2019年2月28日(木)深夜0:55~1:50
畳の上で死ぬって、大変だった
受賞
ギャラクシー賞奨励賞
内容
“わらじ医者”として全国的にも知られる京都の名物ドクター・早川一光医師、通称、イッコウ先生が、昨年6月に亡くなった。94歳だった。
イッコウ先生は、地域医療や在宅医療の先駆けだった。
戦後の日本が貧しく、医療を受けられない人がいる時代に、京都・西陣で「貧しい人たちにも医療を」と活動を続けてきた。数々の家を往診して歩きながら、お年寄りのことや認知症家族の問題など、生活の中での医療の問題にも気が付き、患者と寄り添ってきた。そして、そこで見たこと、感じたことを、社会に問題提起してきた。
芸人さながらの、軽妙なおしゃべりが人気で、地元のKBS京都では30年以上、ラジオ番組をもち、シニアに死を否定的に考えさせず、「どう死んでいくか」を明るく語るカリスマでもあった。
戦後の日本が貧しく、医療を受けられない人がいる時代に、京都・西陣で「貧しい人たちにも医療を」と活動を続けてきた。数々の家を往診して歩きながら、お年寄りのことや認知症家族の問題など、生活の中での医療の問題にも気が付き、患者と寄り添ってきた。そして、そこで見たこと、感じたことを、社会に問題提起してきた。
芸人さながらの、軽妙なおしゃべりが人気で、地元のKBS京都では30年以上、ラジオ番組をもち、シニアに死を否定的に考えさせず、「どう死んでいくか」を明るく語るカリスマでもあった。
「いい死に方とは、畳の上での大往生」と、語ってきた。
そのイッコウ先生に想定外のことが起きる。
圧迫骨折がきっかけで、「多発性骨髄腫」(血液のがん)が見つかったのだ。
イッコウ先生は往診“する”立場から、往診“される”側になった。
そのイッコウ先生に想定外のことが起きる。
圧迫骨折がきっかけで、「多発性骨髄腫」(血液のがん)が見つかったのだ。
イッコウ先生は往診“する”立場から、往診“される”側になった。
“在宅医療のプロ”であるはずのイッコウ先生と、その家族ですら、いざ自分がその身になると、簡単に答えを出せなかった。積極的に治療するか、食事をできなくなった後に点滴を続けるか、大事な局面で何度も迷った。「病院で死んではいけない」、「畳の上の大往生」と伝え、「延命措置を受けるかどうかも家族と考えておきましょう」と語ってきたのに…。時に、言ってきた事とやっていることに矛盾があるのではないかとも気にしていた。
「理想の晩年」、「死にたくない」という自分の思い。
そして、「一分でも一秒でも生きていてほしい」という家族の願い。
関西テレビでは、2013年からイッコウ先生を取材し続けている。
イッコウ先生は、元気な頃、取材班に、「わたしが死ぬところを撮影しに来なさい」と、言った。
この言葉に込められた深い意味は、なんだったのか…。
この言葉を「イッコウ先生からの贈り物」ととらえ、“イッコウ先生の最期”に深く関わった人たちを中心に取材を重ね、改めて、誰もがいつかは必ず向き合う、「理想の死に方とは」「終末期を見守るということ」と、イッコウ先生がその“生き方”をもって教えてくれようとしたことは何かを、考える。
「理想の晩年」、「死にたくない」という自分の思い。
そして、「一分でも一秒でも生きていてほしい」という家族の願い。
関西テレビでは、2013年からイッコウ先生を取材し続けている。
イッコウ先生は、元気な頃、取材班に、「わたしが死ぬところを撮影しに来なさい」と、言った。
この言葉に込められた深い意味は、なんだったのか…。
この言葉を「イッコウ先生からの贈り物」ととらえ、“イッコウ先生の最期”に深く関わった人たちを中心に取材を重ね、改めて、誰もがいつかは必ず向き合う、「理想の死に方とは」「終末期を見守るということ」と、イッコウ先生がその“生き方”をもって教えてくれようとしたことは何かを、考える。
スタッフ
プロデューサー:萩原 守
ディレクター:柴谷真理子
カメラ:松本比呂之
編集:樋口真喜
ディレクター:柴谷真理子
カメラ:松本比呂之
編集:樋口真喜