繰り返される新型コロナウイルス感染拡大と規制。その中で大阪の繁華街、ミナミの景色は一変しました。
変わりゆく街で、生き残りをかけ、自らも変わる決意をした男性がいます。ミナミで10年以上飲食店を経営してきた料理人の、新たな挑戦に密着しました。
■街の声を伝え続けた料理人
松二衛(まつに まもる)さん。大阪・ミナミで、夜営業の居酒屋と和食店を経営してきました。
大阪きっての繁華街、ミナミ。この街を対象に、去年1年間で休業要請や時短要請が出された期間は、延べおよそ10カ月間。松二さんの店も、通常営業ができない日々が続きました。
松二さんは商店会の会長も務めています。すべてが手探りの中、ミナミの人たちは何を必要としているのか、街の声を伝え続けてきました。
【松二衛さん】(2020年8月)
「このままでは、この街は止まってしまうというのを懸念してます。協力金が事業の規模、従業員の人数(に合うように)、そして酒の提供をしてない店に対する補償も考えていただきたい。これが商店会としての要望です」
■「飲みに行く」意識に変化
延々と繰り返される感染拡大と規制は、街の人たちに意識や行動の変化をもたらしました。
大阪にまん延防止等重点措置が適用される前の1月21日の金曜日、松二さんにミナミの街を案内してもらうと…
【松二衛さん】
「金曜日で、いろんなお店どこ見ても、(人が店に)入ってないですよね。危機管理能力なのか分からないですけども、既に要請がかかっているような街の状態になってしまってるんで」
まだ、何の要請も出ていない金曜の夜。すでに街に人の姿は少なく、見かけるのは食品を自転車で配達する人たち。
【街の人】
「そんな気軽に(飲みに)行かないですね。その人によって、どこまで気にしているかが違うから、そこが合う子じゃないと誘いづらい」
まん延防止措置が出る前に飲みに来たという人でさえ…
【食事客】
「あんまりオープンにそういう(飲みに行く)話できないですし、相手が行きたくないって思っているかもしれないんで、あんまりそんなに誘ったりはしなくなりました。周りも同じようにSNSとかもあげてないし、そんなにオープンに話してない」
「飲みに行く」ことへの意識は、いつの間にか変わっていました。
■これまでの夜営業とは真逆 ホテルで「食堂」をオープン
コロナがもたらした「変化」の影響を受けているのは、飲食店だけではありません。
それは、インバウンド需要が消滅したホテルです。宿泊客がいないため、併設のレストランが稼働できない日も少なくありませんでした。
昨年末には回復した宿泊客も、最近の感染拡大でまた減ってしまいました。
そんな中、松二さんは1月11日、ミナミに「神楽食堂」をオープンしました。ともに先が見えない苦境が続く中、松二さんは、「ホテルフィーノ大阪心斎橋」のテナントとしてレストランでの営業を始めたのです。
【松二衛さん】
「時間とか真逆。この時間(早朝)に起きるの、ほんと久しぶりです。2年以上、コロナで閉めたり、開けたり、時短がって振り回されていた。要請がかかっても閉めなくてもいい、営業し続けられる業態を自分の中で模索している中で、こういう形に行き着いた」
これまでの夜営業とは正反対。午前7時からの、宿泊客への朝食サービスが終わると、午前11時から午後3時まで、一般客向けに、定食などのランチメニューを提供します。
居酒屋などとは、営業時間は真逆ですが、培ってきた料理へのこだわりは変わりません。
【松二衛さん】
「関西の和食ってかなりダシが重要だと思うんですよね。うちはダシの引き方がたぶん独特なんですけど。昆布だけの状態で2時間炊くんですよ。(和食店の)神楽の名前を使っている以上は、変なの出したらあれなんで」
もともと経営している和食店「神楽」の名前を受け継いだ「神楽食堂」。
ランチメニューは、13種類の定食。チキン南蛮や生姜焼きといった、オーソドックスなメニューにも和食料理人のプライドが詰まっています。
ホテルの宿泊客は少ないため、朝食の売り上げは、まだ目標に届いていませんが、ランチ営業は順調なスタート。宅配用のお弁当の注文も受け付けています。
【食事客】
「おいしかったです。思ったより品数も多くてびっくりしました。まさかお昼から、茶わん蒸しとかいただけるなんて思ってもなかったので」
「すごく味もおいしくて、この辺でこの料金で食べられるっていうのがなかなかないので、すごいと思いました。友達とかもお昼の方が誘いやすいですし、来やすいですね」
食堂は、ホテルにとっても生き残る一手となっていました。
【ホテルフィーノ大阪心斎橋 乙社真次GM】
「(テナントを入れたのは)生き残りという意味も強くて、何かアクションを起こしたいときに、サービス面の向上というのが必ず必要になると思いまして。明らかに活気が出てきてるというのは感じていて、すごく感謝してます」
■ミナミで生き抜くため…新たな夢も
去年、緊急事態宣言で店が休業中に、松二さんのもとにきた新人も、これまでの分を取り返すかのように、奮闘しています。
苦境の中、従業員を守り、ミナミで生き抜くために始めた食堂。松二さんは、これをきっかけに、その先の新たな夢も抱いています。
【松二衛さん】
「こっちがあることによって、アルバイトの子たちも『よかったらお昼とかちょっとでも働けるけど』みたいな感じで声かけることもできますし。コロナがなくなっていい感じになってきたらもっとやりたいこといっぱいあります。ここ使って子ども食堂だったりとか、そういうのもしたいとか色々夢というか目標みたいなのはあります」
(関西テレビ「報道ランナー」2022年1月27日放送)