「その前の日々に会いに行く」 東日本大震災12年…南三陸で開かれている写真展 人・街・暮らしがそこに“あった” 何気ない写真で思い出す「当たり前の日々」 2023年03月10日
3月11日で東日本大震災から12年を迎えます。
2011年3月11日の、あの日、あの瞬間。その前に、確かにあった「日常の記憶」を伝える写真展が宮城県南三陸町で開かれています。
『2011年3月11日 その前の日々に会いに行く』
【写真展に訪れた夫婦】
「ベイサイドマラソンね!」
「第1回から第10回まで連続で走った」
【津波で元の家を失った人は】
「今現在、町はなくなってしまったけどあったんだ。ここで自分は暮らしてきたんだっていう」
【写真展を開いている施設の人は】
「みんないい顔して、輝いていますよね。撮ったり撮られたりしている時は、特別な感覚はあんまりなかったかもしれない」
【写真展に訪れた子ども】
「津波来て、ドーン。どうなった?前こうだったの?本当に」
宮城県南三陸町では、死者620人・行方不明者211人の被害を出しました。
15メートルを超える津波に、ほぼすべてが押し流された町。
2022年、大きな意味を持つ施設が開館しました。その施設の名前は、東日本大震災伝承館「南三陸311メモリアル」です。
【南三陸311メモリアル 高橋一清さん】
「10年経って思うことは、そもそも(被害の)想定ということ自体が、人間中心の社会の価値観だったという反省が大きくある」
【南三陸311メモリアル 高橋さん】
「あなたがそこにいたらどうしますか、どう考えますか。そういうことを具体的に考えていただく時間を過ごしてもらうことで、一人一人が、自分の防災に役立てていただける。そういう施設を目指しています」
震災の被害を直接的に伝えるのではなく、音や空間、アートなどを使って感覚的に伝えるアプローチをとる、この施設。
2月から写真展『あの頃に会いに行く 南三陸の暮らし展』が始まりました。
【南三陸311メモリアル 高橋さん】
「被災した方々は、ほぼ震災前の写真はなくしているので、写真を通じて記憶を思い出すことで、懐かしみつつも、この先、明るく生きていこうとする。そういう気持ちにつながったらいいかなということで」
およそ300枚に及ぶ写真の中にあった、古ぼけた駅を捉えた1枚。気仙沼線の「歌津駅」の写真です。
【写真を提供した 畠山扶美夫さん(73)】
「もう、ここの広場で(気仙沼線全線)開通記念のお祭りがありましたから。記念の乗車切符も持っていたけど、流されてしまった」
写真を提供したのは、南三陸町・歌津地区に住む畠山扶美夫さん。
歌津駅があった場所は、津波の被害ですっかり変わってしまいました。
【畠山さん】
「これありますね、スロープ。昔の(駅への)階段だったんです。ちょうどこの辺りがホームなんです。小学校、中学校があって。お店を利用して。いろんな思い出がある」
畠山さんは今、集団移転先の高台にある、新しい家に住んでいます。
【畠山さんの妻】
「私たちの家は『水が入ってきたな~』って思って見ていたら、くるっと回って見えなくなってしまった」
【畠山さん】
「感情は何もなかったです、見ていて無ですね」
【畠山さんの妻】
「息子と母親が病院に入院していた。でも母親は流されてしまった」
【畠山さん】
「(今の町は)映画のセットみたいな感じですから。これから町ができていくにはまた何十年という歴史が積み重なっていかないと」
–Q:昔の写真を見て思うことは?
【畠山さん】
「今現在、町はなくなってしまったけれども、あったんだって。ここで自分は暮らしてきたんだっていう、うれしさ、なつかしさに尽きる」
写真展に訪れた夫婦は、写真を見ながら懐かしそうに思い出話をします。
【写真展に訪れた夫婦】
「釣り堀!海の釣り堀!」
【写真展に訪れた夫婦】
「お祭り、お祭り」
「このおみこし担ぎました」
【写真展に訪れた夫婦の妻は】
「学校で働いていたんですけど、卒業式が近いので練習をしたり、授業したり、給食を食べて、学期末だったから『(荷物を)持って帰りなさいよー』って帰した直後…まさかあの日に、午後にこんなことになるなんて…分からないですから。普通の日常で普通の朝で、それぞれ仕事にいって」
何気ない写真が、震災で失われた、当たり前の日々の輝きを伝えています。
(2023年3月9日放送)