日本に避難している、多くのウクライナの人々。
行政などの支援を受けて生活する中で、自立に向けて動き出す人もいます。
自分で事業を始める人、日本での仕事を探す人。それぞれを取材すると、複雑な思いと課題が見えてきました。
■ウクライナから滋賀県に キッチンカーを始めた理由
2022年3月、滋賀県・彦根市に住む娘を頼ってやって来たイリーナ・ヤボルスカさん(51)と、母のギャリーナさん(80)。
2人が暮らしていたのは、ウクライナ第二の都市・ハルキウです。
ロシアからの侵攻を受け、かつての姿は奪われました。
【イリーナさん】
「うちのマンションは窓が壊れて、ガラスが割れました。幸いそれだけです。(夫も)大丈夫です」
身の安全のためにやってきた日本で、新たな挑戦に臨んでいます。
ウクライナの家庭料理を販売する、キッチンカーの経営です。
準備資金はクラウドファンディングで募り、10日ほどで目標額に達しました。
イリーナさんたちが販売することにしたのは、故郷の味「ブリンチキ」。
小麦粉の生地で具材をくるむ、クレープのような料理です。
材料は、避難先の彦根市で調達します。
5月のある日、イリーナさん家族は食料品店を訪れました。
【イリーナさん】
「卵だわ。賞味期限は22年5月23日、いい卵です」
彦根で暮らし、使える日本語が少しずつ増えてきたイリーナさん。
レジでのお会計も慣れてきました。
【イリーナさん】
「ありがとう、こんにちは。ふくろプリーズ」
日本での住まい、県の宿泊施設に戻ったイリーナさんたちは、キッチンカーのオープンに向けて試作品作りに励みます。
故郷の味に近づけるために一番苦労したのは、中身のクリームチーズ選び。
試作品を食べたイリーナさん家族は…
【イリーナさん】
「ウクライナのチーズに似ています。おいしいです」
【娘の夫・菊地崇さん】
「おいしい。でも…」
【娘・カテリーナさん】
「彼が『レーズンはもっと小さめのを買ったほうがいいんじゃない?』だって」
【イリーナさん】
「そうね、わたしもそう思うわ」
妥協せずに準備を進めるイリーナさん。
行政などの支援でも生活はできます。しかし、自力で生計を立てたいという思いは強く、同時に“何かの役に立ちたい”という気持ちも高まってきたといいます。
【イリーナさん】
「同じように日本に来た他の避難者の人にも、自分の居場所が見つかるように願っています」
キッチンカーは、自分たちの「居場所」を作るための挑戦です。
■キッチンカーで「居場所」を…踏み出した一歩
5月28日、イリーナさんたちのお店は、彦根市内でプレオープンを迎えました。
自前のキッチンカーが完成するのに先駆けて、この日はレンタルのキッチンカーです。
少し緊張気味のイリーナさん。
いざ開店すると、ブリンチキを買い求める客が次々に。いつの間にか行列ができて、調理も大忙しです。
【訪れた人】
「和菓子に近いかな」
「おいしい」
慣れてくると、イリーナさんにもようやく笑顔が。
――Q:忙しいですか?
【イリーナさん】
「はい、でもこの仕事が好きです」
仕込みの厨房では、栗東市に避難し、仕事を探すのに苦労していたという女性、イリーナ・チュプラさん(31)も働いています。
【イリーナ・チュプラさん】
「I’m happy」
プレオープン初日を終えたイリーナさんは…
【イリーナさん】
「とても良い時間で、あっという間でした。商品を気に入ってもらえてよかったです。ありがとう、うれしい、じゃあね」
■ウクライナでは会社を経営 日本での仕事探しは…
自ら仕事を生み出し、新たな一歩を踏み出したイリーナさん。
一方で、なかなか仕事にたどり着けない人も…
2022年3月、ウクライナ南部の都市、ミコライウから避難してきたアントンさん(29)。
持病のため兵役に就くことができず、日本にいる姉を頼って、母と一緒に大阪に避難することを決めました。
現在は、大阪市内の専門学校で日本語を学んでいます。
【アントンさん】
「1時・2時・3時・4時」
【日本語の教師】
「今何時ですか?」
【アントンさん】
「だいたい…11時40分です」
日本での生活にも、少しずつ慣れてきました。
【アントンさん】
「僕たちは日本の文化も理解してきています。建物に入ったら『すみません、こんにちは』と言ってお辞儀をします」
アントンさんは、ウクライナでWEBサイトの広告やデザインなどを行う会社を経営していましたが、侵攻の影響で顧客がほとんどいない状況になり、収入が大きく減りました。
避難先の日本では、一人では外出できない母親のため、姉の家から近い場所に住んでいます。
学校が提供する無料のアパートではないので、姉が家賃を支払ってくれています。
【アントンさん】
「食べていくために生活費が必要。出歩けない母親に食事を買ってあげたいし、家賃も払わなければならない。自分で払いたいです」
避難生活が長期化することも考えて、これまでの経験を生かしたフルタイムでの仕事を探しています。
■避難者の仕事探し サポート側も模索
ある日、アントンさんが向かったのは、大阪市北区にあるハローワーク「大阪外国人雇用サービスセンター」。
5月20日、ウクライナ語通訳の付き添いのもとで相談ができる窓口が開設されたのです。
早速、窓口で専門が生かせそうな仕事を探してもらうことにしました。
【アントンさん】
「僕はWEB広告の仕事に興味があります。マーケティングですね」
【通訳】
「広告に関わる仕事がいいです」
【職員】
「これもちょっと違うかな? WEBマーケティングとは書いてあるけども…どうかしらね?」
【アントンさん】
「自分がやっていた仕事に近いです」
【職員】
「英語で仕事ができるところもあるけど、客が日本語で要望を出すところがあるので、どうしても、ある程度日本語がほしいところが多いです」
アントンさんとハローワークの職員のやり取りは、通訳を通してスムーズに進みます。
しかし、実際の就業にあたって障壁になるのは、やはり日本語。
アントンさんが英語で用意した履歴書も、習ったばかりの日本語で書き直さなければなりません。
【職員】
「これは国際タイプの(履歴書)ですよね。日本のスタイルの履歴書があって、会社によっては日本の履歴書を送ってくださいというところが多いです」
【アントンさん】
「これも日本語で?」
【職員】
「難しいよね…」
想定していなかった場所での就職活動。
日本独特の仕事の文化なども、学ぶ必要があります。
【アントンさん】
「とても時間がかかったけど、役に立つ情報がたくさんあった。…日本語が分からないから、仕事探しは難しくなると思う」
アントンさんが通う専門学校も、仕事探しを手伝っています。
これまでも多くの留学生の就職をサポートしてきた福原洋副校長ですが、ウクライナ避難者には、他の留学生にはない“困難”があるといいます。
【清風情報工科学院 福原洋副校長】
「(いろんな会社に)電話をかけているんですけど、断られることも多いです。通常の留学生は少し日本語を勉強して来られているので、そこに合う会社を探しやすいんですけど、今回来られたウクライナの方は、技術や知識はあるが、日本人とコミュニケーションが取れないのがネックです」
誰もが初めて直面する「避難者の就職の課題」。
仕事を探す本人も、サポートする側も、模索が続きます。
■難しい仕事探し 一歩を踏み出した家族も…
彦根市のキッチンカーで仕事を始めたイリーナさん。
本格的なオープンに向けて準備を進めていますが…
【イリーナさん】
「戦争が終わって、生活を立て直すとき、すぐに立て直せるはずがありません。仕事にも困るでしょう。ウクライナにはもちろん帰りたいです。でも日本も気に入っています。娘も住んでいます。ここにいたいです」
いつまで続くのか分からない避難生活の中で、自立の道を模索するウクライナの人々。
それぞれが、複雑な思いを抱えています。
(関西テレビ「報道ランナー」2022年6月8日放送)