐川氏から法廷で直接話を聞く」という雅子さんの望みを、事実上、絶つようなものだったと考えられます。
雅子さんは、結審後に記者会見を行い、次のように述べました。 「本当に悲しいって感じです。同じ人間なのに、軽んじられているんじゃないかなって思って。(佐川さんは)1人の人間として、言葉を、文書でも何でもいいので返事をいただきたい」
■裁判その2 検察に提出された文書の公開を請求
2つ目の、「文書の開示」を求める裁判についても、みていきます。
森友問題をめぐり、検察は当時、“2つの疑惑”で国を捜査していました。1つは、大阪府豊中市の国有地を8億円以上値引きして売却したことによって、国に損害を与えた背任の疑い。もう一つが、この土地取引に関する公文書を、組織ぐるみで改ざんした疑いです。これらの“疑惑”は、どちらも後に、不起訴処分となりましたが、この捜査の過程で、財務省と近畿財務局は検察に対し、関連書類を任意で提出していたとみられます。
雅子さんは、2021年、財務省と近畿財務局に対し、文書の開示を請求しましたが、回答は「特定事件における、捜査機関の活動内容を明らかにし、あるいは推知させることになるため、その存否を明らかにしないで開示請求を拒否する不開示決定とする」といったものでした。つまり、「書類があるかないかも答えない」という、“ゼロ回答”。 この不開示決定の取り消しを求めているのが、2つ目の裁判です。
この裁判で9月14日、大阪地裁(徳地淳裁判長)は、雅子さんの訴えを棄却しました。
「文書を公開すれば捜査の手法や内容がわかる恐れがあり、今回と同じような事件や行政機関が対象となる事件で、証拠隠滅が容易になる可能性があり、将来の捜査に支障が及ぶ」として、国側の主張を全面的に認めた形です。
■“勝ち筋”だったのに…意外だった判決
実は、雅子さんの弁護団にとって、この判決は意外なものでした。佐川氏を相手取った裁判とは違い、“勝ち筋の裁判”だと見ていたからです。そもそも、森友事件についての捜査は、不起訴という形で終結しています。そして、検察が事件捜査の中で、ありとあらゆる資料を調べることは“公知の事実”なので「将来の捜査に支障が及ぶ」とする国側の主張には、かなりの無理があると弁護団は考えていました。
もちろん、弁護団の見立てを聞いていた雅子さんにとっても、この判決は予想もしていなかった内容です。期待と結果とのギャップが大きかったからか、雅子さんは、判決の言い渡しの最中に法廷で倒れました。椅子から滑り落ちるように、床にうずくまって立てなくなり、弁護士の膝にしがみついて何とか体を支えている様子が、傍聴席からも確認できました。判決の言い渡し後に予定されていた記者会見も、急きょキャンセルになりました。
裁判所から帰る雅子さんに、歩きながら少しだけ話を聞くことができたのですが、「突然耳に幕がかかったような感覚で何も聞こえなくなって、目の前にシャッターが下りたように視界が暗くなった。気が付いたら弁護士の脚にしがみついていた」と話していました。
■もし請求が認められていたら何が分かったのか?
この裁判で、“出てくるかもしれなかった文書”とは、どのようなものだったのでしょうか。
赤木さんは、公文書改ざんについての情報や経緯をまとめた資料を、職場に残していました。これは「赤木ファイル」と呼ばれています。この赤木ファイルも、当初、国は「有るか無いかも明かせない」という態度を取っていましたが、損害賠償請求訴訟(現在は終結)の中で裁判所に促される形で開示し、日の目を見ることになりました。
ただ、赤木ファイルはあくまで、“赤木さんが知りうる範囲”の情報をまとめたものです。赤木さんは財務省の出先機関である近畿財務局で働く、いわば“実働部隊”だったため、「財務省の本省内でどんなやり取りがあったのか」という、雅子さんが本当に知りたいことは、赤木ファイルには書かれていませんでした。
また、財務省は調査報告書で、「佐川氏が改ざんの方向性を決定づけた」としていますが、具体的にどんな指示があったのか。幹部・キャリア官僚の誰が関わっていて、どのような意思決定プロセスがあったのか、その実態は、ほとんど分かっていません。もしかしたら、佐川氏のさらに上の立場の人物の関与もあったかもしれません。
そういった“真実”が分かる可能性があったのが、雅子さんが開示を求めていた資料です。検察が事件捜査の過程で、財務省から回収した資料の中には、たとえば、「幹部職員の会議の議事録」や、「具体的な指示内容が記載されたメール」などが、含まれていた可能性があります。その意味で、今回の判決によって「真実がまた一つ、遠ざかってしまった」と言えるのではないでしょうか。
■赤木さんの遺品 「国家公務員倫理カード」
赤木俊夫さんの死後、雅子さんが遺品を整理していると、いつも使っていた手帳が出てきました。その中には「国家公務員倫理カード」が挟まれていました。公務員に配られるもので、倫理行動基準セルフチェックという、いくつかのチェック項目があり、たとえば「国民の疑惑や不信を招くような行為をしていませんか?」などと書かれています。俊夫さんはこのカードを肌身離さず、毎日持ち歩いていたようで、カードは擦り切れていました。
この擦り切れた倫理カードを見たとき、雅子さんは「夫は本当に真面目な公務員だったんだ」「だからこそ、改ざんに手を染めてしまった事実が本当につらかったのだろう」と、改めて感じたそうです。そして、こう話します。
「現場には、夫と同じような“国民の方を向いた”公務員の方たちが、たくさんいると思うんです。そんな方たちが今も、文書を隠したり、黒塗りにしたり、そんな仕事をさせられているわけでしょ。想像すると胸が痛い。二度と夫と同じような人が出てほしくないんです」
世間には「お金目的だろう」とか、「政権を倒したいのか」とか、そういった声もありますが、取材をしていると、雅子さんにそんな目的がないことが分かります。職場の職員たちから直接話を聞きたい。いつ、誰が、どんな判断で不正行為を働くことを決め、その後どのように指示が行き渡り、自分の家族が死に追い込まれたのか。「公文書改ざん問題の真実が知りたい」 という思いが、雅子さんをつき動かしています。
14日の判決を受けて、財務省は次のコメントを出しました。
「森友学園案件については、引き続き、真摯にできる限りの説明をしてまいりたいと考えております。」
「真摯な説明」を聞けることを求めて… 雅子さんは控訴する方針です。
(関西テレビ報道センター記者 諸岡陽太)