兵庫県佐用町で20人が犠牲になった豪雨水害から13年ー。
大きな被害を受けながらも営業を続けてきた飲食店があります。店の復活を支えたのは、1冊のノートでした。
8月9日朝、佐用町では遺族や町の職員たちおよそ60人が水害の犠牲者に花を手向け、祈りを捧げました。
2009年8月9日、台風による豪雨が町を襲い、川が氾濫。夜間に避難しようとした住民が濁流に飲まれるなど、20人が犠牲になりました。
町の中心部にある商店街にも、1メートル以上の高さまで泥水が流れ込み、壊滅的な被害を受けました。あれから13年。水害を機に廃業した店も多く、空き地が目立ちます。
およそ60年前から、商店街で飲食店を営む山本千代子さん(78)。
佐用町の名物料理「ホルモン焼きうどん」が、多くの人に愛されてきました。
山本さんの店も水害で泥水に漬かり、食器や食材など、ほとんどのものが流されました。
【山本さん】
「本当にどうしようと思いました。(店を)もうやっていけないなって、その時は。どうなるんだろうって不安でした」
片付けに追われる中、水没した棚の上に1冊のノートを見つけました。長年、お客さんたちに食事の感想を書いてもらった宝物。「おいしかったです」などのコメントが並んでいます。
「ここは私が書きました」と山本さんが開いたのは、2009年8月9日のページでした。
<山本さんの書き込み>
「あっという間でした。胸までの濁流が店内をごうごうと。でも命があればなんでもできる。このノートが助かりました。感謝です」
復活を願い、訪ねてくるお客さんの言葉が、店を続ける糧となりました。
水害の翌年、一緒に店を切り盛りしていた夫の勝彦さんを病気で亡くしたときも、このノートが心の支えになりました。
水害から13年がたって、当時のことを知らないお客さんも訪れるようになりました。
【山本さん】
「京都からやったら佐用町の水害とか知ってる?」
【京都から来た家族】
「テレビでやっていたのを思い出して…」
「お母さん2009年って何年前なん?」
「2009年ってまだ生まれてないね。ここも胸のところまで水が来たんだって、怖いね」
水害当時生まれていなかった女の子。「私も書きたい」とノートにペンを走らせます。
【山本さん】
「これを見て思い出して、また楽しくなったり懐かしくなったり。自分の人生の積み重ねですね。財産です。主人に今がんばれてるよって言いたいです。刻まれた一つ一つの言葉が、今を生きる力です」
(関西テレビ「報道ランナー」2022年8月9日放送)