小島汀(みぎわ)さん(震災当時3歳)。
芦屋市のアパートが全壊し、父の謙さん(当時36歳)が亡くなりました。「父の命を奪った震災を知りたい」と、高校では防災を専門に学びました。全国・世界の被災地などを訪れ、その経験を次の世代の子供たちに語り続けています。
去年結婚し、改めて家族の大切さを感じたといいます。
【父を亡くした小島汀さん(28)】
「命の大切さとか、いま大切な人といられるとか、そういうことはきっと父から教えてもらったものだと思っている。それを自分が語ることによって、今日は震災があった日なんだっていうことをちょっとでも覚えてもらうことが、震災を伝えていくことに繋がるんじゃないかなって思います」
千代田健志君(震災当時4歳)。
兵庫県宝塚市のアパートで家族全員生き埋めになり、母のさと子さん(当時32歳)と姉の萌ちゃん(当時6歳)が犠牲となりました。
残された兄弟と一緒に、長崎県の祖父母に育てられた健志さん。お年寄りを支える仕事がしたいと、看護師の道に進みました。
【母と姉を亡くした千代田健志さん(29)】
「25年経って29歳になるんですけど、もうすぐ親の年齢に到達してしまいそうだなと感じてて。震災の経験を踏まえた中で、看護師として自分しかできないことは何かないかなということを考えていきたい」
加藤いつかさん(震災当時15歳)。
妹のはるかさんを亡くしました。
震災の年の夏、自宅があった場所に大きなヒマワリが咲きました。はるかさんが持っていたヒマワリの種が、花を咲かせたのです。
この花を広めることで、命の大切さを伝えてきたいつかさん。“はるかのひまわり”は全国各地で咲くようになりました。
【妹を亡くした加藤いつかさん(40)】
「震災を知らない人でも“はるかのひまわり”という形で知ってくれているということがありがたいなって。そういうことがいっぱい重なって重なってきた25年で…。重なっていくものがもっと、これからも続いていくのかな」
記憶に残っていない震災を、受け止めてきた子どももいます。
湯口礼(あきら)君(震災当時2歳)。
2歳の時に両親と兄を亡くし、1人だけ奇跡的に救出されました。
親代わりになったのは、祖父と祖母でした。震災から10年が経つ頃、思いがけない出来事がありました。押入れの奥から、家族のホームビデオが見つかったのです。12歳だった礼君は、祖父母とともに初めてホームビデオを見ました。
【祖父】「お母さん、礼のお母さん」
【礼君】「うそ?」
【祖父】「あれは礼ちゃうか?」
【礼君】「ちがうし」
【祖父】「1992年。これ礼や」
【礼君】「うそや」
【祖母】「お母さんって言うてるやん」
【祖父】「あれ、お兄ちゃん」
礼君が初めて聞いた、お母さんの声。
【ホームビデオ 母・典子さんが話しかけて子守唄を歌う】
「お母さん好きですか?礼君好きですか?ゆりかごのうたをカナリアが歌うよ~ねんねこ~ねんねこ~ねんねこよ~」
2006年、震災の追悼式で、礼君は家族への思いを伝えました。
【礼君(当時13歳)】
「話を聞いたりビデオを見たりして、お父さんたちがどんな人か少しだけ分かったと思う。ビデオとか話だけで勝手に想像して、僕が思っているお父さんが本当のお父さんじゃないかもしれない。でも、小さい時からおじいちゃんとおばあちゃんに育てられてきたので、あまりそういうことを気にしないで生きています」
大人になった礼さん、今も家族の存在を感じています。
【礼君(27)】
「子どもの時は特に感じなかったけど、最近ですね、(両親と兄に)見られてるんかなと感じるのは。自分の中では生きてるので。あまり記憶がないんですけど、絶対いると思ってるので」
神戸市の小学校では、震災で家族を亡くし、その後教師になった男性が教壇に立っています。
【防災の授業をする長谷川元気さん】
「慰霊碑には阪神・淡路大震災で亡くなったこの街に住んでいた人々の名前が刻まれています。その中には、長谷川先生のお母さんと1歳半だった弟の翔人の名前もあります」
【長谷川元気さん(当時13歳)1999年】
「(よく見た夢では)普通に地震前の家にいて、地震なんかなかったんかなって。それで起きたら知らんところにいるみたいな感じで。夢を見た時には涙をぼろぼろ流している時もあるけど、今はないわ」
あの日から25年。
元気さんは結婚し、去年、長女の莉都(りつ)ちゃんが生まれました。新たな命を授かったことで、強い思いが芽生えました。
【長谷川元気さん】
「最初に莉都を見た時は翔人と重ね合わせてしまって、翔人は失ってしまったけどリツは絶対守りたいなって、その思いはまずありましたね」
『震災の記憶を伝えることは、命を守ること』…そんな思いで元気さんは教壇に立っています。
【防災の授業をする長谷川元気さん】
「震災があって、残しているものを“遺構”といいます。なぜ震災遺構として保存する必要があるのでしょうか?」
【児童】
「地震を知らない人に教訓とかを伝承したいから」
あの日の記憶は少しずつ、確かに、受け継がれています。