大阪教育大学附属池田小学校で起きた児童殺傷事件から6月8日で20年となります。この事件は、2001年6月8日午前10時過ぎに起きたもので、男が包丁を持って学校に侵入して凶行に及び、8人の児童が殺害され、15人の児童・教師が負傷しました。
事件で亡くなった酒井麻希ちゃん(当時2年生)の父親・酒井肇さん、母親・酒井智恵さんに、今の思いを聞きました。
【酒井肇さん】
「今、20年たって思うこと…まず思うのは、報告書ができなかったことです。これは達成したかった。それを成しえなかった。それが大きく一つ、気持ちの中にあります」
20年の振り返りを尋ねると、酒井肇さんは、こう語り始めました。指摘するのは、事件を検証した公的な報告書が作られなかったという点です。
■長年にわたり求めてきた「検証作業・報告書づくり」
事件後、酒井さん夫妻は、学校の安全について考え続けてきました。事件は犯人が引き起こしたものですが、学校が、悪意を持った人物の侵入を容易に許してしまったことは否めません。
犯人の男は事件当日、開けっ放しにされていた学校の通用門から歩いて侵入しました。そして中庭を横切って校舎に向かいました。中庭では、すれ違った教師が軽く会釈をし、男は通り過ぎました。この時、教師から「どなたですか」「何かご用ですか」といった声掛けはありませんでした。
校舎に入った男は包丁を手に凶行に及びますが、教室にいた1人の教師は、男の侵入直後に教室を離れ、教室には男と児童だけがいる状態ができてしまいました。この教師への聞き取りによれば、教室を離れたのは通報のためでしたが、児童の避難誘導をすることはできませんでした。
男は、「もし門が閉まっていたら犯行に及んでいなかっただろう」という主旨のことを裁判で話しています。学校に、もう少し備えがあったら…と悔やまれる点がいくつもあるのです。
酒井さん夫妻は、こうした点をしっかり検証し、報告書にまとめて、多くの人が共有できる形にすべきだと長年主張してきました。
学校は事件の後、各教師に聞き取りを行い、事件の概要をまとめた報告書を作りました。しかし、これは附属小学校の校長が大阪教育大学の学長に対して提出した内部的な報告書です。これ以上の公的な調査や報告書づくりは行われていません。
【酒井肇さん】
「なぜ、学校設置者である大学自体が報告書を作らないのでしょうか。また、国立の学校なのだから文部科学省がやってもいいはずです。航空機事故などでは、調査委員会が立ち上がって、公的な報告書が作られます。事件事故について情報を共有し、再発防止を進めるために報告書を作るんです」
「重大な失敗を繰り返さないために、第三者が事故について客観的に調査し、報告書をまとめ、社会全体で事実と教訓を共有するんです。航空機や鉄道などの事故には、そういうスキームがあります。なのに、なぜ、8人もの児童が亡くなった重大事件で、これが行われないのでしょうか」
学校側は2014年、あらためて事件の報告書を作成することはしない、という結論を出しました。その時点で「事件からかなりの時間が経ってしまった。もう一度さかのぼって関係者から聞き取り、報告書としてまとめるのは困難」と理由を説明しています。
■文部科学省の「指針」が重要な第一歩に
報告書ができなかったことが悔やんでも悔やみきれない…そう語る酒井さん夫妻。そんな思いを抱えてきた夫妻が、前向きな気持ちになれる取り組みが、文部科学省で行われました。「学校事故対応に関する指針」の取りまとめです。この「指針」は、文部科学省が2016年にまとめたもので、以下のことを決めています。
学校内で死亡事故など重大な事件・事故が起きた場合
・学校は3日以内をめどに教職員や生徒からの聞き取りなど基本調査を行う
・学校の設置者が詳細調査(外部専門家の委員会による調査)への移行を判断
・原則すべての事案で詳細調査を行うことが望ましい
・必ず詳細調査を行うケースは
教育活動自体に事故要因があるとみられる場合
家族から要望がある場合 など
・都道府県教育委員会などは報告書を国に提出する
この指針の策定のため、文部科学省は有識者会議を作りました。この会議のメンバーに酒井さん夫妻が選ばれたのです。有識者会議での議論に参加し、指針作りに携わったことについて、酒井智恵さんはこう振り返ります。
【酒井智恵さん】
「事件の後、文部科学省と遺族との間で合意書が交わされました。そこには“再発防止に努める”と書いてありました。しかし、国というのは遠い存在で、何をしているのか、見えないところがあったのです。でも有識者会議のメンバーに選ばれ、文部科学省のやっていることを近くで見ることができました。“報告書は大事です”と言い続けたことが、実際に形になったんです。一歩前進したと思いました」
今では、いじめによる生徒の自殺、学校内の施設が倒れて児童が死亡した事故など、重大な事件・事故について、第三者委員会が報告書をまとめることがしばしばあります。
これらの手続きは多くの場合、「学校事故対応に関する指針」に沿っています。
今、学校での事件・事故について、客観的な検証が行われる背景には、附属池田小学校の事件の反省があるのです。
酒井智恵さんは、指針の意義についてこのように話します。
【酒井智恵さん】
「事件事故の再発防止ということはよく言われますが、それをやっていく仕組みを作ることが重要だと思います。個人の思いとか、やる気とか、そういうものに頼るだけでは、対策は維持できません」
「反省点や教訓を、多くの人が共有できる形にすることが重要です。そのために報告書を作るんです。そのことが“指針”という形になったこと。これは重要な第一歩です」
■学校の安全を維持する“仕組みづくり”を
しかし、この指針にも課題はあります。文部科学省は、学校での事件事故のうち、報告書を作成すべき事案が何件あるのか、正確に把握していません。
死亡事故でも、遺族が調査を望まないケースなどで報告書を敢えて作成しない場合もあるということです。報告書を作成すべき事案は何件か、といったデータを正確に把握する仕組みは、「指針」にないのが現状です。ただ、死亡事故の件数と報告書が作られた件数を比較すると、報告書が作られるケースは10%未満にとどまります。
この実情について酒井智恵さんは「非常に気になります。事件事故があった学校で、なぜ調査や報告書作りができないのか知りたいところです」と話しました。
文部科学省は取材に対し、報告書が作られるケースが少ないことについて、「学校や都道府県がきちんと事件事故について振り返った上で、不要と判断した結果」と答えました。一方で、今年5月には指針に基づいた報告をするよう、あらためて学校や都道府県に通知を出しています。
【酒井智恵さん】
「どこの学校でも先生は大変だと思います。先生は、子どもと向き合うことを頑張ってくれることが一番です。でも、それ以外にいろいろな仕事が学校にありますよね。そういう部分を、今はボランティアの地域の人が担っていたりしますが、もっと多くの大人が学校にいてもいいじゃないですか。専門家も、もっと学校に関わってほしい。先生だけではできないけど、やる必要はあるということを、ちゃんと実行する仕組みを作らないと」
「私たちが歳を取って、こういうことを言う元気もなくなったら、もう事件の教訓なんて消えてしまいますよ。そうならないために、個人の思いとか、先生の頑張りとかに依存するのではなく、ちゃんとした“仕組み”にすることが必要です」
今であれば、「指針」に沿って検証・報告書づくりが行われたはずの附属池田小学校事件。しかし、それは行われませんでした。
【酒井肇さん】
「8人の子どもが命を失った事件で、報告書もまとめられないなんて、おかしいことです。子どもたちの死に報いることができていない…などというレベルの話ではありません。これでは事実が事実じゃなくなっていきます。事実が残っていかない。10人の先生がいたら、10人の教訓があります。犯人とすれ違った先生と、避難誘導ができなかった先生の反省点は違います。それぞれに思いはあるでしょうが、全体として総括されていません」
「内部的な報告書だけでは、書かれていることは個人的な思いや、内輪の話で止まってしまって、社会全体で共有できません。附属池田小学校では、新たに報告書を作ることはしないという決定をしてしまいました。そういうおかしなことにならないために、学校で何か重大なことが起きたら、ちゃんと検証して報告書を作ることが国の指針として決まったわけです。だから、学校で何かあったら報告書が必ず作られるように、仕組みを確立してほしいと思います」
■学校が「子どもにとって安全な場所」であるために
附属池田小学校の事件を契機に、日本中の学校が変わりました。学校の門が常時施錠されたり、来校する保護者のIDカード着用が常識になったりしました。事件が、日本の学校に「安全」の意識を植え付けたのは確かです。
当時、多くの関係者が悔い、反省したことがありました。しかし、20年たった今、附属池田小学校事件と「学校の安全」が、頭の中で結びつかないという人が多くなっています。強烈な事件の印象が薄れ、事件から学ばなくてはならないことも、あいまいになりつつあります。そんなとき、教訓を学び直すため、客観的な検証や記録が重要になってくると酒井さん夫妻は言います。
学校を、子どもにとって安全な場所に保つ取り組み。それを「社会の仕組み」にしていきたい…7歳の娘をなくした、酒井さん夫妻の願いです。
(聞き手 関西テレビ記者 豊島学恵 鈴村菜央)