25日、大阪・ミナミの老舗鯨料理店が惜しまれつつも52年の歴史に幕を閉じました。そこには、半世紀もの間、店を支え続けた名物女将の姿がありました。
創業52年、老舗鯨料理店「徳家」
名物は鯨肉とたっぷりの水菜を特製の甘辛いダシで炊く「ハリハリ鍋」。この味を求めて連日、多くの客が訪れます。
【客】
「学校給食の時の固い鯨しか知らなかった。こんな美味しいものと知らなかった鯨が」
【30年以上通う客】
「大阪人は舌が肥えてるから美味しくなかったらけえへん。味もいいし、ここの女将さんの心意気な、すごいよ」
【徳家の女将 大西睦子さん】
「久しぶりのハリハリ鍋おいしい?」
店を切り盛りする大西睦子さん(76)。鯨一筋の名物女将です。
【徳家の女将・大西睦子さん】
「鯨は食べても喜ばしてくれるし見ても喜ばしてくれる素晴らしい存在ですよ」
日本の鯨食文化を守るために活動
かつて母親が営んでいた料理店を再開させようと店を始めた大西さん。母親から勧められたのが当時、家庭の食卓で親しまれていた鯨料理でした。その後、店は繁盛しましたが、IWC=国際捕鯨委員会が捕鯨の一時中止を決定したことで状況が一変します。
鯨肉は手に入りにくくなり、メニューの値段も上げざるを得なくなりました。
需要が減り、日本から鯨料理がなくなってしまう…
大西さんはIWC総会にオブザーバーとして参加するなど、
資源を守りつつ捕鯨文化を継承する重要性を訴えてきました。
【徳家の女将・大西睦子さん】
「文化というものは時代を乗り越えて受け継がれるのですから、みなさん日本の文化を大切に守って育てていってください」
去年12月、日本政府がIWC脱退を表明し、大西さんの悲願だった商業捕鯨が再開することに。後継者がおらず、体調を崩していた大西さんは今年2月、暖簾をおろすことを決心しました。
【徳家の女将・大西睦子さん】
「商業捕鯨再開が決まったと、これで一つの区切りがあるんですよ、長年悲願だったものが叶った。何も料理店で食べなくてもスーパーで買ってきてお母ちゃんが鯨のステーキしてくれたり、鯨のカツしてくれたり、だんだん家庭料理の鯨が戻ってくる、それが食文化の継承になると思った」
閉店の日、朝から電話が鳴り続ける
話を聞きつけ、名残を惜しむお客さんから声をかけられます。
【客】
「今週末いうから…顔見たいし。若い時よく来てたんですよ 覚えてます?」
【大西さん】
「まぁ、今でもお若いのに!」
Q:みんなやめないでと言ってましたよ?
【大西さん】
「そんなわけにもいきませんな」
そして閉店当日―
店は常連客で満席になりました。
【客】「小学校の同級生、70年ずっと一緒やったから」
【子供】「女将さん、これあげる」
【大西さん】「ありがとう」
小さなお客さんから、折り紙がプレゼントされました。
賑わいは店内だけでなく、店の電話も鳴り続けていました。
Q:ずっと電話なってますね?
【大西さん】「朝から。とられへん」
【客】「ほんまやめんの?まじ」
【大西さん】
「みんなから苦情がくるけどいつまでも徳屋は永遠やと思っていたと、元気なうちにね」
そして午後10時、閉店です。
大西さん自ら暖簾を仕舞いました。
【大西さん】
「この年になって毎日店に出てきている、私の生きがいやったんやろうな。大変幸せな人生、鯨という宝物をいただいたような人生です」