緊張高まる台湾の今 戦闘訓練受ける小学生も 統一は「当然」「それは中国の片思い」世代間で広がる意識の差 それでも平和願う「砲弾」の包丁づくり 2023年04月04日
日本の与那国島からわずか110キロのところにあり、グルメに観光にと、日本人に人気の旅行先、台湾。その台湾のイマを取材しました。
■「中国統一」の象徴 蒋介石像が…
70年以上前の中国で内戦が起き、共産党と国民党が激しく戦った結果、国民党のトップだった蒋介石は中国大陸から退却し、台湾に拠点を移しました。
その蒋介石の像に異変が起きています。
【森雅章記者 リポート】
「こちらには台湾各地から撤去された蒋介石の像があります。無造作に置かれているようにも感じられます」
こちらには台湾各地に置かれていた像が撤去され、郊外の公園に集められています。その数はおよそ270体。
なぜこうなったのか…。公園に来ていた高齢者に聞いてみました。
【公園に来ていた高齢者】
(—Q:なぜこうなったんですか?)
「政治的に“蒋公”の評判が良くないからだ。今どきの人たちと我々の考え方には隔たりがあるんだよ」
蒋介石を「蒋公」と呼んで今も尊敬する高齢者たち。蒋介石と共に、中国から多くの人が台湾に移り住んだことから、今でも自分たちは中国人という考えが色濃く残っています。
【公園に来ていた別の男性】
「台湾はそもそも中国の一部であって、1つの民族に戻ることを夢見ている。統一は時間の問題だ」
■世代間で意識に違いが…「台湾は台湾」若者たちの本音
一方で、若い世代には異なる意見を持つ人が多いようです。
【子連れの若いお母さん】
「私は中国はあまり好きではありません。台湾は台湾で中国は中国。完全に別だと思います」
【男性】
「中国はずっと前から統一と言い続けていますが、実現できない彼らの片思いですから、無意味です。お互い相いれません」
「統一は望まない」と語る彼らが立っているその場所は…台湾を防衛する巨大な軍艦の上です。
【森記者 リポート】
「こちらは台湾海軍最大の軍艦です。長さは200メートル近くあるということです」
3月24日、港で行われたのは台湾海軍の軍艦の見学会です。日本円でおよそ170億円の予算を組んで造られた補給艦。
補給艦を護衛する船が、訓練用とは言え、ミサイルの実弾が装備されたまま展示され、海軍兵と写真を撮る家族連れなどでにぎわっていました。
「1、2、3敬礼!」
この軍艦の見学会では海軍への入隊の勧誘も行われていました。待遇などの説明を熱心に聞いていた中学生たちは…
【中学1年生】
(–Q:理解は深まりましたか?)
「はい。とても」
(–Q:海軍に入りたいですか?)
「まだ分からない」
【中学2年生】
「僕は船酔いしやすい体質なので、海軍はちょっと考えないといけないですが…でも台湾のためにどうしてもというのなら入ります」
“職業軍人への道”は子どもたちにはまだ少し遠い話のようですが、実は、大人たちがすでに備え始めていることがあります。
■防空壕に戦闘訓練…高まる危機意識
2022年の夏、台湾海峡は一時緊張状態に陥りました。アメリカのペロシ下院議長が台湾を訪れた際、台湾とアメリカの接近に反対する中国が、台湾海峡にミサイルを発射する訓練を実施しました。
日本でも、ロシアによるウクライナ侵攻で防空壕への関心が高まりましたが、ここ台湾ではすでに50年ほど前から「防空シェルター」の設置が始まっています。
【自治会長 温美珠さん】
「このたった100メートルほどの路地だけで、防空シェルターが4カ所あります」
こう語るのは、台北市内の自治会長をつとめる温さん。防空シェルターのひとつを案内してくれました。
【自治会長 温美珠さん】
「すごい!このシェルターはとても清潔です。それにまるで家の要に作られていて、子どもたちのおもちゃがあり、本を読むこともでき、避難する時の恐怖や緊張を癒やすことができる完璧な場所です」
トイレやシャワー室も備えられ、自然災害など非常時全般に使われます。
このような防空シェルターは現在、台湾全土に8万9000カ所あり、台湾の人口の2倍以上、5400万人が収容可能で、海外からの観光客なども非常時には入ることができます。
■民間人が戦闘訓練 小学生の姿も…
また、世界の安全に対する危機感を反映してか、ある施設の利用者が明らかに増えています。
取材班が向かったのは草深い山の奥。ここで何が行われているのかというと…
【森記者 リポート】
「市街地の実戦を想定した訓練です。緊張感がただよっています」
ここは民間の戦闘訓練施設です。この施設によると、ウクライナへの軍事侵攻などがあった2022年は、2021年に比べ、訓練を受ける人が3割増えました。
中には小学生が訓練を受ける姿も…
【父親】
「敵がいなければ前に進め。こうやって持つんだぞ」
使われている弾はプラスチック弾ですが、銃の形式は台湾軍で使われているものとほぼ同じで、「機関銃タイプ」のものはおよそ4キロの重さがあります。
【戦闘訓練を受けた小学生】
「重いな…」
(–Q:もう何回も来ている?)
「はい。パパが来るときは僕も一緒に来ます。最初は怖かったけど、だんだん慣れてきました」
(–Q:走り回って疲れない?)
「学校でも走り回っているから大丈夫です」
小学生を連れてきた父親は職業軍人で、「台湾を守る教育を小さいうちから始めようと思った」と話します。
【戦闘訓練に参加した父親】
「実際に戦いが起こった時に、日頃の訓練が身を助けます。もし、きょう不幸な事が起こっても、台湾のために役割を果たせます」
■中国からわずか6キロメートル「金門島」特産品に込めた平和への“願い”
70年前に、たもとを分かった中国と台湾は、海を隔てて距離があると思われていますが、実は、台湾の離島「金門島」があるのは、中国からわずか6キロ。逆に台湾本島からはおよそ200キロも離れていますが、台湾が実効支配しています。
その金門島の浜辺で朽ち果てているのは、内戦があった当時の戦車と、共産党軍の上陸を防ぐ数百メートルにわたる鉄製の柵。
かって、この島の周辺では島の陥落を狙う共産党軍と、死守しようとする国民党軍の間で激しい戦闘が行われました。その時、この島に中国側から放たれた砲弾が雨のように降り注ぎました。
その当時のことを知る呉増棟さん(65歳)に、話を聞きました。
【金門島で育った呉増棟さん】
「1958年に47万発の実弾を撃たれ、それから20年間は、50万発の宣伝弾が落ちてきました」
(–Q:全部本物ですか?)
「全部本物です。ものすごくたくさんありますよ」
“宣伝弾”の中には共産党のビラが入っていました。呉さんは、祖父の代から、これらの砲弾を使って、家庭用の包丁などを作っています。
砲弾をバーナーで切って炉で溶かし、丹念にたたいてのばしていきます。削り出されて完成する中華包丁は、観光客など多くの人が買い求めに来る島の名産品。戦いの象徴が呉さんの手によって料理用の包丁に生まれ変わっていきます。
【呉増棟さん】
「私が1歳から20歳まで砲撃があったので、砲撃と一緒に育ったようなものです。ずっと恐怖の中にいました。砲撃があった日には、全ての家庭がすぐさま子どもたちを、防空壕に入れるようにしていました」
祖父が、飛んでくる砲弾を再利用しようと始めた包丁づくり。それを受け継いだ呉さんも当初は金門島の特産品になるとは想像もしなかったと話します。
【呉増棟さん】
「この包丁は単なる包丁ではありません。私たちの近代史そのものです。中国と台湾は緊張状態にありますが、中国、台湾、そして世界の人がこの包丁を気に入ってくれて、この包丁が平和のシンボルなんだと、みんな戦争なんて嫌で、平和を渇望しているんだと我々に気づかせてくれるんです」
統一を望む人も望まない人も、願っているのは平和。その平和を実現する方法は何なのか…。日本のすぐ近くの台湾海峡で、微妙なパワーバランスが続いています。
(2023年4月3日放送)