2004年5月27日(木)

桜

ナレーション

豊田康雄アナウンサー
太古、日本人は桜の花で稲の豊作を占ったといいます。日本各地に「苗代桜」と呼ばれる桜の大木があり、それらは農作物の出来不出来を教えてくれた御神木でした。咲く時期は、農作業の始まりを伝え、花の咲く場所で吉凶を占いました。
滋賀県仰木、棚田のまん中に一本の桜があります。雪残る春、山に咲く桜は人々に春を告げる花でした。神話にいう桜の化身、コノハナノサクヤヒメ。山の神の娘コノハナサクヤヒメは、稲の神ニニギノミコトと結婚したと伝えられています。遠い神話の世界で桜と稲は結びつき、桜は生命が生まれることを願う花だったのです。

桜の下の棚田で作業する老いた兄弟とその家族。イノケ(屋号)の人々です。「ほっといたら荒れてしまうやんか」、棚田は平地の田と比べてとても労力がいります。「88回手をかけんとという」「じいさんがいなくなったらもうできないかも」。米と田と桜を大事にする人々の暮らし。桜が咲くと自然と植えた祖父の話が出てくる。「オヤジさんは貧乏人やったけど、心の余裕があったんだろう。五人子供いたけど心の余裕があったんだろうな、わしらみたいに仕事ばっかりやってんのとちがう、わはは」
中世、日本人は桜に己の心を重ねていきました。水に流れる桜には「花筏」という名前があります。命は止まることなく流れ移り変わっていく。喜びも悲しみも載せて流れ行く筏に、中世蒔絵の名匠は、桜の花を散らしました。能「桜川」は、桜を題材にした代表的な能舞台。桜子という名の娘を失った母が、桜が流れる川で、狂わんばかりに花びらをすくい集める。咲き乱れ流れる桜に、母の心はさらに狂っていく。禅僧は桜の魔力を知っていました。桜の高台寺の高僧がいいます。「桜っていうのは華やかすぎる。禅寺は修行の邪魔になると桜を排除してきた時代があります。自分を失うと…」

桜が満開になる頃、棚田に水が入り、風景は一変します。花びらの散った水面に佇むカエルそしてアメンボ。とんびと競うように空を舞う桜。吸い寄せられるかのように、人も田んぼに集まり、土と水を撹拌し田植えの時を待ちます。老兄弟の棚田と父の桜。月光の中を散る桜。花びらは夜をとうして里山の兄弟の田んぼに降り注ぎました。
桜が春の命を喜ぶ花だった古代とは一変し、散る桜が人の死と重ねられた時代がありました。靖国神社の桜の下に集まる老人たち。「同期の桜を歌う会」の人々です。「桜花散り行く時ぞ見事なり」と命名された特攻機「桜花」。特攻機の出撃基地となった鹿児島県知覧の八重桜。「咲く花のつぼみと散りし若櫻」「若桜隊」顕彰碑が、その時代を刻んでいます。

滋賀、仰木の里山の棚田。葉桜の五月の泥田祭。老兄弟と家族は総出で苗を植えはじめます。あの年、散る桜を見届け田植えの頃に亡くなった父。イノケ兄は「桜のようにしっかりと根をはってきばっていけという目印のように思う」と、話してくれました。
桜のコスモロジー(宇宙)と日本(人)の心をハイビジョン映像で描きます。