17年間の「ひきこもり」 当事者が体験を語る 中学校の授業についていけなくなり 自信喪失、虚無、被害妄想… 再出発のきっかけは精いっぱいの“SOS” 2023年07月31日
146万人ー内閣府がことし3月に発表した、15歳から64歳の人で、「ひきこもり」状態にあると推計される人の数です。
ひきこもりは、まさに「社会問題」といえますが、今回、17年間自宅に引きこもった経験がある男性を取材しました。
男性は何を思い、長期間引きこもることになったのか、そして、今伝えたい思いを聞きました。
■授業についていけなくなり…17年間の「ひきこもり」に
兵庫県丹波市の、知的障害がある人などが利用する福祉施設、社会福祉法人恩鳥福祉会「たんば園」。利用者たちと一緒に自動車部品をつくったり、アドバイスしたりしているのは、職員の糸井博明さん(49)。
4月から働き始めたばかりで、「生活支援員」として、障害がある人たちの自立をサポートする仕事をしています。
「みんなと一緒に作業ができることが楽しいです」と話す糸井さん。実は14歳から31歳まで、17年間自宅に引きこもっていました。
糸井さんは、3人兄弟の次男として、京都府宮津市で生まれ育ちました。母方の祖母と、父親、母親、兄、弟との6人暮らしだった糸井さん。
異変が起きたのは、中学1年の頃。授業についていけなくなり、成績が下がり始めたのです。同級生に追いつけず、劣等感が増していきます。
しかし家族に相談しようにも、当時祖母と父親の仲が悪く、父親はそのストレスを、物にあたったり、壊したりして解消していました。そんな父親を前に、家でもおびえるような毎日。とても、相談することはできませんでした。
糸井さんは、「祖母や父親の顔色をうかがい、どうすり抜けようか、生き延びようか考えていた」と振り返ります。
糸井さんは、中学2年のある日を境に学校にいけなくなり、いつしか、自分の部屋から出られなくなってしまいました。糸井さんは、当時の心境について、「引きこもる期間が長くなればなるほど、外に出ることが怖くなっていった」と話します。
【糸井博明さん(49)】
「社会の圧迫感とか一般論とか世間体とかにさらされるんで直視できない。十何年、周回遅れで同級生がもう大人になったり、社会人になったり家庭を持ったりしているのに、私がそこに出ていったら、私というちっぽけな存在はつぶれてしまうんだと。ここだけが私が辛うじて生きていける最小限の空間。虚無というか、何もない空間の中で、この部屋の中が私の世界だったかもしれないです」
引きこもっている間、糸井さんは家族も含めて、誰とも会話することはなく、部屋の窓から外を見ることもありませんでした。外との唯一の接点はテレビ。NHKの教育講座を書き写すことが日課でした。
一方、この状況に家族は困惑します。当時から、自宅で美容室を営んでいる、母親の綾子さん。仕事で忙しい中、息子がなぜ引きこもってしまったのか分からず、話すきっかけすらつかめませんでした。しかし、誰にも相談できなかったと言います。
綾子さんは当時のことを、「私が(糸井さんのいる)2階に上がってご飯を食べようって言っても、部屋の戸につっかえ棒のようなものをかけて開けてくれなかった。悲しかったが、どうしようもなかった」と振り返ります。
■15年目過ぎた頃…心と体が悲鳴 再出発のきっかけは精いっぱいのSOS
1年、また1年と、時間だけが過ぎ、ひきこもり始めて15年を過ぎた頃、糸井さんの心と体が悲鳴を上げ始めました。髪はひざ下まで伸び、歯もかけ、「誰かが襲ってくるかもしれない」という被害妄想も出てくるようになりました。
「このままでは死ぬ」。そう思った糸井さんは、生きた証しを残そうと、紙テープで血染めの歯形をつくりました。それを近くの病院に送るため、手紙にしてポストに投函したのです。糸井さんなりの、精いっぱいのSOSでした。
【糸井博明さん】
「歯が痛いとか歯医者に連れて行ってくれとか、学校にもう一回行き直したいとか(両親に)言えたら、何かきっかけになったかもしれないけども、それをする力も信頼も失われていたんです。信頼感も。だから、送りつけることで、誰か気づいてくれたらと」
その行動がきっかけとなり、糸井さんは家を出て、精神科のある病院の閉鎖病棟に入院しました。そして、統合失調症と診断されます。その時31歳。引きこもってから、17年がたっていました。
■寄り添ってくれる人との出会い 今度は「誰かを支える仕事したい」
数カ月して症状が落ち着き、実家に戻った糸井さん。再出発は、精神障害などがある人たちが利用する福祉施設から始まりました。
【糸井博明さん】
「同級生に追いつけるとか、学歴、職歴収入で追いつけるかとか、恋愛とか結婚希望を持ってもいいのかとも思いましたけど、どこまでいけるのかっていうのを試してみたい」
社会に出て、他の人と同じよう働きたい・・・そんな糸井さんの思いに寄り添ったのが、当時、施設の職員だった下垣啓さんです。下垣さんによると、作業所に通い始めた頃の糸井さんは、「常に人を避けているような様子で、誰かと会話することもあまりなかった」と言います。
下垣さんはそんな糸井さんを否定せず、知り合いに頼んで糸井さんと一緒に職場見学をし、夜通し悩みを聞くこともありました。そうするうちに、糸井さんも少しずつ、自分の身の上話をしてくれるようになったと言います。
【下垣啓さん】
「お金もうけがしたいんです。就職はしたいんですと、誰でもね、当たり前の生活がしたいというのがやっぱり基本だと思うんでね。こちらも支援してあげたいというかね、一緒にやってあげたいと」
糸井さんは、施設に通いながら、自動車の運転免許も取得。教習所に通うお金は、母親の綾子さんが出してくれました。糸井さんは、周囲の人に見守られながら、少しずつ、自信を取り戻していきます。
34歳の時には豆腐店に就職。その後も、郵便局で9年ほど働いたり、佛教大学の通信課程を7年半かけて卒業するなど、こつこつ自分のペースで努力を続けてきました。
そんな中、芽生えたのが「今度は自分が、誰かを支えられるような仕事がしたい」という思い。福祉施設への就職を希望する中、採用してくれたのが、今の職場でした。
【恩鳥福祉会たんば園・足立一志施設長】
「(糸井さんは)僕ら以上に感性のまた違うものを持っているだろうし、洞察力も違うだろうし。より近くの目線で、(利用者に)接することができるのかなと思います」
糸井さんは、ゆくゆくは、社会福祉士などの資格を取り、利用者の相談に乗れるような仕事ができるようになりたいと話します。
糸井さんは、ことしの春から実家を離れ、職場に近いアパートでひとり暮らしを始めました。始めたばかりの仕事に、慣れないひとり暮らし。悩みやストレスなどで口の中がやけどのあとのように痛み、眠れない日も。今でも抗精神病薬を服用しています。
「ストレスを感じている自覚はある」という糸井さん。それでも、「今が幸せ」と話します。
【糸井博明さん】
「一歩踏み出してきたからこそ、今の、むちゃくちゃ幸せな環境があると思っているんで。だからそこは引かずに。しんどいけども進もうと思っています」
たんば園でもらった初任給を使って、母親の綾子さんと一緒に回転すしを食べに行ったという糸井さん。綾子さんは、そんな糸井さんをうれしさ半分、心配半分の心持ちで見守っています。
「早くいい結婚相手が見つかって欲しい」そう話す綾子さんに、糸井さんは恥ずかしそうにうつむきました。
■これまでの自分の半生を本に 「こういう生き方もできる」と伝えたい
糸井さんは今、自分の半生を書いた本を自費出版しようとしています。2022年、ひきこもりの支援活動を通じて出会った藤原りつさんに、自身の身の上話をしたことがきっかけでした。
【藤原りつさん】
「お話を聞かせていただいて、私はどんどん引き込まれていきましたので、糸井さんに本に書いてくださいよとお願いしました。私だけではなくて、もっと多くの人がその本に触れることができて、影響を受ける方がいらっしゃると思いますと」
糸井さんは、「自分の人生に意味があると言ってくれたことがうれしかった」と話します。
6月、糸井さんが訪れたのは、大阪市北区にある、自費出版などを手掛ける「パレードブックス」。編集者との打ち合わせを行うためです。
糸井さんには、本を通じて伝えたい思いがあります。
【糸井博明さん】
「私の行動とか、考え方、本の出版とかで知ってもらったり、示していくことで、他の人にもこういう生き方もできるとかいうことを伝えられたらと思います」
回り道をしながら、一歩ずつ自分の人生を進む糸井さん。その思いが誰かに届く日を願っています。
(関西テレビ「newsランナー」7月31日放送)