6434人の命が失われた阪神淡路大震災から、2020年1月17日で、「25年」となります。
報道ランナーでは生き抜いた人たちの証言をもとに、あの日の被災地の状況と今を、お伝えしてきました。
神戸市長田区の鷹取地区。今は平穏な日常が流れる住宅街です。
しかし25年前、激しい揺れとその後の炎で多くの人が亡くなりました。
四半世紀が経とうとする今も、刻み込まれた『あの日の記憶』。
激震に襲われながら「支援」が届かなかった神戸市東灘区の森南(もりみなみ)地区で、必死に生き抜いた『あの日の記憶』。
買い物をする人たちで賑わう神戸・三宮。
その中心部にあるセンター街は破壊され絶望的な状況になりました。
活気を取り戻した町で働く人に、今も刻まれている『あの日の記憶』。
震災直後多くの人たちが助けを求めて病院に押し寄せました。
兵庫県西宮市の病院では水も電気も途絶えたなか、1000人を超える人への対応にあたりました。
…極限状態で『命と向き合った記憶』。
2歳の時に家族3人を亡くし、ひとりだけ奇跡的に救出された男の子がいます。
残されたホームビデオで初めて母の声を聞きました。
男の子の25年間の歩みを支えたものとは?
震災で浮き彫りになったのが、災害医療の課題です。
極限の状態で命と向き合った医師たちがあの日の記憶を語りました。
医師たちの間で語り継がれる教訓は、今どう活かされているのでしょうか。
各地に建てられた復興住宅には高齢の被災者や震災で障害を負った人が中心に入居しました。
住人たちの孤独と向き合い続けたある男性の決断と、メッセージです。
当時の映像には、倒壊した建物に閉じ込められた人を、住民たちが救出する様子が記録されています。
実は、生き埋めや閉じ込めから助けられた人のうち、「家族」や「友人・隣人」によって救出された割合は、全体の6割にものぼっているのです。
「命を救う」ための住民同士のつながりをどうつくるか。
この課題に取り組み続け、”防災活動日本一”と言われる、大規模マンションが兵庫県にあります。
震災で傷ついた神戸で生まれ、今では世界に広がった歌があります。
名前は「しあわせ運べるように」。
つくったのは、被災した音楽の先生です。
この歌は、何を伝え続けているのでしょうか