終戦から77年の時を経て故郷に帰った「水筒」 沖縄戦で死亡した兵士の遺品が京都の遺族の元へ かすかな手がかりを頼りに遺骨や遺品を遺族へ返すジャーナリスト 2022年08月15日
終戦から77年を迎えた、2022年8月15日。
戦争で死亡した旧日本軍の兵士の遺品が長い時を経て、京都の遺族の元に届けられました。
返還のきっかけとなったのは、遺品に残されたかすかな手がかりでした。
8月15日、京都市の京都霊山護国神社で行われた戦没者の慰霊祭。
その場で、太平洋戦争の沖縄戦で死亡した兵士の遺品が、遺族の元へ届けられました。
誰のものか分かっていなかった遺品をこの場所に届けたのは、ジャーナリストの浜田哲二さんと、妻の律子さんです。
浜田さん夫婦は20年前から毎年、沖縄の防空壕などに足を運び、遺骨や遺品を収集して遺族の元に返すボランティア活動を行っています。
【ジャーナリスト 浜田哲二さん】
「遺族にとっては、大切な家族がどんなふうにして亡くなったのか、またどこで亡くなったのか、ほとんど分かっていない。遺留品が返ってくると、まさに本人が帰ってきたかのように喜ばれるんです」
2022年2月、浜田さんが訪れたのは那覇市の戦争資料館。戦争の遺留品およそ10万点が保管されています。
スタッフの高齢化で管理が難しくなったため、浜田さんがいくつかの遺品を引き取り、遺族を探すことになりました。
遺品には名字だけしか書かれていないことが多く、戦没者の名前と照らし合わせても、誰の遺品かを特定するのは難しいといいます。
【ジャーナリスト 浜田哲二さん】
「ここにですね、『タダス』と名前が刻まれているんです」
浜田さんが見つけたのは水筒に書かれた「タゞス」という名字。
この珍しい名字が手がかりとなって、京都に遺族がいることが分かりました。
【ジャーナリスト 浜田哲二さん】
「京都のいろいろな関係者に問い合わせるとともに、古い電話帳を引っ張り出して探していた。そしたら今回(遺族と)連絡がついた。圧倒的に帰れない遺留品が多い。それを考えると、ご遺族が受け取りたいと言ってくれるのは、私たちにとっては宝物を見つけたような」
水筒の持ち主は、35歳でこの世を去った糺徳一(ただすとくいち)さんでした。
そして、2022年8月15日、77年という長い年月を経て、糺さんの水筒が、故郷へと帰ってきました。
糺さんの遺族の元には遺品は一つもなく、沖縄戦で死亡したことも分かっていませんでした。
【糺徳一さんの甥の妻 糺博美さん(72)】
「まさか、戻ってくるとは想像もできなかった。どこに行かれたのかも、私たちには全然分からなかったので」
【ジャーナリスト 浜田哲二さん】
「こうしてお届けするたびに喜ばれるし、何よりも、その時に戦没者に思いをはせられる。それは亡くなった方にとって非常に大きなことじゃないかなと。その人の存在を忘れない、戦争を忘れないのは大切なことだと思う」
多くの命が犠牲になった戦争。
彼らの生きていた証が、今もどこかに眠っています。
(関西テレビ「報道ランナー」2022年8月15日放送)