「死んだ方がどんなに楽やったか」理解されず苦しんだ“震災障害者”も支えた「よろず相談室」記録を後世へ【震災30年つなぐ未来へ】 2025年01月08日
当時の記憶をいまに伝えるのが、貴重な震災資料。
1人1人の被災者に寄り添い、困りごとを解消してきたボランティア団体「よろず相談室」が、2024年12月、積み上げてきた聞き取り記録などの資料を、「人と防災未来センター」に寄贈しました。
被災者の声なき声に耳を傾け続けてきた30年とは。
■資料で伝える震災 被災者の困りごとを聞き取ってきた記録が展示された
「外へ出たとたんに、地震。 ヘルメットにコンクリートが落ちてきた」
「焼け跡より、身内の骨と一緒に見つけたお金です」
「運んだ時には死後硬直していた。 斎場がなく、4日目に京都で火葬した」
「人と防災未来センター」。 阪神・淡路大震災の教訓を後世に残す施設には、 被災者から寄せられた、当時の状況を表すモノや、復興に使われた資料が展示されています。
その一角に並ぶのは、12月から新たに並べられた資料、「よろず相談室」。 ボランティアが被災者の困りごとを聞き取ってきた記録です。
■「よろず相談室」元代表・牧秀一さんのあゆみ 資料が表すこととは
寄贈したのは、相談室の元代表、牧秀一さん(74)です。
【牧秀一さん】「なんかちょこっと苦しいねんけど。これが25年間、ずっとあった」
震災当時は、高校の教師でした。 住んでいた神戸市東灘区では、激しい揺れが襲い、多くの人が犠牲となりました。
自宅は倒壊を免れ、何かできることはないかと様子を見に行った避難所で、被災者の悩みを聞くボランティアを始めました。
【牧秀一さん】「被災して困っている人の話聞けるかなって。決して明るい話じゃないやん。どうなんかなと思ってやってたけれど、結構よろこんでくれて」
活動は次第に広がり、被災者の相談に乗って支援につなげるNPO法人「よろず相談室」を、仲間とともに立ち上げました。
【被災者】「暗くせんと明るくしようかというのがあった。実際、避難所を出ると自分が暗くなってしまった」
【被災者】「明るくはしてるんですよ。するとストレスが今度は、私に来るんです。ばーっと怒鳴り散らすんです」
【牧秀一さん】「毎日、孤独死とか自殺、病死がある。それがずっと続くんだろうと気になって、なんとかできないかなと」
暮らす場所が仮設住宅や復興住宅に移っても、寄り添い続ける牧さんたちの存在は、被災者にとって生きる希望でした。
【避難所にいたときから支援を受ける被災者】「なんか知らんけど自然になんでも話できる。こんなに訪ねてきてくれるのは牧先生だけ。他の人は訪ねてきてくれるけど、尻切れトンボ。先生がこうやって来てくれるから、元気でおらなあかんなって。先生の顔見るまで頑張らないとって」
【牧秀一さん】「復興住宅の訪問記録。『御影にいましたよ』、『そこから復興住宅に来ました』と、訪問活動の記録が書いてあったり」
(Q.どういう会話したとか?)
【牧秀一さん】「今の状況とかね。血圧が高い時は230と書いてある」
よろず相談室が残した記録は、異なる被災経験をした1人1人が苦しみの中で、必死に生きてきた証です。
記録のノートの中には「なぜあの時、赤ちゃんを1番に助けれなかったのか、あと2秒あったら、と思う」という言葉や「どこに言えばいいかわからない」といった悩み。 そして「サッパリとしたジャケットで、とても嬉しかった」という喜びも。 被災者の生の声が残されています。
【牧秀一さん】「紙ベースの人の手で書いた記録が、人と人との関係を書いている。それがとても大事なことかなと思ってるねん」
■資料を寄贈 研究者「被災者1人1人の経験が書かれた貴重な資料」
5年前に「よろず相談室」の代表を退いた牧さん。 去年、震災資料の研究者を自宅に招き、支援の記録を活用できないか相談することにしました。
【牧秀一さん】「首が痛くて頸椎(けいつい)をけがして、『このままだと手術だ』と言われて。1人暮らしだから、ぞっとした。死んだらどうしようと思って。『資料を持って死ぬんかな』と思って」
■支援が届かなかった『震災障害者』 「死んだ方がどんなに楽やったか」
牧さんはよろず相談室の記録を多くの人に見てもらい、知ってほしいことがあります。震災のけがで後遺症がある「震災障害者」の存在です。
多くの犠牲者の陰で、震災障害者は周りに自分の苦しみを話すことができませんでした。 牧さんは、当事者の声に耳を傾け、実態を把握してほしいと行政に訴えてきました。
【震災障害者】「震災でほんま死んどったらよかったと思いました。死んだ方が、どんなに楽やったかと思ったわ」
【震災障害者】「障害をもって、精神障害を起こしている自分に対する理解のなさに、初めて泣きましたね」
【牧秀一さん】「『震災障害者』の問題は解決できていない。これはどうしようかなと思うぐらい」
一部で支援制度ができたものの、十分とは言えない現状。 資料を新たな場所に託すことで、解決に近づけばと期待を寄せています。
■「よろず相談室」の震災資料 「震災後の生活再建その後の人生を共に考えて歩んできた」記録
人と防災未来センターでは被災者から寄せられた震災資料、およそ20万点を保存していますが、個人情報の問題や、当時寄贈した人と連絡がとれないことなどから、公開ができていない資料も数万点。
それでも引っ越しや遺品整理をきっかけに、今でも毎月のように被災者や親族から寄贈されています。
【人と防災未来センター主幹 林勳男さん】「よろず相談室は、個人の抱えている問題に、1人1人寄り添いながら相談し、解決していこうとしていた。その人たちの震災後の生活再建、その後の人生をともに考えて歩んできた点は、社会から評価されるべきもの」
資料は研究に活用され、一部は今後、展示することも検討されています。
■よろず相談室のあゆみがこれからも問いかけ続ける
【牧秀一さん】「久しぶりやなあ」
ともに歩んできた震災障害者の人たちとの交流は、今も牧さんにとって大切な時間です。
【娘が脳に後遺症・城戸美智子さん】「(当時)牧先生と、小さいフロアで人がいっぱいの中で、鍋したり、お菓子食べたりして、しゃべっていましたね」
娘の洋子さん(44)が ピアノの下敷きになり、脳に障害を負った城戸さんは、支援を求めても相談窓口すらありませんでした。
【娘が脳に後遺症・城戸美智子さん】「言葉でどう説明したらいいか、言ってるうちに、自分もだんだんしんどくなってきて。あれができない、これができないとかで落ち込んでくる」 「震災から10年ぐらいは、(娘のことを)誰にも分かってもらえなくて、どこに行っても1から説明しないといけなかったので、よろずに関わってもらって、洋子ちゃんはこういう人と分かってもらえるから、すごく楽」
【両足に障害 甲斐研太郎さん】「普通の人に話を聞いてもらっても、安心感が得られないというのが、お互いえらい目にあった人同士なら、何も言わなくても分かるし、相手に気持ちも通じる」
【娘が脳に後遺症・城戸美智子さん】「これから(よろずに)興味ある人が調べられるということやね。深く調べようと思えば、資料があるわけやんね」
【牧秀一さん】「学者さんも調べられる」
【娘が脳に後遺症・城戸美智子さん】「先生良かったね…」
被災者支援では、30年かけて進んできたことと、今も残る課題があります。 よろず相談室のあゆみが、これからを生きる私たちに問いかけ続けます。
牧秀一さんたち「よろず相談室」が把握に努めてきた「震災障害者」の実態把握は、現在も自治体レベルで止まっていて、国の災害記録には掲載がありません。 その存在を周知し、実態を把握することが求められています。
(関西テレビ「newsランナー」 2025年1月7日放送)