京都市内のコンサートホール。
この日行われる演奏会で指揮者として舞台に立つのが、井手章夫(いで・ふみお)さん93歳。
アマチュアオーケストラの指揮者として、およそ70年、活動してきました
【井手さん】
「ひっくり返ったらひっくり返った時のこっちゃ。
“あんなオジイでも生きとるわ”って見ていただいたら それでええねん」
演奏するのは大阪交響楽団。井手さんがプロのオーケストラの前でタクトを振るのは初めてです。
93歳での指揮は、世界的指揮者だった朝比奈隆さんらに並ぶ記録です。
今回の演奏会、開催されるきっかけとなったのは、井手さんとある方との縁でした。
12月下旬、演奏会の告知を兼ねたラジオ出演。
井手さんに横にいるのが今回の演奏会の仕掛け人で、
クラシック音楽にも造詣が深い、落語家の桂米團治さんです。実はこの2人・・・
【桂米團治さん】
「具体的に言うと(井手さんは)私の妻の母親のお姉ちゃんの旦那さま。
私の義理の伯父です。遠い親戚です」
おととし、親類の葬儀で初めて深く会話をし、井手さんの指揮者歴を知った米團治さんが、
「93歳の指揮が見たい」と今回の演奏会を企画したのです。
【桂米團治さん】
「伯父さんの温かいお人柄、そのお人柄が醸し出す空気を感じていただけたら嬉しいなと思います。
ある種、かたくなに思い続けているものがあるっていうのがいいですよね」
昭和2年生まれの井手さん。終戦直後から高校の化学の教師をしながら
アマチュアのオーケストラを立ち上げ、指揮を担当してきました。
【井手さん】
「これからどんな本でも読めるんじゃないか。どんな音楽でも聞ける時代になったと気がつきましてね。
オーケストラをやろうやないかと」
以来、アマチュア指揮者として音楽活動を続け、最後に舞台に立ったのは12年前。
今回の演奏会は指揮者人生の集大成とも言えます。
演奏会まであと2週間。米團治さんと一緒に井手さんの自宅を訪ねました。
オーケストラとの全体練習は本番前日の1日のみ。それまではレコードが練習相手。
譜面を見ながらイメージを膨らませます。
【井手さん】
「とにかくね、八分音符。これがベートーベンなんです。八分音符がしっかりベートベンを作っていますね」
今回、井手さんが指揮するのは、ベートーベンの交響曲「第2番」。
「第5番」や「第9番」などと比べてあまりポピュラーではありませんが、そこにはある理由が…。
【井手さん】
「一番最初に手に入れた楽譜ですよね。これで「第2番」のスコアを手に入れたんです」
【米團治さん】
「昭和22、23年?」
【井手さん】
「この譜面が見たくて見たくね」
【米團治さん】
「伯父さんのベートベン愛の最初ですね」
【井手さん】
「そうですね」
初めて指揮をした70年前、その時に演奏したのも「交響曲第2番」でした。
ベートーベンに魅了された若き日々…。しかしなぜ、井手さんは音楽家ではなく理系の道を選んだのでしょう?
【井手さん】
「戦争、戦争でそれどころではなかった。親が音楽家になることを許さなかった。
戦争にどっちみち行くやろと行ったら文系はみんなコレですわ。ですから理系は命拾いしよるんじゃないかという…親心でね」
戦争により将来を自分で選ぶことが難しい時代でした。だからこそ…
【井手さん】
「死ぬまではね とにかく精一杯生きること。だからコンサートの誘いがありまして、
そんなこと“ほんまかいな”と思いましたけどね。“やってみようか”と思とるわけですわ」
【桂米團治さん】
「1月9日は指揮は座ってされるんですか?」
【井手さん】
「座ってやらなあかんかもしれないけど、できたら座るのは嫌です」
大阪交響楽団との前日練習、オーケストラと初顔あわせです。
【井手さん】
「井手でございます。あけましておめでとうございます」
挨拶もほどほどに早速、タクトを振る井手さん。
【井手さん】
「その出だしをね 遠慮せずに」
アマチュアとはいえ指揮者活動70年、米團治さんもこのエネルギッシュな姿を見るのは初めてです。
【井手さん】
「もうちょっと早くやりたい、もう少し。八分音符を大事に」。
【桂米團治さん】
「想像以上でした。オーケストラをたたえたり。でも指摘するところは全部指摘している。
すごいね。恐るべし93歳やね」
しかし、リハーサルの時間が進むにつれ・・・
【井手さん】
「ああ しんどい…」
【桂米團治さん】
「座ったままで振られてもいいですよ?」
練習開始から20分、椅子に腰掛け、耳を気にする井手さん。
【井手さん】
「ちょっと休もう」
コンサート本番は30分間、立って指揮をする予定。手応えと不安、両方を感じたリハーサルとなりました。
翌日。井手さんの指揮者活動70周年と、ベートーベンの生誕250年を記念した演奏会が本番を迎えました。
コンサートの前半は米團治さんの粋な語りで、ベートーヴェンの作曲家人生や作品を深く掘り下げた内容。
そして後半、井手さんが思い出の交響曲第2番を指揮します。
終戦直後に聴いた思い出の曲。青年期のベートーベンが抱えていた、
未来への不安が感じ取れる「第2番」は、当時の自分の思いと重なったそうです。
【井手さん】
「あの時は本当にダメやと思いましたね、戦争に負けてね、終戦の時は。
戦争に行って死んでしまったしね。生きているのが申し訳ないと思いましたね。
その時にベートベンの力っちゅうのは大きかったね。“へたっていたらあかん、頑張れ”と言うてくれる。
今さっきあったことは忘れてしまうけど、70年前のことは残っている。不思議なもんですよ人間ちゅうのは」
井手さん、予定していた全ての曲を立ったまま力強く指揮することができました。
【桂米團治さん】
「よかったですね。やっていてどうでした?」
【井手さん】
「命がけや!(笑顔)」