京都の“保津川下り”の舟が転覆した事故で、舟に乗っていた女性が事故当時の状況を関西テレビに語りました。女性の証言から見えてきたのは、緊迫した中で生死を分けた川の事故の重要なポイントでした。
■転覆した舟の乗客が証言 「『あかん、もう無理や』と声が聞こえた」
【転覆した舟の乗客】
「あっという間に水の中に入ってしまって、その後はもちろん息もできないし、目もつむって何も見えないし、流れも速いし。死ぬんじゃないかと思いました」
事故直後の状況を語ったのは、東京で専門学校に通う20歳の女性です。
3月28日、京都府亀岡市の保津川で、子供3人を含む乗客25人と、船頭4人の合計29人が乗った舟が転覆した事故。船頭の関雅有さん(40)と田中三郎さん(51)が死亡しました。
関西テレビの取材に応じた女性は、京都旅行で友人2人と舟に乗り込み、一番後ろに乗っていて、事故に巻き込まれました。
【転覆した舟の乗客】
「後ろを見たら、かじを取る人がバランスを崩したのか、背中から落ちているのを見て、(他の船頭が)後ろに急いで来てくれたんですけど、その人もかじを取ることができなくて、『あかん、もう無理や!』という感じの声が聞こえました。後ろにいた人(船頭)が川の中から頭を出して、どんどん離れていくのを見て、前を向いたら岩があって、転覆したという形ですね。その後はもちろん息もできないし、目もつむって何も見えないし、流れも速いし」
女性は早い流れにのまれながら、必死でつかまることのできる岩を探しました。
【転覆した舟の乗客】
「後ろとか前とか見ても、同じ状況の人が浮かんで流れてて、前を見て岩があったので、つかまろうとしたけど、1回目の岩はつかまれずにつるっと手が離れていってしまって。これを逃したら死ぬんじゃないかと思いました。どうにか次の出っ張っている岩につかまれて、しばらくはうずくまってずっと泣いてましたね」
何とか岸にたどり着いた女性。一緒に舟に乗った友人が流されていく光景を目の当たりにしました。
【転覆した舟の乗客】
「友達も流れてきたので、自分が落ちない範囲で足を伸ばして『つかまれ!』と言ったんですけど、つかまれなくて、そのまま下流の方に流れていっちゃって、そのあと下流方面から友達が上がってくるのを見て、安心できたという感じですね」
「女性が自分の子供の名前を叫んで歩き回っていて、近くに船頭さんもいたので、船頭さんがお姉さんに向かって『危ないから、また川に落ちちゃうから、頼むからその場に座ってくれ』と」 女性の証言で明らかになった、事故直後の混乱した状況。
■救命胴衣 約半数は手動式だったが、自ら膨らませる余裕はなかったという
さらに話を聞くと今回の事故で生死を分けた重要なポイントが見えてきました。この事故で亡くなった船頭の関雅有さん(40)。救命胴衣を身に着けていましたが、膨らんでいない状態で発見されました。舟を運行する組合によると、船頭4人とおよそ半数の乗客は、手動式で膨らませる方式の救命胴衣だったということです。
取材に応じた女性は、自ら膨らませる余裕はなかったと言います。
【転覆した舟の乗客】
「このひもを引っ張ると膨らむからと、軽い説明はありました。川から上がった時には開いていた感じで、いつ開いたのかもわからないです。自動式だったのかもしれないし、何かの拍子で開いたのかもしれないし。緊急事態ではすっかり忘れてるというか、開くことができないというか、水の中なのでひもに手をかけることもできないですし」
この事故では9人が低体温症の疑いなどで病院に運ばれました。女性も川に投げ出され全身が濡れましたが、たき火をして何とか体温を保ったと言います。
【転覆した舟の乗客】
「足も震えたり、手も体も震えて、唇も…結構水も飲んでたので水も吐いたり、すごく寒かったのを覚えてます。低体温症が頭の中にあったので、とりあえず脱げるところまで服は脱がなきゃって思って。少したったら、船頭さんがライターを持ってきてくれて、枯葉を集めてたき火をつけてくれて、『これであったまってください』と。枯葉を集めたりとかして、たき火の手助けをしましたね。あのまま死んでたら、これからの未来もなかったですし、今となっては本当に生きててよかったなと思って」
京都の観光名所を訪れた乗客を突然襲った事故。乗船されていた方の生々しい声から、事故の恐ろしい状況が見え、川の事故の危険なポイントも浮かんできました。
(関西テレビ「newsランナー」2023年4月3日放送)