発生から、丸27年となる阪神淡路大震災。当時少年だったシンガーが、ことし追悼式典で「遺族代表」となります。
シンガーソングライターの田代作人(たしろ さくと)さん。「生きていることの重み」を伝える曲を発表してきました。作人さんにとって大切な日があります。
■自宅がほぼ全壊 17歳の姉を失う
1995年1月17日、午前5時46分に発生した阪神淡路大震災。街を一変させたこの地震で、6434人の命が奪われました。
作人さんは当時、小学4年生。神戸市東灘区森南(もりみなみ)地区にあった自宅で被災しました。自宅は、ほぼ全壊でした。
【田代作人さん】
「上(2階)あがって 布団入った瞬間に揺れ出した感じだったので、ずっと起きていたんですよ。めちゃくちゃ怖かったですね。何が起こったか分かってなかった。生き埋めになって、気が付いたら真っ暗でがれきのなかでみたいな感じだったんで、ほんまに怖かったですね。とにかく」
別の部屋で寝ていた作人さんの姉・瑞恵(みずえ)さん。崩れ落ちてきたがれきの下敷きになり、命を失いました。17歳でした。
【田代作人さん】
「僕は(姉が)助かったと思ってたんで、がれきから出された時には、診療所に姉ちゃんいってるってなって。母親と2人やったんかな、行って、母親が先に診療所入って、待合室で待っていて、母親出てきて『あかんかった』っていう話を聞いて」
■5人きょうだいの長女だった姉 家族それぞれの記憶
5人きょうだいの長女で高校生だった瑞恵さん。予備校にも通いながらアルバイトもこなし、家では掃除の邪魔をするやんちゃな弟たちを叱り、せわしなくもにぎやかな日々を送っていました。
父親の正勝(まさかつ)さんの実家がある兵庫県加古川市に、瑞恵さんのお墓はあります。姉の存在を感じられる、作人さんにとって大事な場所です。
【田代作人さん】
「決意表明的な事は絶対しますね、ことしはこういう風に頑張るとか、遺族の代表で話すから、自分が今まで積み重ねてきたことをちゃんと伝えられるように見守っといてくださいと話したり、(瑞恵さんに)目に見えて優しくされた記憶はないですよね。ずっと怒られてました。コラァー!みたいな。スンマセンって」
家族の中でもそれぞれが知らない瑞恵さんの記憶があります。
【作人さん】
「毎日掃除機かけてるイメージしかないから。小さいころからやってた家事とか」
【作人さんの父 正勝さん】
「小公女セーラが好きで、家事とかそういうのを」
【作人さん】
「好んで進んでやってたんや」
【作人さんの父 正勝さん】
「セーラのつもりになって」
【作人さん】
「いい影響受けてたんやな。小公女セーラか。知らんかったわ、それ。」
■姉の死をきっかけに変わった家族 乗り越える日々
作人さんは半年ほど前から父親の正勝さんと2人で暮らしています。
【田代作人さん】
「昔は、お父さんが家帰ってきたら、(自分は)まだ帰ってきてなくて働きに出てて、朝起きたら(お父さんが)もう働きに行ってて、もうほとんどすれ違いみたいな。いまは、逆やもんな」
看板をデザイン、制作する職人だった正勝さん。5人の子どもたちを育てるため、昼夜問わず働く毎日。そんな時に震災が起こりました。
【作人さんの父 正勝さん】
「職人ってそんなにいるわけじゃないからほとんど徹夜徹夜で。そんなに頑張って家族なんとか食べさせてきたのに震災であっという間に長女が持っていかれて、なんか糸がぷつんと切れたように無気力の状態が1年くらい続いて」
新たに始めた看板製作も立ち行かなくなり、正勝さんたち両親は離婚。そんな中、作人さんは、高校卒業後も働きながら音楽を続けました。曲作りには瑞恵さんや震災が強い影響を与えています。
【作人さんの父 正勝さん】
「こんなええ加減な親であるばっかりに、兄弟みんな家族ずっとつらい思いさせて、そんな中でも、家族やお姉ちゃんのことを一番思い、表現してくれてすごいありがたい」
【田代作人さん】
「僕はある種、お姉ちゃんの墓を掘り起こすようなことをしてるんちゃうかなって、すごく迷った時期もあったし。親不孝してたんちゃうかなって部分もあるから、こうやって言ってもらえたら、めちゃくちゃありがたいですね」
■墓前で姉に報告したことを忘れないために 特別な曲
作人さんにとって特別な曲があります。「Dear Sister」です。音楽で生計を立てられず、神戸でホームレス生活を送っていた時に作った曲でした。
【田代作人さん】
「この状態で姉ちゃんに会ったら、これは恥ずかしすぎるというか、面目が立たへんなって色々考えました。まずお墓参りから行こうと思って、その時にお墓の前でいろいろ考えて、もうちょっとこうしていくわ、とか、こうやっていかないとあかんな、という話を1人でしたんですけど、その時に思ったことを墓参りの帰りに、これは曲にしようと思って、姉ちゃんに報告したことを曲にして忘れんようにしようと思って作りました」
姉への思い、約束。歌うことで、あの日と向き合ってきました。
【Dear Sisiterを歌う作人さん】
「家が潰れて あなたが死んで 初めて気付いたこと側にいること 側にいる人 当たり前が当たり前じゃないこと 何もかもが生きてこそだと… 今持てる全てで 雲の上のあなたに誓うよ あの日とは違うけど 生きていく力に変える夢を 描いていく 描いている もう描いているよ」
突然の別れを経験した日。伝えたいことがあります。
【田代作人さん】
「これ(震災を)を乗り越えているとは思えないけど、乗り越えるために取り組んできた。後ろ向きな時もあったから、それを乗り越えて前向きにやろうとしている姿を感じてもらえたら」
(関西テレビ「報道ランナー」2022年1月11日放送)