ウクライナ・戦争の長期化「2年目の避難生活」に変化 日本で働く決断した66歳男性も 自立して暮らすための『雇用・語学』などが悩み 2024年02月23日
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻開始から間もなく2年。今も住む場所を奪われ、関西に避難してきたウクライナ人もいます。
悩みを抱えながら、前向きに生活する姿を取材しました。
■祖国を壊され住む場所を奪われた人々
2022年2月、世界に衝撃が走りました。
目の前で起きている悲惨な状況に、子どもを抱きかかえ泣いている女性の姿。「死にたくない」と涙を流す、幼い女の子。
ロシアによるウクライナ侵攻開始から2年がたっても、戦争が終わる兆しは全く見えません。
【記者リポート】「こちらはウクライナ軍の装甲戦闘車両です。村を開放する際、激しい戦闘があり、ロシア軍の戦車によって破壊されたものとみられます」
戦闘が終わった後も、その爪痕が市民にとっての脅威となっている地域もあります。
【記者リポート】「こちらの茶色くなっている土地はすでに地雷除去車が地雷を撤去した後だといいます。ただ、こちらを見てみますと、赤と白のテープが巻かれています。そこはいまだに地雷が残っている恐れがあるということです。そういった土地はまだ広く残されています」
命の危険と隣り合わせの中、ウクライナの街は日常を取り戻しつつあります。
その一方で、今も住む場所を奪われ、祖国に帰れない人たちが世界中にいます。
■日本で暮らす約2100人の避難者
2月12日、大阪市内の某所で、たくさんの服を広げる女性たちの姿がありました。
彼女たちが手に取っているのは、厚手のセーターや冬用のブーツ。これらは全て寄付で集まったものです。
長年、日本で暮らすウクライナ人たちが団体を立ち上げ、言葉の壁で苦労している避難者たちに、引っ越しの手続きなどの生活の支援をしています。
この日はウクライナ料理を食べながら、避難者同士で悩みを打ち明けていました。
【避難者】「これから日本に住むと決めても、経済的な支援や市営住宅の支援がいつまで続くか分からない。それがなくなれば、最低限の給料だけでは生活は苦しい。先は見えないわ」
【避難者】「私も計算してみたけど、今、日本で働ける時間が決まっているから、行政の支援がなければ、家賃や電気代、娘2人を養っていくのは到底無理」
現在、日本におよそ2100人いるウクライナの避難者。そのうち、約150人が大阪にいます。
【関西ウクライナ友好協会 カトウ カテリーナ代表】「(避難者は)2年目になると悩むことも変わってくる。自分の仕事や勉強とか、子供たちの進学など、そういうところをみんな不安に思っている」
【関西ウクライナ友好協会 柳原沙知花事務局長】「日本に残るとなると、生活するためには行政の支援だけでは難しい。避難者を雇用してほしいが、日本語をしゃべれないから働けない。働けても悩みごとを周りに言えない。支援がなくても雇用だけで(避難者が)自立して暮らしていけるようになれば」
慣れない土地で、悩みを抱え生活する避難者。侵攻から2年がたち、少しずつ歩み始めました。
■避難者の思い…国に残る家族のために
働き口が限られる避難者の中で、仕事を見つけた人がいます。
ウクライナ中部・ジトーミル出身のヴィクトル・バギンスキーさん(66歳)。知人の勧めもあり、1人で来日しました。
2023年3月から、神戸市にある有馬温泉の旅館で週4日ほど、風呂の清掃などを担当しています。
日本語がまだまだ苦手なヴィクトルさん。翻訳機の力を借りながら、同僚とコミュニケーションを取っています。慣れない環境でも一生懸命働くのには、理由がありました。
【ヴィクトル・バギンスキーさん】「娘を手伝わないといけない。娘が出産したのでこの仕事が本当に必要なんだ」
昨年、ウクライナに残る娘が出産。孫が生まれたのです。
【ヴィクトル・バギンスキーさん】「娘たちは日本の私の支援を必要としている。少しでもお金を送れば暮らすことができるんだ」
希望していた軍隊への参加は、高齢のため断念。娘のために日本で働く決断をしました。
【ヴィクトル・バギンスキーさん】「日本の生活はとても難しいです。ここに来て1年半になります」
「魂が傷つきます」
Q.それは戦争から離れて日本にいるからですか?
【ヴィクトル・バギンスキーさん】「そうです」
祖国を守るため、ウクライナの男性の多くが国に残る中、ヴィクトルさんは日本で家族のためにできることを続けます。
■長引く戦争で避難者の状況も変化
この旅館にはもう1人のウクライナ人、南部・ヘルソン州出身のナタリア・グリゴローヴィッチさん(69歳)も働いています。
【ナタリア・グリゴローヴィッチさん】「私はお風呂や鏡を掃除します。お風呂上がりに、お客さまにきれいな自分の姿を見てほしいから、鏡をきれいにしているの」
縁もゆかりもない日本に来たのは、政府からはじめに提案された避難先だったからです。
当初は文化になじめるか不安を抱えていましたが、今では職場のムードメーカーになりました。
【ナタリアさんの同僚】「自分が重いものを持っていると『少しずつにしなさい』とか(ナタリアさんが)お母さんみたいに言ってくれる」
神戸市内で娘のディアナさんと2人で暮らすナタリアさん。親子での楽しみは、週に1回、ボランティアで自宅に来てもらっている日本語の先生とのランチです。
【ナタリアさんの次女 ディアナさん】「巻きずしとかす汁を作りました。今は寒いですから、かす汁は最高」
【ボランティア 森嶋ゆかりさん】「寒い時は、かす汁に?」
【ナタリアさんの次女 ディアナさん】「…限る!」「今日も関西弁を教えてください」
【ボランティア 森嶋ゆかりさん】「関西弁と忍者語、どっちがいいですか?」
【ナタリアさんの次女 ディアナさん】「うーん…。関西弁は必要と思います。例えば『おもしろい』と『おもろい』は全然意味が違う。忍者語は『ありがたき幸せ』」
【ボランティア 森嶋ゆかりさん】「完璧です」
ナタリアさんたちにとって一時的な避難先だった日本ですが、日本の文化や関西の人たちと触れあうなかで、ずっと住み続けたいと考えるようになりました。
【ナタリア・グリゴローヴィッチさん】「日本に感謝しています。日本人と会えてすごくうれしいです。お話を一緒にするのが好きなんです。だって日本の人は気持ちをいつも分かってくれるから。皆さん抱きしめてくれます。みんな『がんばって』と言ってくれます」
日本で平穏な暮らしを送っていても、気になるのはウクライナに残る家族のことです。
突然携帯電話に届くキーウ市内の空爆情報に、心が休まることはありません。
【ナタリアさんの次女 ディアナさん】「このアラームはキーウで空爆があると、すぐ通知が来ます。時々、家族からメッセージが来る。『愛してる』のメッセージは大体何か悪い意味があります。『愛してる』は『さようなら』みたい」
互いに手を握る、ナタリアさんとディアナさん。
【ナタリアさんの次女 ディアナさん】「いつか全部終わったら、みんなで一緒に暮らそう」
【ナタリア・グリゴローヴィッチさん】「本当にそうしたい」
ウクライナへの軍事侵攻開始から間もなく2年がたとうとしています。今も戦争により、住む場所を奪われ、帰れない人たちが世界中にいます。
目に涙を浮かべ、真っすぐなまなざしでナタリアさんは話しました。
【ナタリア・グリゴローヴィッチさん】「戦争がすぐに終わってほしい。今すぐに。ウクライナ人全員の一番の願いだと思います」
この2年間で、避難者の状況も変化してきています。当初は予想していなかった戦争の長期化で、日本での長期滞在や定住を希望する人が増えているのです。
それに伴い、悩みも変化しています。
1年目は一時的な避難先として、最低限の「衣・食・住」を整えることが悩みでした。2年目からは、日本で自立して暮らすための「雇用・語学・進学」などが悩みとなってきたそうです。
戦争の長期化。避難者たちはもはや“支援の対象”ではなく、日本で共に暮らす“社会の担い手”として共存していく方向にかじを切る必要があるのではないでしょうか。
(関西テレビ「newsランナー」2024年2月21日放送)