■ろうそくを灯し… “追悼のつどい”続ける男性
阪神淡路大震災。
多くの命が失われた朝に行われる集いで、ろうそくの火を灯し続ける人がいます。
彼を変えたあの日の光景と言葉…、今も集いを続けるのには理由があります。
兵庫県伊丹市にある昆陽池公園。
そこに、ボランティア団体の代表・赤松弘揮さん(53)の姿がありました。
災害の被災地支援をするほか、この場所で行われる阪神淡路大震災の「追悼のつどい」を営んでいます。
追悼では、犠牲者の数と同じ6434本のろうそくを灯します。
【赤松弘揮さん】
「ロウソクは亡くなられた数の命の灯をあらわしている。だから数はイコールなんです。再び命を灯す、生きてた時間を共に過ごすために灯す、ということをやっているんです」
27年間ずっと続けてきた赤松さん。
ボランティア活動を始めたきっかけは、「あの日」でした。
1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災。
27年前、赤松さんは西宮で学習塾を経営していました。
自宅が全壊する中、ある訃報に接します。
それが、当時赤松さんの教え子だった竹田誠くん(当時9歳)。
■教え子が命失い… あの日の光景と言葉
誠くんが亡くなったことを知り、向かった遺体安置所で、赤松さんは忘れることのできない光景を目の当たりにします。
【赤松弘揮さん】
「一番奥に受付があって、『(誠くんは)隣の部屋です』って言われて。その部屋の扉は、いま考えれば軽いんだけれども、当時はものすごく重たくて。扉を持って、ぐーっと開けたら、50、60のご遺体が並んでて。お父さんお母さんに声かけたら、『見てやってください』って言われて。ご遺体がいっぱいある中に、小学校4年生の彼がいて、彼のそばにクリスマスに渡したおやつの袋が置いてあるんです。『誠くんがずっとこの袋を持ってて、(おやつが)無くなってもまたお菓子を入れてたんですよ』っていう話をされたんですよね」
その時、(誠くんの)家族に言われたことが、今も赤松さんの心に残っています。
【赤松弘揮さん】
「『何かできることありますか』って聞いた時、お父さんが「まこ(誠くん)が腐っていってんねや、ドライアイスなんとかできへんかな先生』って言って。僕もその時まで気づかなくて。亡くなった人を保存するためにドライアイスがいるんだ、それすら今ないんだっていうことが分かって。じゃあなんとかしようと」
被災地をかけずり回り、できるだけ多くの犠牲者のためにドライアイスをかき集めました。
この時の経験がひとつのキッカケとなり、活動の範囲を広げるため、ボランティア団体の代表となります。
■支援と追悼…次世代につながる教訓と思い
それから27年、事務所を兼ねた自宅には、災害救援に使う道具が積まれています。
ーーQ:これは何に使うもの?
【赤松弘揮さん】
「泥のかき出しとかに使うんです。詰まった所とか水害の時とかに。チェーンソーもあわせて5台くらいあるけどね」
時には費用を自己負担しながら、活動を続けてきました。
そして、子供たちに対しても直接、震災の教訓を伝え続けています。
【赤松弘揮さん】
「この先、本当なら皆さんには災害にあってほしくないと思う。でも、それがどうしても防げないかもしれない。その時に考えて動けるようにしてください」
この日行われた中学生への講演。
話すだけでなく、災害への対応策を子供たち自身に考えさせます。
【生徒は】
「(地震が起きたら)外にいたほうがいいのか?中にいたほうがいいのか?ここは安全だよ、っていうのを言いたいよね。ここ避難所になるっていう看板的なものを立てるとか」
赤松さんは震災の悲惨さを知ることに加え、突如訪れる災害に自らが対応できるようになることを願っています。
【赤松弘揮さん】
「どんなことを話しても、経験しないと分からない。分からないことが当たり前だとも思う。経験していないことを理解しろって言っても、どれだけの映像を見ても、どれだけの本を読んでも、どれだけの話を聞いたって実際の体験の状況は分からない。でもやらなきゃいけないし、伝えていかないといけないんです」
そんな赤松さんの思いは少しずつ、震災を知らない子どもたちや、周りの多くの人たちに広がってきました。
5年前から、追悼のつどいで使うろうそく作りを行う、伊丹市立西中学校。
赤松さんたちの活動に賛同する全国各地の人たちから、ろうそく作りに必要な「廃ロウ」が送られてきます。
【教師は】
「個人でロウソクを持って来る人もいっぱいいますよ。『どうも~、ろうそく持って来ました』って。最初は自分の学校の分を作るのが精一杯で、なんとか全校生の分を作れたというところから始まって。赤松さんが『次は他校に行こうよ』って言いはるから、他校の分も作り始めたんです」
6000本を超えるろうそくを、1本1本丁寧に作る生徒たち。
自分たちが生まれる10年以上前に起きた震災と向き合ってきました。
【生徒】
「震災とかで亡くなった人って、突然地震とかが起きてしまって、もっと生きていたら、もっと思い出もあったと思う。その人の分も、今の人たちが生きられればっていう思いがあって作ってます」
■教え子の家族が見つめてきた 赤松さん27年間の活動
毎年この時期に赤松さんが訪ねる場所があります。
教え子の竹田誠くんの実家です。
【誠くんの母親・竹田眞由美さん】
「27年、本当にありがとうございます」
【誠くんの父親・竹田守さん】
「続けることが一番難しいよ。言うのは簡単やけどやるのは大変」
竹田さんも赤松さんの活動を27年間、見続けてきました。
【誠くんの母親・竹田眞由美さん】
「子どもを亡くした悲しみっていうのはすごくあるんですけど、無駄になっていないなって思うんですね。まこ(誠くん)だけでなく、亡くなられた方を改めて生かしてくださってるんじゃないかなって。本当にそれは思います」
【赤松弘揮さん】
「生かされて生き残された僕自身が、試されてるのかなぁと思うんです。『これでやめる?これであなたの思いは終わりなの?』と聞かれているような気もしますね。多くの人たちの心の中に、地震で亡くなられた方々の思いがちゃんと根付いて、ろうそくでなくても人への思いやりの気持ちを心の中に灯してくれれば。思いが通じていくのかなと思っています」
思いが27年こめられ続けたロウソク。
17日には、震災の犠牲者を想う光となって、昆陽池の朝を灯します。
(2022年1月14日放送)