2005年6月30日(木)

「くらやみにまけないで」~虐待の記憶との闘い~

企画意図

急増して止まらない児童虐待。岸和田のケースでは子どもを監禁、殺人未遂の事態に至って、警察が介入し最終局面で命は救えたが、いまも3日に1人の子どもが親による虐待と推察される死を迎えているという。子どものSOSは見えにくく、警察や児童相談所もなかなか手がまわらない。警察は立件の壁、児童相談所には親権の壁が立ちはだかる。一方、虐待されて育ったひとたちはどんな幼年期や思春期を過ごし、その後トラウマを抱えるのだろうか?自身が母親から虐待され育ち、自身の子どもを虐待した経験をもつ、33歳の母親が、同じ痛みを持つ虐待体験者やDV被害者らとネットワークをつくり被害者救済の活動や法律の改正を求め始めた。番組ではこの女性の家庭に密着。メディアに虐待の後遺症の実情を訴えたいと、家族の全員の顔出しを決意。虐待の記憶が色濃く残る子育ての苦労や友人たちの虐待の事例を紹介。児童相談所の現体制の問題点、日本の支援体制のあり方を問いかける。

主人公の一家とストーリー

大阪市内で暮らす母子家庭。母親は文(あや)さん(33歳)。中学2年の長男(14)、中学1年次男(13)、小学2年の3男(8歳)で暮らしている。
母親、文さんは、幼いころ母親に虐待されて育てられた。そのころの記憶が今も残る。トラウマになっていると気づいたのは、最初の結婚が破綻して、24歳で 2人の子どもをつれて再婚した相手がDV男性だったことによる。3男は自分の子供だが、次男は前の夫に似ていると監禁し、虐待しはじめた。その盾になった文さんにもすさまじい暴力が加えられ、97年、風呂で次男を水中に沈め失神させる事故が起きた。後にDV夫は「事故で次男が死んでしまったらいい」と思っていたと殺人未遂事件だったと話す。DV夫に叩かれている最中思い出したのは幼い日、母親から受けた虐待の現実。映像のように記憶が蘇る。DV夫と離婚してストーカー訪問がやんだ一昨年、今度は自分が子どもへ身体的な虐待的を繰りかえすはめに…。
昔、親から体罰をやられて二度としないと誓いながら、次男の頭を割る虐待をしてしまった自分。なぜ虐待の世代間伝達が起こるかという問いかけに「今もわからない」という。そんな中、次男が突然、虐待され、封印されてきた記憶を語り始めた。文さんはそんな暗黒の記憶を「くらやみ」と表現しそれに「負けない」で克服することが大切と子どもと向き合い、社会に訴える行動を起こした。
番組前半は主に文さんの成育暦や子どもの虐待の足跡。後遺症としての発作がおこるとどうなるのか?当事者の苦しみを提示。後半は、虐待で悩む友人たちとの交流や救出行動。特に性的虐待のあるケースと出会い自身が性的虐待を受けていたことを思い出しあらたな「くらやみ」との闘いが始まる。虐待して育った次男も「くらやみ」との葛藤が始まった。

ナレーション 工藤夕貴さん

ハリウッド女優として去年までアメリカで活躍。今年から日本の静岡に居を構え映画、ミュージカル女優として新たな一歩を踏み出した。代表作は、戦争による日系人の強制収用所という問題を映画化した「ヒマラヤ杉に降る雪」。役つくりのため収容所の日系人の話を聞き、資料を読みあさった。その際、「日本はすべてが暗闇だったが米国にも暗闇があったことが分かった。」とコメントしている。