ダンサーにとって「命」とも言える足を、交通事故で失った男性。逆境を強みに変え、踊り続けています。
男性は、2月、飲酒運転の撲滅を誓うチャリティライブのステージに上がりました。踊りを通して伝えたい、メッセージとは?
約1万1000人の観客の前で踊る、「義足のプロダンサー」大前光市さん(39)。左足は、交通事故で失いました。
【大前光市さん】
「足を失ってほとんどのことができなくなったときに、いや、でも別のことは何かできると。できなくなったことより、いまできること、これからできてくることの方が重要」
17歳からダンスを始めた大前さん。プロを目指し、レッスン漬けの日々を送っていました。そして24歳のとき、劇場専属のプロダンサーのオーディションを2日後に控えた、雨の夜。歩いていた大前さんは、暴走した車にはねられ、左足のひざから下を失いました。
それでも、アルバイトを転々として食いつなぎながら、プロのダンサーになるために、もがき続けました。
事故から15年あまり。
【大前さん】「これはきょうの演出のひとつで。光るんです。世界観を見せるために」
大前さんはいま、プロとして、義足を生かした踊りを様々なステージで披露しています。2016年にはリオデジャネイロパラリンピックの閉会式で踊るなど、国際的な舞台にも活動の場を広げています。
【大前さん】
「(自宅に入りながら)はいはい、どうぞどうぞ。もうなんか、ごみだかなんだかわからないですよね。これでもかたづいている方ですよ」
限りある時間は踊りのために。ということで、家事は最小限のようです。
【大前さん】
「僕の主食はこのサバ缶です。サバの水煮。これが糖質も少なくて、栄養価も高いんですよ」
東京と大阪を拠点に各地を飛び回り、「自分にしかできない踊り」を追求する充実した日々。しかし以前は、周りのダンサーと同じように踊れないことで苦しんでいました。
【大前さん】
「仲間が、僕の場合は救いになりましたね。仲間たちが普通のダンスをしなくていいと言ってくれたんですよ。義足を外して踊ったときに、昔の僕だったら義足をはかないと普通の人じゃない、普通のダンスが踊れないと思ったけど、(義足を)外して踊っている姿も見て、そっちの方が全然いいと。自然で「らしい」と言ってくれる人たちがいて。1人だったら、おそらく今でも、この足どうにかならないかなと思っていた」
自分が救われたように、今度は自分が踊りを通して何かを失って苦しむ人たちの背中を押したい。大前さんは初めて、あるチャリティライブに出演することになりました。
大前さんが出演するのは、SDD「ストップ・ドランク・ドライビング」プロジェクトのチャリティライブ。
2006年に福岡で子ども3人が飲酒運転の車に命を奪われた事件をきっかけに始まり、今年で12年目を迎えました。ライブで集まった募金は、音楽の道を志す交通遺児に返済不要の奨学金として渡されています。
【ゆず・北川悠仁さん】
「こうやって、このライブが開催できてしまうこと、それはすなわち、飲酒運転の撲滅を僕たちは目指してやっているけど、まだその夢が達成されていないという紛れもない証拠にもなってしまいます。ゼロになるように」
客席では、飲酒運転による事故で家族を奪われた遺族も見守る中、様々なアーティストが歌を通して、未だに後を絶たない飲酒運転の撲滅を訴えました。
ライブ中盤、大前さんの出番が迫ってきました。直前までイメージトレーニングを繰り返します。
約1万1000人の観客が待つ、ステージへ。
【大前さん】「自分のメッセージを込めて、魂を込めて踊るしかない」
選んだ演目は「SWAN」。片方の翼が折れた白鳥がもがき、葛藤する姿を、左足を失った自分自身の生き方に重ねるように演じていきます。
【大前さん】
「何かを失くした人がその後の飛び方、その後の生き方みたいなものを葛藤の中で見出していく。元には戻らない、それを受け入れるしか方法がない。何かを失くした人は強い。エネルギーが出る、生きていくために。そこに可能性がある」
【飲酒運転事故で24歳の娘を亡くした河本友紀さん】
「生き残ったものとして、これからどうすべきかを、前向きに捉えてがんばっている姿を見せてもらって、『ありがとう』という気持ち」
【観客の女性】
「交通事故で自分みたいな思いをする人を減らそうっていうか、そういう気持ちが伝わってきた」
【観客の女性】
「なくさなくていい命とか、けがとか、そういうことがあってはならないと思った」
【大前さん】
「ひとりひとりが思えば、そしてそれが増えていけば、世の中を変えることができる。できないことはない、僕らは人間なんだから」
必ず、道は開ける。事故を乗り越えてきたからこそ、伝えたい思いです。