2016年8月30日(火)深夜1:55~2:55
番組制作者の思い
「残留孤児を“忘れられた存在”にしたくない」と、今回7年越しに中国残留孤児に焦点を当てることに…。そして2009年の番組を担当したスタッフが再集結しました。
そこでこの番組にかける思いを、ディレクター、撮影、編集の担当者に聞きました。
ディレクター・柴谷真理子
太平洋戦争は、どの立場からどの事象を見るかによって、感じることも全く違うと思います。この数年、私自身が「軍歌」「軍神」をテーマに戦争ドキュメンタリーを制作し、それを強く感じています。だからこそ、様々な戦争の側面を知って欲しいと思っています。
今回取材させていただいたご兄弟は、ともに人生で戦争の影響を強く受けていらっしゃいます。そしてある意味、戦後がずっと続き、それを背負って生きています。だからこそ、“忘れられる”ことに深い悲しみを感じています。
私たちが「忘れない」、それだけでもその悲しみが癒えるのではないかと思っています。
撮影・登島 努
『望郷の河』では、約2ヵ月半の間黒田兄弟にカメラを向けました。2人は、顔が似ていて(特に眉毛が)それぞれ子供と孫がいる。一見どこにでもいる普通の高齢の兄弟です。しかし2人きりになると、会話がうまくできないし、噛み合わない。そこには、孤児になりながらも日本に戻った兄と、残留孤児として人生の大半を中国で過ごした弟の間にある“空白の42年”が大きく関係しています。言葉の違い、食文化の違い、顔の洗い方一つとっても、中国と日本では大きな違いがあり、それが兄と弟の間に大きな壁となって“そびえ立っている”ように、私には感じられました。
血がつながっているのに、お互いの思いを上手く伝えることが出来ず、疎遠になっている黒田兄弟。カメラを向けながら「戦争がなければなぁ…」と思わざるを得ませんでした。
番組を通して、2人の壮絶な人生と、戦争がもたらした2人の関係性を感じていただければ幸いです。
編集・野上 隆司
そんな私は2009年、『父の国 母の国』という残留孤児のドキュメンタリーを担当することになりました。どんなに苦労を重ねても「自分は日本人である」という誇りだけは捨てなかった主人公の人生を、エディターという立場から見せていただいて、非常に感銘を受けたのを覚えています。
私は「自分は何人なのか」などという自問をしたことがありません。しかし、その自問を繰り返している人、自問せざるを得ない人が世の中には少なからずいます。今回の番組では、そんな人生の一断面をお見せできればと思っています。
「人は生きていくうちに変わってしまわざるを得ない、だからこそ変わらないものを求めるのではないか」。そんなメッセージが皆様に伝われば幸いです。