3月にデビューした高野山ケーブルカーの「4代目」となる新型車両!和風の空間に大きな窓が広がり、特別なひと時を演出します。
開通から89年、地域の暮らしを支えてきたケーブルカーと、ともに生きてきた鉄道マンの思いに迫ります。
外国人にも人気のスポット・高野山へのアクセスを担う「ケーブルカー」
「天空の聖地」と呼ばれる、和歌山県の世界遺産・高野山。
弘法大師、空海が開いた密教の修行場は、今や外国人にも大人気の観光スポットとなっています。この場所へのアクセスを担うのが…
開業から89年、南海電鉄が運営する高野山ケーブルカーです。3月1日、4代目となる新型車両の運行が始まりました。
ふもとの南海・極楽橋駅から山上の高野山駅まで800m、高低差が300m以上ある急勾配を、5分かけてゆっくり登ります。
傾斜に合わせて階段状になった車内は木製の格子がある和風の空間。広々とした窓が、聖地までの特別なひと時を味わわせてくれます。
【ドイツ人女性】
「とてもいいわ。このケーブルカーとてもかわいい」
【男の子たち】
「楽しい!上に行くから」「色んな景色が見える!」
【地元の家族】
「特別な高野山に来る舞台装置というか。この子は新しいのに何十年乗ると思うので楽しみにしています」
高野山で生まれ育ち、ケーブルカーを見つめ続けてきた鉄道マン
この日、新型車両を熱心に見つめる男性がいました。
【上田さん】「機械室もだいぶ変えたん?」
【車掌】「機械室も全部一新しました。もう全部入れ替えましたので」
【上田さん】「全部入れ替えたんか」
南海電鉄のOB、上田静可さん(70)。高野山駅のある高野町で生まれ育ち、ケーブルカーを見つめ続けてきました。
【上田さん】
「ケーブルない時はずっと牛に引っ張ってもらってあがった。ケーブルができて子供もお年寄りも上までいけるようになった」
昭和5年に開通した高野山ケーブルカー。参拝客を運ぶとともに、地元の人の生活の足となってきました。戦時中には観光向けのケーブルカーの多くが撤去されましたが、高野山ケーブルカーは生活路線でもあったため、撤去を免れました。
昭和39年、東京オリンピックの年に2両編成の3代目の車両が登場しました。上田さんはそのころ南海電鉄に入社し、40年以上、このケーブルカーの設備の補修に携わりました。
【上田さん】
「(駅舎の)屋根の雨漏り補修でふきかえたり、台風で木が痛められたところを補修したり。ケーブルっていったら坂やね。1000何段あるんかなあの階段が。何回もあがりおりして。下りの方がしんどかった」
輸送量も増え、昭和と平成の間を走り続けた3代目の車両。上田さんは、定年後も時折乗るようにしていました。高野山周辺の人口は減ってきましたが、3代目のケーブルカーのおかげで観光客が年々増え、町も活気づいたと感じています。
【上田さん】
「夏になったら林間学校で賑わったし、外国人さん多くなってケーブルカーができたんで高野山が発展したんやと思うわ」
3代目車両との別れ、4代目へに託す想い
去年の11月25日、3代目ケーブルカー引退の日。この日も上田さんはケーブルカーの様子を見に来ていました。
54年間…、この車両は地球50周分を大きな事故なく走りぬけたことになります。
【上田さん】
「寂しいです。とりあえず寂しい。一緒に乗りません?」
12月7日、運びだされる「3代目の車両」。老朽化で引退した3代目。上田さんはともに生きてきたその雄姿を見届けました。慣れ親しんだ車両と最後のお別れです。
【上田さん】
「かっこよかったね。釣りあげられても。これでさよならやな。よう働いてくれたんやな」
上田さんが新しい、4代目のケーブルカーに託した思いがあります。
【上田さん】
「前の3代目のケーブルも大きな事故なく終えてくれたと。これも50年無事に事故なしで運行してもらってたくさんの人を高野山へ運んでもらおう」
人々の思いと歴史を乗せて。高野山ケーブルカーは走り続けます。