どてらい男

半沢を見た西郷輝彦さん「やられた!現代版『どてらい男(ヤツ)』だ」昭和から未来に遺した“商売物ドラマの原点”

2月20日、前立腺がんのため75歳で亡くなった、歌手で俳優の西郷輝彦さん。2020年に、自身の代表作の一つにもなったドラマ『どてらい男(ヤツ)』の動画配信がスタートした際には「好きな時にドラマを見られるいい時代になった」と語るなど、晩年まで人々を楽しませるプロフェッショナルとしての姿勢に変わりはありませんでした。
西郷輝彦
「いい時代ですよ、好きな時に見られるんだもん。昔は考えられない。『ちょっと止めといて』っていうわけにいかないですもんね」

一昨年9月に関西テレビで放送された「よみがえる名作ドラマ『どてらい男』スペシャル座談会」で、今の動画配信サービスについて、かつてはとても想像できなかったと話していた西郷さん。
どてらい男
『どてらい男』とは、1973年から77年まで放送された関西テレビ制作のドラマで、若き成年モーヤンこと山下猛造が商売の世界で一旗揚げようと奮闘する物語。実直な彼の前に立ちはだかる意地悪な先輩達との執念の戦いが放送当時大きな話題となり、最高視聴率は35.2%を記録。3年半の間に放送回数は181回にも上りました。
どてらい男
脚本を務めた花登筐さんが、登場人物一人一人の心の機微をあぶり出すように描いた濃厚かつ痛快なストーリーもさることながら、令和のイマ見ると昭和40年代のテレビドラマならではの演出方法も新鮮。
どてらい男
例えば、貼り紙を貼る場面では、なかなかうまく貼り付かなくても、そのまま撮り続けてOKシーンになったことも…。これについて西郷さんは「当時は編集でつなげなかったんですよ。今だと途中でカットして後からつなぐんですが、それが当時のテープでは出来なくて」と振り返った上で、「だから、そういう場合は最初から全部やり直さないといけないので、“少々OK”ですよ。マイクが映り込んでもOK。芝居に集中してるとマイクなんかどうでもよくて、見えないですよ。客の目がそっちに行くようじゃ、その芝居はダメだってことですからね」と、当時のドラマ撮影の背景や流儀などについて生き生きと紹介していました。
どてらい男
そんな西郷さんが最も感情を昂らせていたのが、ドラマ『半沢直樹』を見た時の“悔しさ”について。「僕はあれを最初に見た時、『あっ!やられた…』と思ったんです。まさに現代版の『どてらい男』ですよ」と、昭和と平成・令和のヒット作とを重ね合わせるようにして見ていたと告白。
どてらい男
「『どてらい男』は商売ものドラマの原点だったんですね。ワルがいて、主人公が沈んで、また上がって来て、さらに叩かれて…。これを実に上手く(脚本の)花登筐先生が作って来られた。しかも3年半ぶっ続けで。すごいですよ(笑)」と続け、約半世紀も前に役者・スタッフが一丸となって生み出した作品の神髄が、今も変わらず見る人の心を打つことへの喜びも感じているようでした。
西郷輝彦
また西郷さんは、そんな『どてらい男』が時を越えて「カンテレドーガ」などの動画配信サービスで見られるようになったことに対して、「やっぱりネットで昔のドラマを見られるというのは新しい感覚。是非皆さんに、特に若い人たち見ていただきたいと思いますね」と目を細め、自身の若かりし頃の代表作が新たな媒体を通じて後世に残っていくことについて感慨深そうに語っていました。

西郷輝彦さんのご冥福をお祈りいたしまして、謹んでお悔やみ申し上げます。