大阪経済の父『五代友厚』 歴史教科書では…政府と癒着し不正した“疑惑の人” だが…新証拠で“名誉回復”「ぬれぎぬを着させられただけ」 今年度の教科書改訂…出版社に申し入れ 2023年04月19日
大阪市内に5体の銅像がある五代友厚は、明治時代に大阪経済の基礎を築いたと称されながら、歴史の教科書では政府と癒着し不正を働いたと述べられてきました。
今回、新たな証拠により、その記述が見直されることになりました。
■大阪経済の基礎築くも…“疑惑の人”に 明治の偉人『五代友厚』
3月下旬、文部科学省で、大阪市立大学の同窓生2人が記者会見に臨みました。
【元大阪市立大学学長 児玉隆夫さん(82)】
「この4月から使用される教科書の90パーセントは、変更されたものになります。この本がこの運動の出発点」
『新五代友厚伝』という本に記されているのは、市大の同窓生達が 開学の祖と仰ぐ五代友厚です。
明治時代初期、五代は、大阪経済の基礎を築きました。しかし、これまで教科書では、「黒田清隆から不当な安値で払い下げを受けようとした政商」として記されてきたのです。
明治14年、新聞各紙は、北海道開拓使長官の黒田清隆が、五代友厚の会社に不当な安値で官有物を払い下げようとしたとして、一斉に非難します。それでも五代は沈黙を続け、疑惑が歴史の定説となりました。
【大阪市立大学同窓生 八木孝昌さん(81)】
「悪者は五代だけなんです。本当ならしょうがないですが、真っ赤なうそです」
五代について書かれた記事は間違っていたのではないか…五代の銅像を建てた大阪市大の同窓会は、真相の調査と本の執筆を、同窓生の八木孝昌さんに依頼しました。八木さんは、経済学部出身の文学博士です。
【大阪市立大学同窓生 八木さん】(2019年11月:大阪市立大学)
「五代友厚はぬれぎぬを着せられたんですが、今もって着せられたまま。この銅像に向かって『申し訳ありません』と言わざるを得ない」
■新資料で明らかに…五代は“無実” 今年度の教科書修正を出版社に申し入れ
八木さんは当時の資料を調べ尽くし、疑惑の報道からおよそ1カ月後に出たある新聞記事を見つけます。
記事で報じられたのは政府の内部文書。安値で官有物の払い下げを受けようとしていたのは五代ではなく、黒田の部下の開拓使4人だったのです。
2022年1月、統合目前の大阪市立大学で五代友厚シンポジウムが行われました。
八木さんとともに登壇したのは、五代の無実を信じるもう一人の研究者、住友史料館研究顧問の末岡照啓さん(67)です。
末岡さんが見つけた 関係者の日記には払い下げを申し出たのは黒田の方で、五代はその申し出を断っていたと記されています。
勤め先の住友史料館で、末岡さんは五代が住友の総理事・広瀬宰平に送った手紙を見つけていました。
記されていたのは事件の渦中にあった五代の思いです。
【五代の手紙】
「青天白日 いささかも天地に恥じず 何を屈することなどあろうか」
同窓会で作った「見直しを求める会」では教科書会社5社に手紙を送り、五代の記述を見直すよう求めました。
そして今年度、清水書院の教科書では「不当に安い価格で、五代友厚の経営する『関西貿易社』に払い下げようとしていると新聞が報じて問題化した」と改訂しました。
「不当に安い価格で払い下げようとしたこと」を事実とするのではなく、「新聞が報じて問題化したこと」を事実とすると改めたのです。
今年度、記述の改訂に至ったのは、申し入れた5社のうち、山川出版社、実教出版、清水書院、第一学習社の4社です。
【元大阪市立大学学長 児玉さん】
「ずっと続く汚名をやっとすすぐことができたんではないか」
【大阪市立大学同窓生 八木さん】
「執念ですね。これをやらなくては死ねないなと思った」
大阪市大が大阪公立大学になって1年。八木さんが執筆した本は、今も大学の一角に飾られています。
(2023年4月11日放送)