前代未聞!J監督が自転車でスタジアム入り!?名将・松木安太郎が破天荒エピソードを披露

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2025.10.17(金)

前代未聞!J監督が自転車でスタジアム入り!?名将・松木安太郎が破天荒エピソードを披露
常勝軍団・ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の監督として1993年のJリーグ開幕からリーグ戦とナビスコ杯(現ルヴァン杯)で連覇を果たした松木安太郎氏(67)が知られざるセレッソ大阪監督時代の破天荒エピソードを語りました。
ミスターセレッソ・森島寛晃を無理やりキャプテンに
1998年に1シーズン、セレッソ大阪の監督に就任した松木氏は、就任直前の12月に当時選手だった森島寛晃氏(53)に電話で連絡し、キャプテンを依頼しました。
番組にVTR出演した森島氏は、当時はキャプテンの経験がなかったこともあり、就任の依頼を断りましたが、その後チームの始動日に練習に参加すると、勝手にキャプテンにされていたエピソードを披露しました。
しかし、キャプテンを務めたことから責任感が芽生え、自己最多となる18得点を記録。その年に行われたフランスワールドカップで日本代表に選出されるほど飛躍のきっかけになったと語りました。
松木氏は森島氏のことを「腰の低い選手だったから、そこが変わったらもっとチームを引っ張ってくれる、そんなタイプの選手」と話し、森島氏の潜在能力の高さを当時から見抜いていたそうです。
歴史的勝利の裏で…自転車に乗ってスタジアム入り
松木さんが監督に就任して迎えた最初の試合は、ガンバ大阪との大阪ダービー。当時のセレッソ大阪は、アウェイでのダービーで1度も勝利したことがありませんでしたが、その試合で逆転勝利。歴史的な勝ち星を挙げました。
しかし、その裏ではある事件が。
試合前、スタジアムに向かうバスが道を間違え、遅れてしまうというアクシデントに見舞われました。試合前に行われる監督会議に時間通り向かうために、松木氏はスタッフに「自転車でスタジアム入ってくれ」と言われたそうで、急遽自転車でスタジアムへ。アクシデントにも負けず、歴史的勝利に繋げたのでした。
岐阜の工場で助っ人外国籍選手を獲得
当時、守備に課題を抱えていたセレッソ大阪で、松木氏が獲得した外国籍選手が17歳以下のブラジル代表でプレー経験もあったディフェンダーのペリクレス氏(50)。入団前は岐阜の工場に“出稼ぎ”に来ていたところをブラジル人コーチの勧めで獲得。松木氏が「ハングリーだから頑張ってくれた」と話すペリクレス氏は合計5シーズン日本でプレーするなど、一時はサッカーから離れていたとは思えない活躍を見せました。
目を付けた選手が、のちにワールドカップ出場
松木氏はヴェルディ川崎時代にも、コーチからの情報をもとに南アフリカの選手に注目していました。当時はアパルトヘイト政策が終了した直後で、松木氏はマーク・フィッシュ氏(当時17)をテスト生として招集。
その時はチームの意向で獲得を見送りましたが、フィッシュ氏は後に2010年南アフリカワールドカップで母国のキャプテンを務めるなど、世界的な選手に成長。
松木氏は「あの時、獲得できていたらすごいことになっていた」と当時を懐かしんだ。

また、破天荒な行動の裏では、自身が監督を辞任しても連れてきたコーチやスタッフは最後までクラブに残れるような契約を結んでいたというように、仲間想いのエピソードも披露しました。

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