4月25日で発生から15年となるJR福知山線脱線事故。
事故で娘が大けがをした女性は被害者同士で支えあう活動を続けているなかで、15年間、ずっとある思いを背負い続けています。
願いを込めた「空色のしおり」
一つ一つ丁寧にリボンを通して作るしおり。
三井ハルコさん(64)。
次女が15年前、事故で大きなけがをしました。
毎年、願いを込めて、このしおりを配っています。
【三井ハルコさん】
「こんなことあったのに忘れないでって、当時者たちが一生懸命やっているんだけど、被害者がいつまでもっていうんじゃなくて、みんなに知ってもらいたいし、みんなで少しでも社会が安全で安心になることを願っているんだよって伝わる方が…」
しおりのイメージは、あの日の青空です。
事故から数時間、生死分からず…病院で再会
2005年4月25日。
【記者リポート】
「私の後ろには大破した車両がそのまま残っています。中にはまだ人が残されているものとみられ、懸命の救助作業が続いています」
月曜日の朝、制限速度を超えてカーブに侵入した列車が脱線してマンションに衝突。乗客106人が死亡し、562人が重軽傷を負いました。
三井さんの次女・花奈子(かなこ)さんは入学したばかりの大学に向かうため、2両目に乗っていました。
事故から数時間、花奈子さんの生死すら分からない状況が続きました。
病院で再会できたことについて三井さんは当時、こう話しています。
【三井ハルコさん】
「生きて会えてよかった。一緒に過ごせるので、命を託されているんだろうけど、反対にとても重いものがあります」
花奈子さんは鎖骨や腕の骨が折れ、強く打った右耳の聴力が大きく低下。
約1か月後に退院しましたが、 しばらくの間、感情を表に出そうしませんでした。
【三井ハルコさん】
「お花選ぶ?」
同じ被害者家族だが…『ごめんなさい、という感じ』
花奈子さんのケガだけでなく、目に見えない心の傷とも向き合う生活。
三井さんには15年間変わらずに抱えている思いがあります。
【三井ハルコさん】
「私から見たら同じ家族の立場だけど、子供が生きているだけでごめんなさいっていう。今でも子供と会えて話ができて、ごめんなさいって感じなんですね」
「被害者の家族」として支えあえないか。
その思いで始めた被害者支援で、遺族たちと関わりを深めるうちに、置かれた状況の違いに悩むようになったのです。
被害者や家族の心のケアに携わってきた医師によると、このような感情を持つ人は少なくありません。
【兵庫県こころのケアセンター・加藤寛センター長】
「遺族の苦しみは当然強いのでそれを無視することはできないけど、一方でそういう影響受けなかった人の苦しみは無視されてきただろうし、自分自身もずっと抑え込んできたことはあると思う」
重圧を感じながらも、三井さんはこれまで負傷者とその家族の集いを開いてきました。
続くけがの痛みを和らげるにはどうしたらいいのか、加害企業であるJR西日本とどう向き合っていくのか―
尽きない悩みを共有し、支え合ってきました。
【三井ハルコさん】
「どんなに声を聞きたくても顔を見たくてもどんなに触れたくてもできない、そのむごさ辛さを味わい続けている人に何ができるんだろうって、甘いもんじゃないって思って、私ができる範囲でサポートさせていただこうと思って、あそこだったら、安心して事故のことを話していい。そういう場を作り続けておく、お守りのように思ってくれたらいいなと」
事故で影響を受けた人たちに…広く支援を
当事者として模索を続ける中、2012年、国は「被害者支援室」を設置。事故が起きた場合、加害企業とは別に、遺族や被害者を支えるための長期的な窓口となる制度ができたのです。
事故の教訓から一歩を踏み出した社会。三井さんは事故で影響を受けた様々な人たちに支援が広く行きわたるよう求め続けています。
【三井ハルコさん】
「家族の立場でものすごくしんどい人がいて、そこへまでの気づき(理解)はまだ道遠し。事故があった日から必死で生き続けている人もいて、そういう人たちが一生懸命伝えていることがあるんだなというのを気づいてもらえるようになればな」
いつもの生活が失われたあの日から…15年に。
苦しみながらも、多くの人の思いを背負って前に進もうとしている人がいます。