ザ・ドキュメント

番組紹介

関西テレビでは1958年の開局以来、さまざまなドキュメンタリーを制作してまいりました。
1982年からは「ドキュメントα」の枠タイトルで、エリアに密着したドキュメンタリーを定期的に制作、2001年からは「ザ・ドキュメント」として、現在も単発ドキュメンタリーとともに、「その時代の、その地域に暮らす、その人々を」記録しています。

2016年11月22日(火)深夜2:10~3:20

ことし8月に放送した、戦争孤児の兄と、中国残留日本人孤児の弟を描いた「望郷の河」。放送終了後に視聴者の皆様から、「もっと見たい」などの反響があり、中国現地などで追加取材を行いました。兄弟、そして家族を通して、中国残留日本人孤児を巡る根深い問題など、戦争と人間について考えます。(通常55分番組を70分に拡大)

内容

黒田兄弟(左・弟の孝義さん、右・兄の雅夫さん)

兄の黒田雅夫さん(79歳)、そして弟の孝義さん(76歳)。
兄弟は、お互いの思いをうまく伝えることができない。
兄は日本語、弟は中国語しか話せないからだ。

2人の人生には戦争の歴史が深く関係している。
太平洋戦争が終わるまで、中国東北部に存在した日本の傀儡国・満州。
日本が移民政策を進める中、兄弟の家族も「満蒙開拓団」として中国に渡った。
兄は7歳、弟が3歳のときだった。

満州に渡る前の黒田兄弟

しかし翌年、日本は戦争に負け、ソ連の侵攻・現地人の襲撃、敵陣にとり残された開拓団の逃避行は悲惨を極めた。混乱のなか、幼い弟は中国人に預けられ、兄は戦争孤児となって一人で日本に帰国した。

生き別れになった兄弟は1987年、40年ぶりに再会を果たす。身元判明の決め手は、弟が兄との思い出を描いた河のスケッチだった。弟は「中国残留孤児」として、希望に胸を膨らませて帰国した。

しかし、日本での暮らしは、思い描いた理想とは違っていた…。

日本語が覚えられず、日本社会に溶け込めない現実。
帰国から30年近く経つ今も、「日本人として扱ってもらえない」と疎外感があり、あのまま中国にいた方がよかったのか…」と悩む日々を送っている。

中国残留孤児の子供や孫に当たる二世や三世も、二つの国の狭間で悩みを抱えてきた。
その中で、運命を前向きにとらえようという思いを持っている人もいる。

弟の孫で中学生の綾さん。
祖父が中国に暮らし、日本に帰国した事実を受け止めようと決めた。中国残留日本人孤児3世として、自分にしか出来ない生き方を探し始めている。

兄は戦争孤児として帰国、戦後をたくましく生きぬき、石材業を営んできた。弟の帰国のために、「誰よりも一生懸命に面倒を見た」という自負がある。弟の仕事を探したり、家の世話をしたり、奔走してきた。弟と再会できたことが心から嬉しかったからだ。
しかし時の経過とともに、弟の気持ちを理解できないことが増えてきた。
兄弟の絆を取り戻したいが、言葉や文化の壁にぶつかり、兄も悩んでいる。

そんな時、かつて暮らしていた満州へ行く話が持ち上がった。
数年前から活動している「語り部」で知り合ったNPO岡山市日中友好協会が提案してくれたのだ。

兄はその旅に弟を誘うことに決めた。
兄が弟に見せたかったのは、身元判明の決め手になったスケッチの「河」。
2人は、地名すら定かでない開拓団の跡地を探して回る。

6日間の旅で、2人は兄弟にとっての“おもいでの河“を見つけることが出来るのか…。
そして、何を感じたのか…。

戦争に翻弄された兄弟。
その人生を通して、改めて戦争と人間について考えます。

スタッフ

ディレクター:柴谷真理子(カンテレ 報道局報道センター)
カメラ:登島努(カンテレ 報道局報道映像部)
編集:野上隆司(カンテレ 報道局報道映像部)
企画:吉川浩也(ウエストワン)、山下奏平(カンテレ 報道局報道センター)
プロデューサー:兼井孝之(カンテレ 報道局報道センター)

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