阪神・淡路大震災の発生から27年となる。街から地震の爪痕は消えたものの、震災後の神戸には「地盤沈下」や「右肩下がり」などの枕詞がついて回った。
今、神戸では「都心再整備」が動き出した。これで神戸は、かつての輝きを取り戻すことができるのか。そして、未来の神戸はどんな街を目指すのか。
待ち合わせ場所として知られる、昨年完成した阪急神戸三宮駅の駅前広場(かつての通称は「パイ山」)で久元喜造市長と待ち合わせして、単独取材を行った。
■「駅前再整備」で何を目指す?
ーーQ:神戸市は、「見違えるような街・神戸」を旗印に、三宮駅や神戸駅、さらには郊外の駅でも駅前の再整備に取り掛かった。特に三宮駅周辺では、JR駅ビル・バスターミナル・駅前広場の整備が進む予定で、街の姿が大きく変わる。では、「駅前」を変えていく理由とは?そして、どう変えるのだろうか。
神戸は戦前から鉄道交通が発達した街です。通勤・通学で毎日通るし、駅前には人が集まります。しかし震災があって、極端な言い方をすると駅前が「ほったらかし」になりました。日本中が人口減少・高齢化していく中で、駅前をもう一度見直して、便利で快適な空間にしていくことが日本の大都市全体に求められています。
特に三宮では、駅前を魅力あるものにすることが、外から多くの方に来ていただくことにつながると思います。高層タワーマンションが林立するような街ではなく、三宮に来たらショッピングを楽しみ、グルメを楽しみ、アートシーンを楽しむ。日常性と非日常性、来たらワクワクするような時間が過ごせて、ワクワクする公共空間がある。そんな街がいいのではないでしょうか。
子供の頃から三宮を知っていますが、三宮の雰囲気、飲み屋街の雰囲気なども残しながら、いい街にしていかないと。例えば、北野坂を見上げると山がすぐそばに迫る。こういう街ってないですよ。神戸のロケーションを大切にしながら、街を進化させるのが大事です。
私は新開地の近くに生まれ育ちました。震災で大きな被害を受けたとはいえ、路地とか裏通りがある。長田には再開発ビルがあるが、ビルから1本路地を入ればお風呂屋さん、居酒屋さん、お好み焼き屋さんがあって、昔ながらの街の良さが残っている。できるだけ新旧がうまく調和した形で進化していく、歴史を大事にした取り組みも、非常に大事だと思います。
■周辺都市より遅れた再整備…理由は?
ーーQ:「変わり映えしない」と言われ続ける神戸・三宮の街。一方で、京都も大阪も、駅前は昭和の頃から様変わりしている。そんなに「駅前」が大事ならば、再整備が遅れた理由は何なのか。震災前の神戸は、もっと光輝く街だった印象がある。これも震災の影響なのだろうか。
震災前の神戸が「右肩上がりで成長し続けていた」というのは、そうではない。どこかで行き詰まりを迎えていたと思います。
おそらく昭和30年代までの「港の時代」の後も、神戸は成長を続けた。それは「株式会社神戸市」といわれた手法です。山を削って海を埋める。これによってニュータウンができ、ポートアイランドができ、六甲アイランドができた。これはどこかで行き詰まりを見せていた。神戸の都市経営というものがある程度限界に達し、下り坂になり始めていた時に、地震が起きたんだと思います。
その時、国は決して神戸を軽んじていたわけではないのですが、国から見た神戸は、「“株式会社神戸市”で財政余剰も相当あるはずで、自力で再建できる」という意識があったのではないでしょうか。
神戸市は巨大な借金をして、たちまち財政は行き詰まりました。当時は「財政再建団体になるとしたら神戸だ」と言われました。国の管理下に置かれるわけですから、都市自治を育んできた神戸市民にとって耐え難いことです。だからその後、財政再建が始まります。
財政再建を優先するために、ほかの都市、例えば大阪、同じ震災で被害を受けた西宮、最近では姫路ですよね、そういう周辺都市に比べて神戸の街づくりは相当遅れました。しかし、それをせざるを得なかったのです。
震災が起きた1995年から2015年までの20年間、神戸市の職員数も33%削減しました。この間の全国的な削減率は16%ですから、2倍以上削減したわけです。
ようやく、ここ10年弱くらいでしょうか、財政再建が大きな効果を発揮して、様々なプロジェクトを前に進めていく前提条件ができました。これを最大限使って、神戸をどういう街にしていくかということが問われています。
■また大規模開発?にぎわいを生むには
ーーQ:三宮でも郊外でも進む駅前再整備。莫大な費用がかかることは間違いない。それは昔の「株式会社神戸市」と何が違うのか。今回の「再整備」と、過去の事業との違いはあるのか。そして、街のにぎわいをどう生み出そうとしているのか。
三宮の再整備も、公共投資によって有効需要を創出する(=お金を使いたくなる物事をつくる)ことを目的にしていません。仮にそういう効果があったとしても、それは副次的なものです。この三宮の再整備は、三宮の駅前を、便利で賑わいのある、たくさんの方が来ていただける空間にするために行っているものです。
神戸市としてやるのは公共空間の整備です。今、私たちがいるアモーレ広場もそう。これは神戸市がやらなければいけない仕事で、この広場をつくることで、たくさんの人が行き交うようになりました。このサンキタ通りの再整備(=阪急神戸三宮駅北側アーケード街の遊歩道化)も、民間事業者の皆さんと神戸市が一緒に進めました。
民間事業者の皆さんが開発計画をつくる、その計画が全体の街づくりにできるだけマッチするようにコーディネートしていく。コーディネーター役としての役割が、自治体としての神戸市の大きな役割だと思います。
神戸というのは、市民が助け合って震災から街を蘇らせてきました。今の時代に相応しい、相互のコミュニケーション、相互扶助のネットワークのようなものを作り上げることができたらと思います。行政が主導するのではなく、市民の皆さんの自発的な関わりが前提です。誰かのために役に立ちたいと願う人たちの思いが実を結ぶように、プラットフォームを用意していく。『つなぐ』ってことかもしれません。それも行政の大きな役割ではないかと思います。
震災復興で神戸市は、行政主導で長田区に巨大すぎる再開発ビルを造って失敗した「前科」がある。同じ過ちを繰り返してはならない。街づくりは市民や、善良な民間事業者が主体となって進め、行政はそれを支える、そんな形が理想だ。未来の神戸が、素晴らしい街になることを願ってやまない。
(関西テレビ報道センター神戸支局長 鈴木祐輔)
※特集「震災27年 傷ついた街の再生へ…ユニーク社長の挑戦」(https://www.ktv.jp/news/feature/220112/)の取材から再構成しました。