ザ・ドキュメント

2016年8月30日(火)深夜1:55~2:55

番組制作者の思い

この番組は、約10年前に中国残留孤児たちが国の支援策について改善を訴えた集団訴訟の時から取材を続けている柴谷真理子ディレクターが担当しました。柴谷ディレクターにとって、中国残留孤児をテーマにした番組は、文化庁芸術祭優秀賞作品『父の国 母の国』(2009年)に続く2本目となります。
「残留孤児を“忘れられた存在”にしたくない」と、今回7年越しに中国残留孤児に焦点を当てることに…。そして2009年の番組を担当したスタッフが再集結しました。
そこでこの番組にかける思いを、ディレクター、撮影、編集の担当者に聞きました。

ディレクター・柴谷真理子

太平洋戦争中、中国で起きた事に関心をもち取材をはじめたのは、10年前のことです。それまで戦争取材といえば、広島・長崎の原爆や空襲がテーマとして思い浮かんでいました。しかし、2006年から残留孤児国賠訴訟を取材するようになり、戦争取材への思いが変わりました。戦争の「加害」と「被害」。中国での戦争をみると、どうしても加害と被害の両方を突き付けられてしまうのです。
太平洋戦争は、どの立場からどの事象を見るかによって、感じることも全く違うと思います。この数年、私自身が「軍歌」「軍神」をテーマに戦争ドキュメンタリーを制作し、それを強く感じています。だからこそ、様々な戦争の側面を知って欲しいと思っています。
今回取材させていただいたご兄弟は、ともに人生で戦争の影響を強く受けていらっしゃいます。そしてある意味、戦後がずっと続き、それを背負って生きています。だからこそ、“忘れられる”ことに深い悲しみを感じています。
私たちが「忘れない」、それだけでもその悲しみが癒えるのではないかと思っています。

撮影・登島 努

「兄が戦争孤児、弟は残留孤児」である黒田兄弟の話を聞き、「一体どんな人たちなのか知りたい」と思ったことが、『望郷の河』の撮影に参加するきっかけでした。私は2009年の中国残留孤児にスポットを当てたドキュメンタリー番組『父の国 母の国』に撮影助手として参加していたこともあり、残留孤児の問題についてはずっと気になっていました。
『望郷の河』では、約2ヵ月半の間黒田兄弟にカメラを向けました。2人は、顔が似ていて(特に眉毛が)それぞれ子供と孫がいる。一見どこにでもいる普通の高齢の兄弟です。しかし2人きりになると、会話がうまくできないし、噛み合わない。そこには、孤児になりながらも日本に戻った兄と、残留孤児として人生の大半を中国で過ごした弟の間にある“空白の42年”が大きく関係しています。言葉の違い、食文化の違い、顔の洗い方一つとっても、中国と日本では大きな違いがあり、それが兄と弟の間に大きな壁となって“そびえ立っている”ように、私には感じられました。
血がつながっているのに、お互いの思いを上手く伝えることが出来ず、疎遠になっている黒田兄弟。カメラを向けながら「戦争がなければなぁ…」と思わざるを得ませんでした。
番組を通して、2人の壮絶な人生と、戦争がもたらした2人の関係性を感じていただければ幸いです。

編集・野上 隆司

「中国残留孤児」という言葉を初めて聞いたのは、私が10代の頃だからずいぶんと昔の話です。たどたどしい日本語で「自分が日本人である」ことを必死に訴える人々を見て「苦労したんだなぁ」とは思ったものの、なぜそんな苦労をしなければならなかったのかについて、きちんと調べることも無く、いつのまにか忘れてしまいました。そんな有様ですから、残留孤児たちが日本に帰国した後に降りかかる、さらなる試練について知る由もなかったのです。
そんな私は2009年、『父の国 母の国』という残留孤児のドキュメンタリーを担当することになりました。どんなに苦労を重ねても「自分は日本人である」という誇りだけは捨てなかった主人公の人生を、エディターという立場から見せていただいて、非常に感銘を受けたのを覚えています。
私は「自分は何人なのか」などという自問をしたことがありません。しかし、その自問を繰り返している人、自問せざるを得ない人が世の中には少なからずいます。今回の番組では、そんな人生の一断面をお見せできればと思っています。
「人は生きていくうちに変わってしまわざるを得ない、だからこそ変わらないものを求めるのではないか」。そんなメッセージが皆様に伝われば幸いです。

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