8人が犠牲「附属池田小事件」から22年 小学校で追悼の祈り 当時1年担任は「救える命も救えなかった」 組織で対応できなかった悔しさ示す 2023年06月08日
児童8人が犠牲となった大阪教育大学附属池田小学校の事件から8日で22年です。
「救える命も救えなかった」。後悔を胸に、学校の安全と向き合った教師の思いです。
8日午前10時すぎ。附属池田小学校では事件が起きた時刻に合わせ、犠牲になった8人の児童の名前が刻まれた「祈りと誓いの塔」を前に、在校生や教職員が祈りを捧げました。
【児童代表】
「つらく悲しい事件を忘れることなく、自分のできることを怠らず、命を輝かせ、明るい未来にしていくことをここに誓います」
当時、開いたままだった「自動車専用門」。男はこの門から、校内に侵入してきました。
2001年6月8日、大阪教育大学附属池田小学校で男が刃物で児童を次々と襲い、1・2年生の児童8人が死亡、教師を含む15人が重軽傷を負いました。
■ 事件を経験した教師「救える命も救えなかった」
当時1年生の担任だった、小林弘典さんは体育館での授業の終わり際に、飛び込んできた教師の声で事件を知りました。
【当時1年生の担任・小林弘典さん】
「校舎内に上がると、そこに倒れている女の子と先生がいるのが見えて。(当時は)刺されていたという状況も把握できていないんです。すごい出血だったので何かあったんだなということしか、わからなかった。思考が出来ていない状況ですから。目の前の状況で自分の判断で対応していた」
今、目の前で何が起きているのか、状況を把握するのに時間がかかりました。組織的な救護や避難誘導がもう少しできれば、被害を抑えられた可能性があったと考えられています。
【小林弘典さん】
「組織として動けていなかったことが、悔やんでも悔やみきれない。結果的に救える命も救えなかった。しっかり指揮系統があって、どんな動きをするのか把握できていれば、無駄な動きややり取りがなかった」
小林さんは今、教育委員会の立場で各学校の校長に対して安全対策や訓練の大切さを伝えています。
【小林弘典さん】
「(学校に)来た以上、安全に家に送り届けてあげる、命を預かっているんだというのはいつも伝えています」
附属池田小学校では年5回以上の不審者対応訓練や、「安全科」の授業を実施しています。
眞田校長は校内で唯一、事件当時を知る人です。
【大阪教育大学附属池田小学校・眞田巧校長(当時6年の担任)】
「今の教員も学校安全とか問題を考えて共有してくれているので、どう寄り添っていくのかが自分の役割だと思っています」
事件を経験した教師たちは、自らの役割を果たすため、今も学校の安全と向き合い続けています。
(2023年6月8日 関西テレビ放送「newsランナー」放送)