仕事と介護の両立難しく”介護離職者“年間10万人の厳しい現実 「突然、妻が若年性認知症に」「母親が徘徊し始めて」 退職金切り崩し生活で「あと2・3年はどうにかなるかな」 誰もが当事者になる…リアルな問題を考える 2022年10月12日
“9万5千人”。これは、去年1年間で、家族などの介護を理由に仕事を辞めることになった、いわゆる「介護離職者」の数です。誰が当事者になってもおかしくない家族の介護の問題。
今回、実際に「離職」せざるを得なかった方々の、厳しい現実を取材しました。
■仕事との両立難しく…家族のために「介護離職」 厳しい現実
9月、大阪市西淀川区で開かれた、認知症の人を介護する家族らの座談会。それぞれの家族が日ごろの悩みや思いを話します。
【認知症の兄を介護中の女性】
「トイレで処分ようせえへんもんです(きちんと拭かない)から、部屋の中に入ってきて、座布団についてるんです。うんちがついてたりとか」
【認知症の弟を介護中の男性】
「どこの誰にどう言うたらええねん。そのへん誰も教えてくれない」
「無職になって1年たちました。よろしくお願いします」と挨拶し、参加者の話に耳を傾けるのは、藤井康弘さん(59)。30年連れ添った妻の三恵子さん(59)が、4年ほど前、若年性認知症と診断されました。
【藤井康弘さん】
「うちの嫁、きょうトイレ行って、ドア開けたら、大便がついたトイレットペーパーが転がっていて、扉閉めて大笑いしました。完全に現実逃避しましたね」
■突然、妻が「若年性認知症」に 仕事を辞めて介護の夫 退職金切り崩して生活
康弘さんは、2021年仕事を辞め、1人で三恵子さんを介護しています。子どもは独立していて、2人きりで過ごす毎日です。三恵子さんは、トイレに1人で行くことができないため、康弘さんと2人で外出することも難しいのが実情です。
三恵子さんは、康弘さんが料理を準備している時に、しきりにたんすを開けて、中に入っているものを取り出したり、食事中、ふと立ち上がってどこかに行ったかと思うとまた戻ってきたり…
それでも、自力で歩くことができるため、「要介護度」は5段階のうち下から2番目の「要介護2」です。
【藤井康弘さん】
「介護度が低すぎて施設に入れないっていうのがありましたね。もっと悪くなって、もしかしたらどっか施設に入れるようなことになったら、会社復帰できるかなと思ったんですけど、まあそんな急に悪くならなくて。社にもこのままね、ズルズル残るのも、と思ったんで」
康弘さんは介護を始めた当初、家の中にカメラをつけて、職場からでも遠隔で見守れるような工夫をしてきました。そんな中、状況が変わったのは、三恵子さんの“徘徊”が始まってからです。
【藤井康弘さん】
「コンビニによく行きよるんですけど、1日に3回も4回も行くんですよ。酒とタバコばっかり買いに行きよるんですよね。ほんで気が付くとね、酒だらけになってて」
■1年休職も…施設もデイサービスも利用できず、追い込まれ「退職」へ
康弘さんは、だんだん追い込まれていきます。2人を支援してきた地域の相談員らは、試しにデイサービスを利用してもらうことにしましたが…
【愛仁会地域ケアセンター 山下妙子さん】
「妄想というか、『怖い男の人が来て私をね』とか、それ(妄想)がひどくなってしまったんですね逆に。それでデイサービスは行けないよねとなって」
康弘さんは1年間休職し、そのまま復帰せずに退職しました。
厚生労働省によると、「介護離職者」の数は、この10年、年間10万人前後で横ばいとなっています。2006年には、京都市で、母親の介護のため仕事を辞めた男性が、生活に困窮し、承諾の上で母親を殺害した事件も起きています。
在宅介護を続ける藤井さんを支えているのが、介護サービスです。三恵子さんの入浴のため、週2回、訪問看護のサービスを利用しています。
お風呂に入ろうと訪問看護のスタッフが呼びかけても、普段かぶっている帽子をなかなか脱ごうとしない三恵子さん。スタッフが優しく呼びかけます。
【訪問看護のスタッフ】
「帽子も脱ぎましょう。お風呂やから。頭洗えないよ」
三恵子さんと2人きりで家で過ごすことが多い康弘さんにとって、訪問看護のスタッフとの何気ない会話が、気持ちを落ち着かせてくれます。
ティッシュの箱を見て、「ティッシュが出てこない」と三恵子さん。訪問看護のスタッフが見てみると、ティッシュの箱がひもでテーブルの脚にくくりつけられていました。過去に、三恵子さんがティッシュ箱を持ちだしてしまうことがあったため、康弘さんなりの工夫でした。
【訪問看護のスタッフ】
「でもすごいいい考えですね」
【藤井康弘さん】
「この前(ティッシュが)迷子になってて、タンスから袋はいだ状態でどばっと出てきて…袋の中にもの入れて遊んでたから、ちょっと本ギレしてしまって」
【訪問看護のスタッフ】
「本ギレしましたか。なんでこんな動かないんかと思いましたけど、すごいことになってますね」
【藤井康弘さん】
「大体1日3回か4回なくなるんで。ちょっとずつ悲しくなんねんけどね。何やってんねやろって。交換する時に腹が立つっていうね」
【訪問看護のスタッフ】
「まあまあ」
三恵子さんは近ごろ徘徊も減り、短期間施設で過ごす「ショートステイ」に月2回、行けるようになりました。ショートステイは、唯一、康弘さんの手が離れる時間です。
介護サービスの利用料は、月3万円ほど。生活費も含めて、退職金を切り崩してしのいでいます。
【藤井康弘さん】
「一応、退職金なりなんなりっていうのがあるので、あと2、3年はどうにかなるかな、みたいな感じですね。その先は知らん。まあどないか生きていけるでしょう、多分と思わないとやっていけないですね」
終わりの見えない介護。康弘さんは、そんな日々と向きあっています。
■母親の介護を理由に時短勤務へと 「昇進は無理」と言われ退職
親の介護を理由に、仕事を辞めた人もいます。宮崎県日向市に住んでいる月原美由紀さん(43)。認知症と診断された母親の順子さん(74)と2人暮らしです。
順子さんは、日常生活ほぼすべて介護が必要な「要介護3」の認定を受けていますが、順子さんを施設に預けず、自分で介護すると決めています。笑顔で順子さんを抱きしめるのが日課です。
順子さんが認知症と診断されたのは、美由紀さんが35歳の時。仕事との両立が難しくなったきっかけは、順子さんの徘徊が始まったことでした。家からいなくなった順子さんを探し回り、ほとんど寝ずに翌朝出社することもしばしば。美由紀さんは、勤めていた会社に時短勤務を認めてもらいましたが、現実は厳しいものでした。
【月原美由紀さん】
「そこまで結構ね、いろいろ評価もしていただいて、昇格もしてもらってたんですけど、時短(勤務)をしたことによって、突きつけられたんですね。『(役職を)上げられないよ』と。これが現実だなと思って。そこで一気にテンションが下がり、さらにモチベーションが下がり…」
正社員だった美由紀さんは、その後、契約社員となり、2021年に会社をやめました。
【月原美由紀さん】
「家族を犠牲にして、心も犠牲にして働くっていうのは、とても私にはできないなと思って“辞める”という決断をしたんですけど、今まだカツカツです。だいぶ貯金を切り崩しましたし、これからだなっていう。今、一番苦しい時かなという感じ」
■介護と仕事の両立目指すため起業 母と“ハグする時”が幸せ
順子さんと一緒にいられるために、美由紀さんが選んだ道は“起業”でした。順子さんをデイサービスに送り出してからが、仕事の時間。
在宅でもできる動画編集の請け負いや、介護のオンライン相談に乗る事業を立ち上げるなどしています。
さらに事業の一環として、地域で頑張っている店や人を動画投稿サイトで紹介する活動もしています。経済的にはまだまだ苦しく、月々の収支が赤字になることもあります。それでも、介護と仕事の両立をめざします。
【月原美由紀さん】
「腹が立つこともイライラすることもあるし、大変なこともあるんですけど、その中で今まで母と過ごせなかったいろんな時間があるわけで…絶対、母が元気だったらハグなんてしないし手もつながないし、そういう時間が過ごせるのは、すごく私は幸せなんですね」
美由紀さんは、これからも、順子さんと一緒です。
–Q:娘さんのことは好きですか?
【月原順子さん】
「好きです」
社会で見落とされてきた「介護離職」。人知れず悩み、もがいている人たちが、生きています。
■年間10万人の“介護離職者”減らすには… 新たな取り組み「産業ケアマネージャー」
毎年10万人近くいる“介護離職者”を減らすにはどうすればいいのか?
介護のスペシャリスト「産業ケアマネージャー」に会社で相談できる仕組みをつくることで、介護離職者を減らそうという取り組みが動きだしています。
「産業ケアマネージャー」というのは、ケアマネージャーらでつくる「ケアマネージャーを紡ぐ会」が創設した民間資格で、労働者の健康を管理する産業医の「介護版」の位置付けです。介護サービスだけでなく、労働関係の法律にも詳しいので、介護に直面した労働者に適切なアドバイスができるそうです。
具体例を挙げると…40代女性、父親が病気で介護が必要となり「職場に迷惑をかけえられない」と退職を決意。しかし、上司に相談したところ、上司から連絡を受けた産業ケアマネと面談することになり、時短勤務をしながら仕事と介護の両立に向け相談を続けることになったそうです。
一時は退職を決意していた40代の女性は、「自分の人生を考えていなかった」と話しているそうです。
介護に直面しても1人で抱え込まずに専門性の高い方に相談すれば、介護と仕事の両立ができるケースもありそうです。
(2022年10月11日放送)