半世紀以上も続いた「3000人の吹奏楽」がファイナルを迎えました

半世紀以上も続いた「3000人の吹奏楽」がファイナルを迎えました

3000人の吹奏楽
1961年、「1000人の合同演奏 春の吹奏楽」として産声を上げ、翌年には、「2000人の吹奏楽」に、1989年には「3000人の吹奏楽」へと改称しながら、会場も西宮球場から京セラドーム大阪へと時代の変化を受け入れながら、惜しまれつつ6月24日にファイナルを迎えました。
3000人の吹奏楽
このイベントを通じて、入場料収入でさまざまなチャリティー活動も行ってきました。

当初は「街を明るく美しくする運動」として防犯灯の設置などの活動を、その後、「世界一の桜の名所をつくろう」をテーマに各所に桜の植樹をいたしました。
3000人の吹奏楽
そして1972年の第12回からは「みどりのチャリテイー」として、学校緑化運動を推し進めてきました。その結果、およそ700校に約3万本の植樹をすることができました。

そして現在はFNSチャリティーを通じて日本ユニセフ協会に収入の一部を寄付しています。
3000人の吹奏楽
3000人の吹奏楽
3000人の吹奏楽