京都アニメーション放火殺人事件で命を奪われた2人の女性クリエイターがいます。
「京アニ作品」の美しい色づかいを長年支えてきました。
その“プロ”としての姿を感じながら生きる家族の今の思いです。
家の中に置かれたたくさんの段ボール箱や洋服。
津田伸一さんにとって、箱の中にある、ひとつひとつが大切なものです。
【津田伸一さん】
「こればっかりはね。ひとりでやらないとね。手伝ってもらうわけにはいかない。」
この荷物は、娘の幸恵さんのものです。幸恵さんは京都アニメーションのクリエイターでした。
今年7月18日に起きた、京都アニメーション第1スタジオでの放火殺人事件。
36人が死亡、33人が重軽傷を負い、今も5人が入院しています。
逮捕状が請求されている青葉真司容疑者は、車いすに乗ってリハビリを始め、容体は徐々に回復していますが逮捕のめどはたっていません。
世界中のアニメファンに愛された「京アニ作品」をつくってきた多くのクリエイターたちの未来は、一瞬の炎に奪われました
事件で命を失った幸恵さんは作品の仕上げを担当し、「京アニクオリティ」の特徴のひとつである「繊細な色使い」をおよそ20年間支えていました。
ひとり暮らしだった幸恵さんの荷物。9月末、伸一さんのもとにひきあげられました。
【津田伸一さん】
「なんかめっちゃ本が多いんで…聲の形とかそんな本も混ざってますわ。」
「やっぱアニメアニメで…」
荷物の中には、学生時代につかっていた古いスケッチブックもありました。
【津田伸一さん】
「あ、裏に書いてて気づかなかった。目だけ塗って。なんでやねん。目だけ塗ったのか途中でやめたのか。」
――Q:すごいきれいに塗ってますね?
「これが仕事なんで」
――Q:お仕事に就く前から…
「そうそうそう。色ぬりたかったんでしょう」
絵をかくことも見ることも好きだった幸恵さん。
好きな絵を買うために、お弁当を欠かさず作り、ずっと昼食代を節約していました。
【津田伸一さん】
「趣味でしょう。絵は。」
――Q:趣味と仕事が同じ?
「もちろんそうですよ。一緒ですよ。」
心から好きな仕事に突き進んでいたさなかの事件でした。
【津田伸一さん】
「高校か中学かそのへんわからないんだけど」
「あんまり見てたらなんぼでも時間いるから」
幸恵さんがいなくなったあの日から、時間だけが過ぎていきます。
【津田伸一さん】
「夢も希望もない状態になったでしょ。これでね。明日ころっと死ねたらいいなと思ったりとか。生きる意味がないんですよ」
日常は、ひとりの男が放った炎に大きく変えられました。
しかし、伸一さんは事件当初から一貫して、「憎しみはない」と話します。
【津田伸一さん】
「憎しみかかえてもしょうがないじゃないですか」
「実際いま自分がわからないんですけどね。まだそないたってないからのせいかもしれないしね。とにかく事件から今まで変わりません。やっぱ同じですね」
幸恵さんと一緒に働いていた石田奈央美さん(当時49歳)
両親と暮らし、いつも朝ご飯は3人そろってたべていましたが家で仕事の話はほとんどしなかったといいます。自宅に残された持ち物のなかには、お母さんが知らなかったものがたくさんありました。
【石田奈央美さんの母】
「とにかくものすごいあんねん。ほかすのが嫌いやったさかいに全部残してる。こんな引き出しにも何や知らん入ってるわ。」
京都アニメーションの様々な作品で登場人物の肌や髪の色を決める「色彩設計」を担当していました。
お母さんは奈央美さんが最後まで制作に携わった作品『ヴァイオレットエヴァーガーデン -外伝-』を見に映画館に向かいました。
この作品は戦争で傷を負い義手となった主人公・ヴァイオレットが、様々な人の手紙を代筆することで、「愛とは何か」を知っていく物語です。
映画館で奈央美さんの作品を見るのは初めてでした。
遺品のメモ帳にはこの映画についての細かなメモが残されていました。
【石田奈央美さんの母】
「あの子の最後の作品やからじっくり味わってみようと思います」
作品を通じて娘を感じたい。
上映中ずっと、前のめりでスクリーンを見ていました。
【石田奈央美さんの母】
「すごくきれいな色で、見てよかったです。すごい仕事をしていたと思います」
両親は、京都アニメーションが開いた『犠牲者を悼む会』にも招かれました。そこで出会った奈央美さんの同僚からもらった写真。仕事仲間とゲームに没頭したり、笑顔でお酒を楽しんだり。「京アニクリエーター」の奈央美さんの姿がありました。
【石田奈央美さんの父】
「食べるもんも食べられへん、飲むもんも飲まれへん(同僚の人が)寄ってたかった、あーだこーだって」
【石田奈央美さんの母】
「色のことは石田さんがいはるさかいにみんな頼ってっていうてはったけどね。いはらへんかったらできひんって言うてはったけどね」
また3人の同僚から奈央美さんへの手紙も渡され、そこには奈央美さんとの思い出や感謝の言葉が書かれていました。
「石田さんはこれからもいつまでも私たちの仲間です」
「くじけそうなときは石田さんに褒めてもらったことを思い出して進んでいきますので、どうか天の上から見守っていてくださるとうれしいです」
【石田奈央美さんの母】
「色々とあの子の全然知らん事ばっかり、家と全然違うちがうから。あの子がどういうあれで一緒に仕事をしてたかっていうことがようわかりました」
【石田奈央美さんの父】
「今になってあれだけのことを仕上げたんやからねやっぱしえらいな、と思うわ。犠牲者って言ってほしくない。献身者って言ってほしい、アニメに身をささげたってそういう人間やったっと思ってるねん。」
愛する人が、突然いなくなったあの日から3カ月。
今は、残されたものから姿を感じるしかありません。
家族はそれぞれの形で事件と向き合っています。