「目の前で父が亡くなって。父を見送るまでの間、一緒にいたんです。あの時あんなにけんかしなかったら良かったと、いろんなことがグルグルしていました」
震災で一度は諦めたプロの夢…フルートの音色に込めた想いとは。
■父とけんかしたまま最後の別れ
会場いっぱいの観客が聴き入るフルートの演奏。
29年前の阪神淡路大震災が活動の原点になった人がいます。プロのフルート奏者・久保田裕美(ひろみ)さんです。
電気店を営む父の幸雄さんと、音楽が好きな母と、仲のいい妹。家族4人、神戸で暮らしていました。
1995年、プロのフルート奏者を夢見る高校2年生だった裕美さん。音楽大学への進学を目指していました。
【久保田裕美さん】「『(音楽大学に)行きたい』って言うと『分かってるんか』って『本当になれるんか、そんな一握りの人しかなられへん』っていう。なんか、とにかく、よくバトルをしていたような記憶はあります。反抗期でもあったし、けんかしていましたね」
将来を心配した幸雄さんは、音楽の道に進むことを反対。毎日のように口げんかをしていた最中、あの日を迎えました。
裕美さんが住んでいた神戸市灘区では、多くの建物が倒壊。2階建てだった裕美さんの自宅は1階部分が潰れ、裕美さんはおよそ8時間、ピアノの下で生き埋めになりました。
【久保田裕美さん】「ピアノの上は折れたんですけど、下が強かったので、そこに入っていたおかげで助かったみたいな感じで。『おーい、生きとるか、大丈夫か』って(父の)声が聞こえたんですけど、一回声を聞いてから、声が聞こえなくなって」
裕美さんは奇跡的に助け出されましたが、その一方で、幸雄さんは母と妹をかばい、崩れ落ちた梁の下敷きに。けんかをしたまま、最後の別れとなりました。
【久保田裕美さん】「目の前で父が亡くなっていて、父の亡きがらも長いこと、すぐにお葬式ができない状態だったので、ずっと父を見送るまでの間、一緒にいたんですね。冷たい父もいるし、あの時あんなにけんかしなかったら良かったといろんなことがグルグルグルグルしていましたね」
一家の大黒柱だった父を亡くした裕美さん。「自分だけお金のかかる音楽の道へは進めない」と、大好きだったフルートをやめることにしました。
【久保田裕美さん】「がれきの中にフルートが残っているというか、刺さっていたというか。それを知っていたんですけど、もう掘り起こさずに、取らずに、未練がましくなるので。いらないの?って言われたけど、いらない!って言って、取らずに諦めていました。いたしかたない。どう町を見てもまだぐちゃぐちゃだし、近所の商店街は丸焼けで何もないくらい。(やめるのは)当たり前だと思っていました」
■夢を後押ししてくれた恩師 父への思いは後悔と感謝
父の死後、がれきの中からフルートを探し、裕美さんのもとに届けた人がいました。中学校で吹奏楽部の顧問をしていた、天野先生です。伝えたかったのは、父・幸雄さんの本心でした。
【天野比左志さん】「(裕美さんの)お父さんとしては音楽で食べていくのは大変だから、厳しいと思うっていう話は聞いていた。でも全然否定しているかっていったらそうでもなくて、とっても優しいお父さんなので。もう一回考えてあげてくれないかと、僕の気持ちですけど、(お父さんに)言った」
実は父・幸雄さんは、音楽大学に行った知り合いから話を聞くなど、陰ながら裕美さんの夢を応援していました。
【久保田裕美さん】「本当ごめんねって思いましたね。悪態ついていたので、けんかしなかったら良かったなって思いました」
天野先生ががれきの中から探し出してくれたフルート。裕美さんにとっては、音楽を再開するきっかけになった宝物です。
【久保田裕美さん】「初めて手にしたフルートです。父と母が買ってくれた最初の。フルートを続けている限り、手元に置いておいて、これを見るたびに思い出してがんばろうと」
そのフルートを手に取り、「木綿のハンカチーフ」を吹く裕美さん。
【久保田裕美さん】「これは父が好きだった曲です。鳴りますね、まだ。(Q.吹いてあげたりしていた?)いえいえ、全然。けんか中だったので」
父の思いと周囲の支えがあって、プロのフルート奏者になった裕美さん。今度は被災者を支える側として、9年前から毎年1月17日に神戸でチャリティーコンサートを開いています。
【久保田裕美さん】「東日本大震災の時に、現地に行って演奏する機会をいただいて、そこで出会った小学校6年生の男の子が、ご家族を亡くされていたんですけど。部活動とか新しいことができるねって話したら、『僕には夢も希望もない』って言ったんです。私も言葉を失って、当時の自分みたいで、これはどうにかしないといけないなっていう気持ちになったんです」
今年のコンサートは、元日に起きた能登半島地震の被災者を支援するために開催します。
【久保田裕美さん】「生かしていただいたといいますか、たくさんの方に感謝の気持ちがあふれる、思い返すと悲しいことは拭い去ることができるわけじゃないんですけど、それよりも感謝の気持ちの方が強くなったというのは時間と出会ってきた人たちに支えていただいたことが大きかったので、私はたまたま音楽に進むことで救ってもらったようなところがあるので、自分の場合は音楽を通して、行動に移したいなと思っています」
29年前、震災で一度はプロの道を諦めたフルートでの恩返し。被災後に支えてくれた周りの人たちや、けんかしながらも応援してくれていた父へ、感謝の気持ちを乗せて…。
(関西テレビ「newsランナー」 2024年1月17日放送)