普段は、地域で料理教室を開き、優しく指導する女性。
しかし休日になると…子どもたちに鋭いノックを打つ熱血指導者。
指導歴は50年目の御年80歳!
卒業生はなんと1200人です。
【棚原安子さん】
「あの姿見たらあそこより元気出さなあかんと思って、負けてられんでしょ。」
今も130人を指導する「大ベテラン」
強い日差しに負けず、元気に白球を追う子供たち。ノックを打つのは棚原安子さん。
吹田市の少年野球チーム「山田西リトルウルフ」を指導して、約50年。
御年80歳です。
【児童】
「おばちゃん、おばちゃんって」
指導を受ける子供たちは、みんなこう呼びます。
――Q:いつからおばちゃんと呼ばれてるんですか
【棚原安子さん】
「はじめからですね、旦那(夫)が監督だった。私のことは皆がおばちゃんと言い出したので、そこからずっとおばちゃんですね。」
教えているのは、5歳から小学6年生まで、あわせて130人以上。
大人数で一か所での練習が出来ないため、棚原さんは各練習場を見回ります。
元高校球児の新人アナウンサーがノックを受けさせてもらうと、棚原さんも本気モード。打球はどんどん速くなっていきました。
【山本大貴アナ】
「…ありがとうございました」
【棚原安子さん】
「運動不足が分かります」
【山本大貴アナ】
「情けない、ばれてしまった」
――Q:何でそんなに元気なんですか
【棚原安子さん】
「エネルギーの源は子供たちです。あの姿見たらあそこより元気出さなあかんと思って、負けてられんでしょ」
自ら声をかけスカウト…その中にはプロ選手も
高校卒業後、実業団でソフトボール選手として活躍した棚原さん。
同じ会社の野球部に所属していた夫・長一さんと結婚し、1972年に夫婦で「山田西リトルウルフ」を立ち上げました。
【棚原安子さん】
「父ちゃんの一目ぼれやんな」
【夫・長一さん】
「そうやそうや」
長一さんは、体力の劣えなどから8年前に監督を引退。
現在は、棚原さんが介護とともにチーム運営を行っています。
全国でもトップクラスの人数を誇る、山田西リトルウルフ。
棚原さん自らがビラを配って子供たちを勧誘しています。
この日も自転車に乗っていた少年3人組に声を掛けます。
【棚原安子さん】
「なんかやってる学校で?」
【小学生】
「やっていない」
【棚原安子さん】
「土日は何がある?」
【小学生】
「せっかく休みやし休みたいなー」
こうした精力的なスカウト活動のなかで、こんな出会いも。
【棚原安子さん】
「多分ここやったと思いますよ。虫取りしていたと思いますよ、網持って。しょっちゅう網持って遊んでいた子なので」
――Q:誰に声かけた
【棚原安子さん】
「T-岡田、オリックスの」
声をかけたのは、今ではオリックスの主砲にまで成長したT―岡田選手。
虫取り少年に、野球との運命の出会いを作ったのは、棚原さんだったのです。
【棚原安子さん】
「6年生の173cmあったので、ホームラン5.6年で数えたら31本打ってました。そこまでいったのは私らの誇りですしね」
野球を通じ、子供たちの自立を目指す
【棚原安子さん】
「もしもしー棚原です。」
自宅で電話を取る棚原さん、電話の相手はチームの小学生です。
【棚原安子さん】
「土曜日が1年生は”山五”で1時~5時までね」
実はこれも指導の一環。小学生に自ら電話をさせて、練習時間の確認をさせているのです。
【棚原安子さん】
「連絡網は作っていません。低学年は。全部土日の予定を聞くようになっている。電話のかけ方の練習なんです。これを訓練してあげれば、社会に出た時に戸惑わないやろうという考えから、全部電話はかけるようにさしている」
練習中も子供たちには様々な言葉を投げかけていました。
【棚原安子さん】
「もちろんユニフォーム洗っているし、お茶も自分で入れてきてるな?」
「相手と争うけど憎しみをもってはいけない。人間形成をするのがスポーツやねんから」
「野球を通じて子供たちの自立を目指す」
それが棚原さんの指導です。
【保護者】
「自分で自分のことをやるのは習慣として根付いている」
【保護者】
「見習いたいところはたくさんある。なんでもさせてみようと思う」
さらに指導のポリシーは「活動費」にまで現れています。
子供たちが月に1回行う新聞回収。
これで得る収入で、年間約200万円の活動費の約3分の1をまかない、家庭が払う月謝を低く抑えているのです。
【棚原安子さん】
「厳しい中で育っていかないとあかん、社会に出ないとあかん、甘ったれた子どもを育てても世の中出たら役に立たないじゃないですか。きっちり家庭生活の中から、きっちり教えてくれる覚えていくことが大事やと思います」
こうした指導方針に魅力があるからこそ、今も130人以上の子供たちが集まってくるのかもしれません。
全ての子どもに光を当てる指導
これまで指導した子供たちは約1200人。
今も多くの卒業生とつながっています。
【棚原安子さん】
「クリスマス会とか全部集めるので。この子たちは今、中学校の先生をしていますね。T-岡田は誇りですけど、決してトップメンバーだけに光を当てるのではなく、そういう子らも私らの誇りですね」
全ての子供たちに光をあてる。
それは今のチームにも反映されています。
6年生の齊藤汰一くん。
Bチームのキャプテンを任されています。
――Q:齊藤君はどんな選手?
【棚原安子さん】
「技術は別として、メンバーでなくてもベンチでしっかり声が出る子。あの子の人格を認めてキャプテンにしましたね」
試合の前日、キャプテンの斎藤君はおばちゃんに意気込みを伝えます。
【齊藤汰一君】
「おばちゃん、明日頑張ります」
【棚原安子さん】
「がんばってやー、勝ってる姿みたいな」
【齊藤汰一君】
「みんなが助かるような、いいプレーを見せられたらいいなと思います」
今年は新型コロナウイルスの影響で大会が3カ月遅れに。
待ちに待った大舞台です。
【齊藤汰一君】
「絶対勝つぞー」
齊藤君は7番レフトで出場します。
【棚原安子さん】
「子供の魅力はどんな宝石よりもすごいですよ。全く出来ない子でも可能性があるんですよ。」
【棚原安子さん】
「ピッチャー頑張れ」
2点リードされて迎えた最終回、バッターは齊藤君。
一打逆転のチャンスでしたが…内野ゴロ。試合は惜しくも負けてしまいました。
勝利を届けることは出来ませんでしたが棚原さんは優しく迎えます。
【棚原安子さん】
「たゆまぬ努力が出来る子を作る、困難にあってもそれにめげずに戦い抜ける子を作りたい。一人たりとも粗末にしたくない」
社会に出る子共たちに、生き抜く力を身に着けてほしい。
棚原さんは今日もグラウンドに立ち続けます。